スバル・モトーリモデルニ

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究極の水平対向エンジンを作るべくして生まれたスバルとモトーリモデルニが手を組み作り上げた水平対向12気筒エンジンです。
また、こちらも当初はF1に参戦する目的で作られたものではなく、89年に東京モーターショウに展示されたスーパースポーツカー、ジオット・キャピスタに搭載される予定で製作されています。
「公道のF1」を掲げ開発されることとなったキャスピタ。
そこでエンジンにはスバルのアイデンティティである水平対向エンジンの究極系を目指して開発されています。

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モトーリ・モデルニにはかつてフェラーリやアルファロメオでF1エンジンの開発を手がけたカルロ・キティ博士がいました。
究極の水平対向エンジン開発には申し分のないエンジニアです。
しかし88年までミナルディにV6ターボを供給し参戦するモトーリモデルニとって、新たな自然吸気エンジンを日本のメーカーと開発できる。
となれば89年からの新しい3.5リッターNAエンジンの規定にぴったり、もう一度F1で一花咲かせてやろう!と思ったのは仕方なかったかもしれません。
また、F1ブーム真っ盛りの日本のマスコミが放っておくはずもなく「スバル、F1参戦か?」という報道も出ると、次第に社内でもF1に参戦する空気が流れ、いつの間にかF1参戦が決定してしまいます。
いつの間にか動き出したF1プロジェクトでしたが、実走テストまで行っていたミナルディが最終的にスバル・モトーリモデルニにNOを出すという事態に。
これは当時のエースドライバー、ピエルルイジ・マルティニが絶好調で開幕戦アメリカGPの予選2位など中堅上位チームへと成長していたミナルディが、ここでスバル・モトーリモデルニを載せても、すぐには結果が出ないことがわかっていたからでした。
ミナルディに断られたと言えどもホンダエンジンの活躍を知るF1界に日本製エンジンを欲しがるチームは他にもありました。
それが、ミナルディと同じくイタリアの新興チーム、コローニ。
オファーを受けるとスバルはコローニを買収、共闘でF1に挑むことになります。

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ドライバーはF1参戦2年目のベルトラン・ガジョー。
しかし、現実は甘くありませんでした。結果は惨敗。
前半8戦に出場しましたが一度も予備予選を通過することはなく、グリッドにつくことは叶いませんでした。
その後フォード・コスワース製V8エンジンに載せ換えたミナルディは予備予選を通過するなど活躍を見せます。
この頃のF1にはよくあることで、マクラーレンもホンダ製V12からフォード製V8を搭載することになった93年。
セナが5勝できたのはエンジンの軽さとコンパクトさが活きた結果でした。
絶対的パワーよりも小ささ軽さ、これが新たな3.5リッターNA規定で勝つための要素だったのです。
ダブルベッドと揶揄されることもある大きくて重い水平対向12気筒エンジンは、排気管を下から出さなければならないなど、売りである低重心を思ったよりも発揮できず、スバル・モトーリモデルニは静かにF1から退きました。
ただただ究極のボクサーエンジンの開発をしたかった一心が、バブル景気の波に押され、いつの間にかF1に参戦することになるも、一度も本戦に出場することなく姿を消したスバル・モトーリモデルニは、幻の国産F1エンジンと言えるでしょう。
HKS・300E

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30年以上前から第一線で活躍する有名チューナーHKSも独自にF1用エンジンを開発していました。
70年代後半に’’ボルトオン’’ターボチャージャーでヒットするとマフラーやサスペンションに至るまで様々なアフターパーツを販売する会社の代表格として成長する一方、85年にはモータースポーツ部門を開設、本格的にモータースポーツ活動を開始します。
独自のチューンナップを施したエンジンでグラチャン、F3000といった国内トップカテゴリーに挑戦。
また、三菱自動車のラリー用エンジンのメンテナンスを行い、90年代にはフォーミュラ・ミラージュという三菱主催のワンメイクレース用エンジンの開発を任されるなど業界内では三菱系のメーカーだと誤解されることもあったそう。
そこで、HKSが3.5リッターNAエンジンの開発に乗り出したことが噂されると、依頼主は三菱か?とファンや関係者は期待を抱きますが、これは完全なるHKS独断で行われた夢への挑戦だったのです。
HKSは当初から巨大化しつつあるF1に継続的に参戦することは難しいと考え、ただ自分たちの技術を世界にアピールしようと開発を行ったのでした。
設計の段階でV10かV12のどちらを選ぶか決めあぐねていたHKSは、レースで成績を残し始めているのはV10だとわかっていながらも、F1用エンジン単体としての究極を追い求めV12を選択。
これは、V12の開発がうまく運べばV10の開発も可能だと踏んでいたからだったとのこと。
当時HKSが目標として掲げた数値は1万3500回転で700ps以上、最大トルク42.5kg/m、乾燥重量150kg。
ただ、参戦を考慮せずに開発したため高価な資材などを避け、5バルブで信頼性を保ったまま、高回転高出力のエンジンを目指します。
そして91年6月。ついに「300E」型エンジンに火が入りベンチテストが開始されます。
最終的に680psに達するパワーを発揮し、92年12月に実走テストが富士スピードウェイにて行われました。

