第2次世界大戦前、もしKdF-Wagen(後のフォルクスワーゲン・タイプ1”ビートル”)が完成していれば、デザインに少々古さは残るものの性能的によきライバルになったと思われるオペル カデット。戦後にオペル社が米GMにより立て直された後、1962年にビートルに対抗するべく登場した初の小型大衆車にはやはりカデットの名がつけられました。現在ではカデットAと呼ばれるオペルのビートル対抗作第1弾とは、どんな車だったのでしょうか。

 

オペル カデットA / Photo by peterolthof

 

20年以上たって戦争を挟んでも、ライバルはビートル

 

オペル カデットA  / Photo by nakhon100

 

まだ戦火の跡も生々しいドイツで1948年にアメリカのGM(ゼネラル・モーターズ)がオペル社の経営権を回復した時、第2次世界大戦前にやはりGM傘下だったオペルが開発した小型大衆車、カデットはもはや作れなくなっていました。

なぜなら戦争末期にドイツ本土へ東から侵攻したソ連が、『自国でも作りやすい小型大衆車』としてカデットの生産設備を持ち去ってしまったからです。

かつての宿敵(になるはずだった)ポルシェ博士のKdF-Wagenが、戦後いちはやくVW(フォルクスワーゲン)・タイプ1として生産を再開。

それは、当然のごとく優秀性が認められて、輸出も好調になりつつあったのとは対照的でした。

オペルは仕方なくまず復興用に生産の許されたトラックや、戦前から作っていたオリンピアやカピタン、戦後開発のレコルトなど主に中型以上の乗用車で糊口をしのぎますが、1960年代になってようやく、宿敵と再戦する機会を得ることになります。

それが1962年に発売された久方ぶりの小型大衆車で、そんな今や世界中で人気となり『ビートル』など様々な愛称で親しまれていたVW・タイプ1へ再戦する車の名は、やはり戦前のまま『カデット』と名付けられました。

 

堅実で保守的、シンプルで質実剛健だったカデットA

 

オペル カデットA  / Photo by JOHN LLOYD

 

後にモデルチェンジしていく中で『カデットA』と呼ばれることになる戦後最初期のカデットは、誕生から20年以上を経た1960年代でもなお現役で通用するビートルほど先進的なメカニズムは持ちません。

しかし新設計の直列4気筒OHVエンジンをフロントに搭載してプロペラシャフトで後輪を駆動するFRレイアウトは信頼性が高く、生産コストが安そうなこと以外にもスマート感あるデザインが魅力のシンプルなモノコックボディは、いかにも戦後開発の車でした。

戦前にカデットがKdF-Wagenに挑戦されたら少々分が悪かったかもしれませんが、1962年の西ヨーロッパで今度はカデットAがKdF-Wagen戦後版のビートルに挑戦する番で、後から開発した分カデットAの方が有利そうです。

実際、排気量1リッターで40馬力と決してパワフルとは言えないエンジンながら車重700kgと当時としては軽量だったカデットAは最高速度120km/hを誇り、戦前のカデット(23馬力で735kg、最高速98km/h)より軽くてパワフルで速い大衆車。

さらにカデットAはビートルより居住性や視界、荷物スペースの広さ、そして何より『水冷エンジンの恩恵で暖房が効く』(ビートルは空冷エンジンだった)ことがウケ、なかなかのヒット作となります。

そしてクーペやステーションワゴンも追加されて約65万台が生産されたカデットAは1964年から北米にも輸出されるなど、戦後オペル初の小型大衆車としては、まずまずの成功を納めたと言えました。

 

主なスペックと中古車相場

 

オペル カデットA  / © TOYOTA MOTOR CORPORATION.All Rights Reserved.

 

オペル カデットA 1962年式

全長×全幅×全高(mm):3,920×1,470×1,410

ホイールベース(mm):2,325

車両重量(kg):700

エンジン仕様・型式:水冷直列4気筒OHV8バルブ

総排気量(cc):993

最高出力:28kw(40ps)/5,000rpm

最大トルク:80N・m(7.2kgm)/2,200~3,000rpm

トランスミッション:4MT

駆動方式:FR

中古車相場:皆無

 

まとめ

 

オペル カデットA  / Photo by Niels de Wit

 

出だしが好調だったカデットAですが、発売から3年後の1965年には早くもカデットBへとモデルチェンジされ、2018年現在では『B』以降のカデットと比べて現役で走る姿を見かけるのは非常に稀です。

わずか3年の生産期間とはいえ60万台以上を販売しているので、海外の旧車イベントで今なお健在な姿をもっと見かけてもよい気もしますが、これはどうした事でしょう?

モデルチェンジが早まったのはあくまで主力のセダンが2ドアのみで、4ドア車を求める声が多かったからとも言われており、販売当時のカデットAに致命的な欠点があったわけでは無いようです。

一説には、カデットAのボディは防錆処理が不十分で寿命が短く、1970年代に入ると腐食でほとんど消えてしまったと言われており、これは現役のカデットBが現在でも元気に走る姿を見つけるのが容易なことを考えれば、納得できる理由ではあります。

設計そのものは優れていたものの、コスト配分などの問題で耐久性に難があったカデットAは、カデットB以降もモデルチェンジを重ねて長らく作られた歴代カデットのよき礎として短い命を終えた、という事なのでしょう。

国産車にも1966年に登場した初代サニーや初代カローラへ影響を与えたらしい、と言われてからよく見ると、年代的にはシックリ来ますし、確かに似たところがあるかもしれません。

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