15年ぶりのルマン参戦へ

トヨタ90C-V(出典:http://2000gt.net/)

トヨタ90C-V(出典:http://2000gt.net/)

株式会社サードが誕生した翌1986年、11年ぶりに製作されたオリジナルマシン「サード・MC86X/トヨタ」で全日本耐久選手権(後の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権・JSPC)に参戦を開始。

翌87年,翌々88年と継続して3年間、このオリジナルマシンをベースに改良したMC87SやMC88Sとして参戦を継続し、1989年にはトヨタからワークスマシン”トヨタ・89C-V”を供給されることに。

そして1990年。ついにトヨタワークスチームとしての待遇を受けることになり、JSPCだけでなく、15年ぶりにルマン24時間耐久レースへ参戦することとなります。この年は241周でリタイヤとなっています。

以降もルマン参戦を続け、迎えた1993年。「TOYOTA 93C-V」でC2クラスへエントリーしたこの年。

ドライバーはローランドラッツェンバーガー、長坂尚樹、マウロ・マルティニの3人。

この年のルマンは、トヨタTS010とプジョー905がトップを争う展開の中、サードは快調に走行。

途中、ヘッドライトが消えてしまうトラブルとドアのフランジが壊れてしまうトラブルにこそ見舞われましたが問題なく走り切り、ついに総合5位、クラス優勝を果たします。

また、総合6位には、今もカスタム・チューニングの世界で名を知らぬ人はいない名門プライベーターの「トラスト」が入っています。

 

1994年のルマン、思わぬ伏兵ダウアーポルシェ962LM

トヨタ94C-V(出典:http://ms.toyota.co.jp/)

トヨタ94C-V(出典:http://ms.toyota.co.jp/)

サードは前年のマシンを仕様変更した「TOYOTA 94C-V」で参戦。

それまでのサードは、ドライバーに、ローランド・ラッツェンバーガーと契約していましたが、この年のF1サンマリノGPで起きたクラッシュにより逝去。

それにより、エディ・アーバイン、マウロ・マルティニ、ジェフ・クロスノフのラインナップでエントリーでしたがマシンにはラッツェンバーガーの名前も書き込んであり、共にルマンを戦うという意思表示だったのだと思われます。

この年のルマンは、前年までのC1、C2クラスは廃止され、Cカーで争われるLMP1・LMP2と、市販車で争われるGT1・GT2クラス、シルエットフォーミュラと同等の規定であるIMSA GTSという5クラスに。

トップカテゴリのCカーであることや、昨年までの2大ワークスであったトヨタやプジョーがいないことから、93年のレース後に「プライベーター同士で戦えるこそチャンスだ」と思ったと語っています。

しかし、この年本当にライバルになったのは、予想もしなかったGT1クラスのマシン”ダウアー・ポルシェ962LM”でした。

ダウアー・ポルシェ962LM(出典:http://www.evo.co.uk/)

ダウアー・ポルシェ962LM(出典:http://www.evo.co.uk/)

この車両は、ポルシェのCカーであった962Cのシャシーを元にダウアー・シュポルトワーゲンが製作した公道仕様車。

これは、GT1クラスにあった「1台でもいいから市販車作って登録してれば何でも参戦OK!」というとんでもないレギュレーション(実際は盲点)に目をつけたポルシェが”ルマンで勝つために”、ダウアーにシャシーを提供して製作させたマシンだったのです。

この年のレギュレーションでは、Cカーの速さは大きく制限され、LMP1クラスは最低車両重量950kgに対し、最高出力が500~550馬力程度。

出典:https://www.youtube.com/

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それに対し、GT1クラスは最低重量1,000kg、最高出力が600~650馬力程度と、比較的有利な仕様。

市販車ベースであれば、空力やシャシー性能の差からLMP1の方が速かったかもしれませんが「Cカーもどき」であれば話は別。

圧倒的に向こうが有利な状況を知った、サード・トヨタとダンロップタイヤはルマン専用のニュータイヤを開発。

これによって予選は4位を獲得。トップのクラージュ・ポルシェC32から2秒落ちで、決勝のタイヤも的中させれば、確実に取れる。そういった状況の中、決勝を迎えます。

 

