バブル崩壊直後の1993年に、カーライフを始めた筆者が振り返る「あの頃」。今回はAT限定免許が登場したばかりで、そのへんのオバちゃんも普通にMTのセダンを転がしていた時代。むしろトルコンで勝手に進むのが気持ち悪いと、ATを嫌がる人も多く、仕事グルマはみんなMTで、求人の募集要項もAT免許不可ばかりだったという時代を回想します。

5速MTのシフトレバー、クルマ好きなら今も昔も普通ですが… / Photo by Lengyel Márk

1990年代前半、オートマはまだその全盛期以前だった

筆者の大学でも、バブル崩壊直後でまだ裕福だった学生がいて、発売されたばかりだった新車の80スープラで通学していました / Photo by FotoSleuth

1993年に筆者が運転免許を取った頃は、AT(オートマチック・トランスミッション)はまだ、その全盛期を迎える前でした。

もちろん新車販売におけるAT比率は拡大しており、バブル時代に流行った4ドアハードトップセダンも、RVブームに乗って登場したミニバンやSUV、トールワゴンも、その販売の主力はATに移り、初代ホンダ オデッセイ(1994年発売)のように、コラムシフトAT一本槍でMTがそもそもない車種も登場しています。

しかし、地元名家や老舗商店出身者が多かった筆者の大学では、まだバブルの余波で贅沢ができたため、輸入車はせいぜいゴルフやアウディとはいえ、全盛期を迎えていたMTの国産スポーツに乗る者も少なくありませんでした。

しかし当時は現在と違い、「運転は事故を起こしながらうまくなるものだから、初心者は事故で潰しても惜しくない車がいい。」という風潮があり、よくて数年落ちの不人気車、場合によってはかろうじて走るポンコツの軽やコンパクトカーに乗る若者も、少なくありませんでした。

そうした車は大抵3速ATや2速ATで、ロクに走らず燃費も悪く、結局は若者を中心にMT車乗りがまだ多かったのですが、その背景には、いずれ就職活動をする際の求人票に書かれた「要普通免許(AT限定を除く)」という条件も影響しており、どうせ社会ではMT車に乗るんだし、という事でMT車への抵抗は少なかったように思います。

マニア以外、MTかATかは「お下がり」などで否応なく決まる

ATのマークIIやコロナExiv以外でよく乗ったスプリンターマリノ。5MTだし4ドアピラーレスハードトップ人気の終了と不人気車化で、売るに売れず20年近く使いました / 出典:https://www.favcars.com/toyota-sprinter-marino-ae100-1992-98-pictures-187644.htm

筆者の場合、免許を取ってすぐに乗った車は4代目GX61トヨタ マークIIセダン「グランデ」の4AT車で、古いとはいえ19歳の小僧には贅沢でしたが、父の車を「お下がり」というか、父子兼用で受け継いだので、自分で選んだわけではありません。

次に乗った初代T180系トヨタ コロナExiv(エクシヴ)も、父が「AT至上主義者」だったため、否応なく4速AT車でした。

その一方で、筆者の姉は母と兼用で3代目EP71トヨタ スターレットに乗っており、筆者が免許を取る頃には当時最新のAE101トヨタ スプリンターマリノに乗り換えていましたが、これまた母が「MT至上主義者」だったので否応もなくMT車で、我が家には「AT至上主義者のためのAT車」と、「MT車至上主義者のためのMT車」が混在していました。

「バブル崩壊直後の地方都市における若者のカーライフ」は、金持ちのボンボンか、すでにスポーツカー趣味に目覚めてバイトに励む者を除けば、「親兄弟からのお下がりか兼用、でなければ親が適当に買ってきたポンコツ」で始まり、MTやATにこだわる事なく、その時に応じた適当な車に乗っている感じでした。

「MTしか乗れない大人たち」は確かにいた

「オートマはシフトレバーをDにしたら動くから嫌だ!」という人は、実在しました / Photo by Dejan Krsmanovic

ちなみに筆者の母親がMT至上主義だったのは、何もスポーツカー好きだったからではなく、単に「オートマは勝手に走るのが気持ち悪い。」という理由から。

今でもAT車の多くはブレーキを離せばクリープ現象でゆっくり前進しますが、「周囲を確認しながら運転するのが苦手」な母にとって、左右を確認している間にクリープ現象でいつの間にか前に進んでいるAT車は、恐ろしい乗り物だったようです。