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マシンはF3000をノバ・エンジニアリングが改造を施したローラT91/50改。
V12エンジンが収まるようにリアセクションは20cmほど延長され、タイヤには当時のF1で採用されていた規格をもとに、ヨコハマ・アドバンがビックフォーミュラ用として製作したワンオフタイヤを装着していました。
タイムは1分20秒9。
当時のF3000のコースレコードに5秒以上及ばない結果となりましたが、当時の担当者は「特殊燃料を使用すれば10%のタイムを削れただろうし、高価な材料を使えばエンジンを15kgは軽量化できた。」と語っています。
結局この300Eがサーキットを走ったのは後にも先にもこの一回だけ。
数チームが興味を示したことは確かでしたが、エンジンサプライヤーの溢れていた当時のF1に無理をしてまでもう一歩を踏み出す必要性は感じられなく、F1という夢への挑戦は終わりを迎えます。

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その後、HKSは国内トップカテゴリーのグループAや、JTCCで活躍するなど彼らの舵は国内へと切られていきました。
儚く終わってしまったHKSの挑戦ですが、ここから言えるのは、当時のF1というのは「確かな技術を持ってさえいれば、最高峰であるF1に誰もが挑戦できる。」という、ある意味良い時代だったのかもしれません。
スズキ YR-91/YR-95

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プロジェクトR4。90年初め、スズキ社内でも極秘に進められていたプロジェクトがありました。
RACING 4WHEELの頭文字が本当の意味ではありますが、極秘のためにRはリサーチという意味だと言っていたそう。
プロジェクトはGP500マシンの開発や油冷エンジンの開発で知られる横内悦夫氏。
91年には3.5リッターV12エンジンのYR-91を製作。耐久テスト用、馬力テスト用に数基が製作されていたようです。
初のF1エンジン製作ながら、720~730psという強力なパワーを生んでいたとか。
当時、鬼才エイドリアン・ニューウェイデザインのレイトンハウス・マーチF1チームは、トップチームとして戦いチャンピオンを獲得するためには自動車メーカーからの支援が必要だと考え、翌年にはスズキへのチーム売却がほぼ決まっていたそうです。

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しかし、レイトンハウスの母体である不動産会社の不正融資により、チームオーナーが逮捕されてしまい話は流れてしまったと言われています。
その4年後、95年には3リッターへと変更されたレギュレーションに合わせ3リッターのV10エンジン、YR-95を製作していました。
最終的に96年までベンチテストを行っていましたがYR-91、YR-95とも実走行テストが行われることはありませんでした。
もし実現していたら、ニューウェイマシンにスズキエンジンが乗るというなかなか胸がアツい展開でしたね。
スズキワークスに向けた話が裏で動いていたというとは、これらのエンジンはスズキが本気でF1参戦を考え開発していたということです。
まさに表に出ることのなかった幻の国産エンジンと言えるでしょう。
まとめ
全ては90年代初頭の話。日本はバブル絶頂期です。
お金と技術力があるのなら最高峰であるF1に挑戦してみたくなるの不思議ではありません。しかし現実は甘くなったわけです。
当時、実際に部品メーカーには明らかにF1用または同じ規定のグループC用パーツ発注があったそうで、どのメーカーもモータースポーツの最高峰に挑戦しようとしていたという噂があります。
ですから、全く表に出ずに終わった計画というものも必ずあったと思われます。
今のF1はテクノロジーの進歩によりかなり複雑化されてしまったエンジンのため、こんなことはもう起きないであろうというのが大方の予想。
また、いつの日か技術者誰もが開発したがる、色々なメーカーが参戦したがるような魅力的なエンジンのF1になれば、この時代のように日本中を熱狂させることのできる、賑やかなF1が戻ってくるのではないでしょうか。
参考文献:Racing on No.437「幻のF1エンジン 遙かなるスターティンググリッド」
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