ここ数年、特にスーパーGTでは最強と言わんばかりの強さを誇っている日産勢。特にGT500では2014・2015年で2連覇を獲得し、今年も全8戦中5勝を挙げる快進撃を見せた。彼らの速さ、強さを下支えしているのは、様々な要素があるのだがが、そのうちの重要な一つが「日産応援団」の存在だ。今回はニスモフェスティバル2016で垣間見えた日産/ニスモと日産応援団の強い絆について、迫っていこうと思う。

Photo by Tomohiro Yoshita

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スタートは1996年のル・マン24時間

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始まりは1996年のル・マン24時間レース。現在も団長を務める黒澤剛氏が中心となって現地での応援を開始。当時はR33スカイラインGT-Rをベースにしたマシンで参戦。星野一義/鈴木利男/長谷見昌弘が駆る23号車が15位完走を果たした。

ニスモGT-R LM(※過去のニスモフェスティバルで撮影したもの)Photo by Tomohiro Yoshita

ニスモGT-R LM(※過去のニスモフェスティバルで撮影したもの)Photo by Tomohiro Yoshita

そこからル・マンは毎年応援に行き、仲間たちとともにグランドスタンドで絶えず大旗を振り続けた。

もちろん、国内でも日産勢が活躍しているスーパーGTも毎戦応援にかけつけ、GT500・GT300に参戦する日産勢のマシン、チーム、ドライバーたちを応援。「Go!Go!NISSAN!」という応援コールは、スーパーGTを見に行った人たちとっては恒例のものとなっているかもしれないが、20年もの長い間に渡って受け継がれてきたものなのだ。

 

どんな時でも、決して絶やさない“日産コール”

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日産応援団のすごいところは、どんな状況でも、どんな環境下でも、常に大旗を振り日産コールを絶やすことがないことだ。

スーパーGTは毎戦欠かさずグランドスタンドの日産チームのピット前で応援しているのだが、時には雨や強風など悪天候の時もあるし、真夏のレースでは気温30度を超える日もあれば、冬のような寒さに見舞われる日もある。

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決勝前はドライバー、監督らも日産応援団のもとへ行き挨拶(Photo by Tomohiro Yoshita)

決勝前はドライバー、監督らも日産応援団のもとへ行き挨拶(Photo by Tomohiro Yoshita)

それでも、彼ら彼女らはいつもと変わらず応援をしているのだ。もちろん勝ち負けが決まるレースだけに、日産勢が好調な時もあれば、そうでない時もある。不運なトラブルやアクシデントに巻き込まれ、優勝争いから脱落することもあるが、レースが終わるまで手を緩めることなく毎回応援している。

ピット作業中も精いっぱい応援(Photo by Tomohiro Yoshita)

ピット作業中も精いっぱい応援(Photo by Tomohiro Yoshita)

記憶が定かではないが、数年前の岡山ラウンドの公式予選。悪天候で予選が中断される状況に見舞われたのだが、その時もスタンドから離れることなくセッションが再開した時にすぐに応援できるようにと待ち続けていたのが印象的だった。

この応援団の熱烈な応援が日産勢の各チームにとっては大きな追い風となっているのだ。

 

黒澤団長「応援しているのが、日産チームのひとつの歯車になれるんだなというのを感じた」

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設立当初から団長として応援団を引っ張る黒澤剛氏。今でも応援団で欠かせない存在であるのだが、20年間頑張り続けるというのは決して簡単な事ではない。今回ニスモフェスティバルでスピーチをする機会があった黒澤氏は、ここまで頑張ってこられた理由の一つをこう語ってくれた。

それは応援団設立2年目の1997年ル・マン24時間レース。日産はTWRと組んでR390を開発。総合優勝を視野に入れて24時間の長丁場戦に臨んだ。

しかし、新マシン投入初年度ということもありトラブルが続出。長時間に渡りガレージで作業を強いられた。そんな時に絶えずグランドスタンドで旗を振り続けていたのが黒澤団長率いる日産応援団だった。

マシンの修復を終えてレースを続行している時。日産ピットから“あるサインボード”が提示された。

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「97年のル・マン。R390で出た時に、たくさんのトラブルがありました。自分が覚えている限り、最長で90分間くらいのピットストップがあったと思います。その時も日産コールを90分間、休むことなく頑張り続けました。そのあと、あまりにも疲れてグラスたで休んでいたら、日産チームのウォールから夜間なのでピットサインが光っていたのですが、そこに「頑張れ!」というサインを私たちに向けてくれました。その時、応援しているのが、日産チームのひとつの歯車になれるんだなというのを感じました」

この年は3台出走したうち2台がリタイア。星野一義/エリック・コマス/影山正彦の23号車が12位に入るのがやっとだったが、翌1998年は4台出走し全車トップ10圏内で乾燥。星野一義/影山正彦/鈴木亜久里の32号車が3位表彰台を獲得。日産のル・マン挑戦史上での最上位の結果となった。

R390 GT1(※過去のニスモフェスティバルで撮影したもの)Photo by Tomohiro Yoshita

R390 GT1(※過去のニスモフェスティバルで撮影したもの)Photo by Tomohiro Yoshita

もちろんドライバー、チームの頑張りもあったのだが、応援団の存在も彼らの原動力になったのは間違い無いだろう。

 

サプライズメッセージに込められた、ドライバー・監督たちの日産応援団の存在

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ニスモフェスティバルのフィナーレでは、応援団に感謝状を贈呈する時間が設けられた。

そこでサプライズが。

いつも応援してくれる日産応援団に感謝の気持ちを込め、メッセージ動画が製作されていたのだ。

それが、こちらだ。

正直、ここで何を語るより、この動画でドライバーと監督が語っていることが全てだと思う。

20年に渡って応援し続けてきたことが、しっかり伝わっていて、欠かすことができないものになっている証拠だ。

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毎年、ドライバーとファンの交流シーンが多く見られるニスモフェスティバルだが、これほどまでに日産応援団をはじめ、日産ファン、モータースポーツファンが主役としてクローズアップされたイベントも、非常に珍しかった。

 

まとめ

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今回、ニスモフェスティバルでの取材を通して、この記事を書いたのだが、「日産応援団」のことを語ろうと思うと、今回の内容は正直これでは不十分なくらいのエピソードがあり、ここだけでは到底語れないほどの苦労と苦難もあったはず。

それだけ、20年間にわたって日産応援団が歩んできた歴史と情熱は、間違いなく世界にも誇れるものだろう。

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モータースポーツは、クルマという機械を扱う競技ゆえに、どうしてもクルマの性能に目が行きがち。特にマシン、タイヤともに複数メーカーが参入しているスーパーGTでは、どうしてもクローズアップされてしまいがちだ。

しかし、クルマを開発し、製作し、走らせているのは感情を持った「人」

だからこそ、サーキットに来て、コースサイドで精いっぱい応援することは、間違いなく彼らの“力”になっているのだ。

「Go!Go!NISSAN!」

普段サーキットにいる我々にとっては聞き慣れたコールだが、実は日産勢にとっては何者にも代えがたいパワーを持っているということを、それを改めて感じさせられた1日だった。