ならばブレーキを踏んだままにすれば、と言うのは簡単ですが、母が免許を取った1980年頃にはAT限定免許などなく、「教習で習わなかったAT車なんて、とても無理!」とあきらめた母親は、その後も初代インプレッサセダンやスターレットを乗り継ぎつつ、70歳頃に免許を自主返納するまでMT一筋でした。

「そんな人は特殊な例外中の例外だろう」と思うかもしれませんが、後に新卒で入社した会社にも「MTしか乗れない大人」がいたからビックリです。

会社の上司でしたが、初めて乗ったAT車で「クラッチ操作なんかしなくても、踏めば走るんだよ。」と言われて乗り込んだものの、いくらアクセルを吹かしても車は前に進みません。

見かねた周囲が「そりゃPレンジのままじゃ走らないよ、Dレンジに入れなきゃ!」と、シフトレバーの操作を促すと、上司はアクセルベタ踏みのままDレンジに入れて、当然ながら急発進!かなり怖い思いをしたようで、その後も仕事ですらAT車に乗ることはなく、プライベートでも日産Be-1のMT車に長らく乗り続けていました。

たまに漫画のネタで、「MTじゃないと運転できない!ATって何?」という「昭和の人」が登場しますが、AT全盛期への過程でそういう人は本当にいたのです。

そしてついに「MTに乗れない若者」が現れた

ガソリンスタンドで「AT限定免許しかいなくてMT動かせません」はショックだった/ Photo by Urawa Zero

筆者はマークII、コロナExivと最初はAT車を乗り継ぎましたが、母&姉のMT車、スプリンターマリノやスターレットも普通に運転していたし、バイトでMT車に乗れと言われれば、コラムシフトMTのハイエースだろうが、2tトラックのMT車だろうが普通に乗っていたので、「別にどっちでもいいや」というノンポリ(こだわりのない人)でした。

社会人になってからは仕事でカローラバンのMT車に乗る機会が増え、愛車もミラTR-XX、ストーリアX4とダイハツのMT車ばかりになっていきましたが、2000年頃に軽く衝撃を受けた出来事が、立て続けに起こります。

最初は、その頃に配属された新入社員4人が全員教習車以来MT車に乗った事がありません。」という若者で、事業所にあったATの営業車はエライ人用のを除けば3台のみ。

どうしても1人はMT車で営業に出かけてもらわなければならず、仕事だから苦手とか言われても困るため、せめてトルクがあって乗りやすい車でと、カローラバンのディーゼル車を渡したものの、見事にすぐ事故を起こして営業車の配車担当だった私は大目玉を受けます。

もちろん、根本的な問題はATの営業車を入れない会社にあるので、以後はAT車が増えていったものの、まさか入社した4人が4人とも「いやぁMTなんて乗れないですよ?」と言い出すとは、思いもいませんでした。

もうひとつは、千葉の成田モーターランドで走行会へ参加した時です。

持ち込んだミラTR-XXを走行の合間に点検するとエンジンオイルがだいぶ減っており、近くのガソリンスタンドで給油のついでにオイルの補充をお願いしたところ、しばらくして若い店員が申し訳なさそうに「すいません、店員全員AT限定免許で、MT車を誰も動かせないんです」と言うのです。

一瞬何を言っているのかわかりませんでしたが、2000年頃には既に「ガソリンスタンドですらMTに乗れない店舗があった」という事実に、「世の中MTに乗る人が減ったというけど、ついにここまで来たか」と、衝撃を受けました。

MTもATも運転できた世代は「新人類」か「昭和の人」か?

そのうちMT車に乗れるというだけで「こういう時代だったんですよね?」とか言われるのかも?(画像は昭和36年…生まれてません) / Photo by Yasuhiko Ito

「ATに乗れない大人」がまだ残り、「MTに乗れない若者」の登場に面食らった筆者の世代は、年齢で言うと40代半ばから50代半ば。

青春時代は、乗れと言われる車がATかMTか、その時になってみないとわからないのが普通で、どちらかへの苦手意識やコダワリなど、持ちようがありませんでした。

ATにネガティブなイメージを持つ世代からすれば、「MTじゃなくても別にいい」という若者は「新人類」(当時そういう言葉があったのです)に見えたかもしれず、ATなんて今さら誰が乗るの?と思っている若者からすれば、スポーツカーマニアでもないのにMTを平気で運転できる筆者たちは、「昭和の人」に見えたかもしれません。

おかげでMTにもATにも妙な偏見を待たずに今まで生きてきましたが、一番困るのは「やっぱMT(AT)がいいよねぇ?」と同意を求められる時です。

なぜなら、私たち世代からするとどちらでもいいですし、何ならどちらもいいところはある訳です。