見えていた、総合優勝

出典:http://chuansong.me/

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迎えた決勝。トラスト・トヨタと、2台のダウアーポルシェが争うレースがスタート。

24時間という長丁場を戦うことから、巧みにペースをコントロールしながらレースを展開し、徐々に順位を上げていくサード・トヨタ。タイヤは的中だったのです。

ルマンが夜になった頃にはついにトップに立ち、トヨタ2台がジリジリと後続のポルシェを突き放す展開に。

夜間中はトラスト・トヨタにトップを奪われるものの、朝にはサード・トヨタがトップを奪還。

そのまま快調にラップリーダーを務め、徐々にマージンを築き、2位のダウアー・ポルシェにとは3分ほどのギャップ。

誰もがサードの勝利を確信していたその時、残り1時間15分、94C-Vがコース上、ピットロード出口に停止。

ドライバーのジェフ・クロスノフがコース上で車体に手を突っ込んで作業するという衝撃的な映像が世界中に放送され、何が起きたかわからない実況者も困惑する状況に。

発生したトラブルはシフトリンケージの破損。

出典:https://www.youtube.com

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事前に「ミッションが壊れた場合、車外から素手でミッションを入れる」ための機能を準備しており、ジェフ・クロスノフのとっさの判断により、ミッションを3速に入れ、なんとかピットに戻るも、修理作業によって順位を3位まで落とすことに。

この時の加藤さんの判断はとにかくプッシュ。3位で終わるぐらいなら、2位かリタイヤを選んだとのこと。

復帰し、残り1時間を切って、エディ・アーバインは、ファステストラップを叩き出すほどの必死の追い上げを開始。

この時、ミッショントラブルの影響で3速は摩耗しきっており、それ以外のギヤを使用しての走行だったと言うのが、驚きです。

結果、最終ラップに前を走るポルシェを1台パス。見えかけていた総合優勝には届かず、2位という結果でレースを終えることとなります。

出典:https://www.youtube.com/

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73年に初めてルマンに参戦したサードが、31年後に挑んだルマンは、サード自身のみならず、多くのモータースポーツファンが涙し、絶叫した名レース。

常にラップリーダーを務め、誰もが勝利を確信していたこのレースは、「2位でも3位でも、表彰台だし良いじゃないか。」という感覚もある中、1位以外は負けなんだ。ということがチーム・ドライバー以外の多くの日本人に伝わったレースなのではないかと思います。

 

このシーンの模様はYoutube等で見れるのでお時間のある時に、是非ご覧ください。

 

 

CカーからGT1へと移り変わったサードのルマン

トヨタスープラLM-GT(出典:http://www.dorikaze.net/)

トヨタスープラLM-GT(出典:http://www.dorikaze.net/)

1994年のルマン以降、Cカーという存在は世のレースから消え、GT1というカテゴリへと移り変わっていきます。

その流れの中で、サードは1995年、1996年をトヨタ・スープラ LM-GTを使用して戦うことを選択。

95年は総合14位、クラス8位という成績でフィニッシュ。96年は、18時間経過したところでポルシェ911GT1と接触しクラッシュ。そのままリタイヤとなりました。

しかし、その裏で”オリジナルのマシン”で戦うサードは健在で、サードMC8Rという車両でもルマンに参戦しています。

サードMC8R(出典:http://www.modiauto.com.cn/)

サードMC8R(出典:http://www.modiauto.com.cn/)

このマシン、トヨタMR2をベースに、トヨタセルシオの4リッターV8エンジンを搭載したGT1マシン。市販モデルはMC8という名前で1台だけ製造されています。

95年、96年のLM-GT1クラスにエントリーしたサードMC8R。

参戦初年はクラッチトラブルによりリタイヤしていますが、2年目には24位で完走。この時、V8のシリンダーのひとつが正常に動作していなかったらしいのですが、無事24時間を走り切ることに成功しています。

翌97年もルマンにエントリーはしていますが、予備予選を通過することができず、決勝は出走していません。

これ以降、サードは再びルマン参戦を取りやめることとなります。

 

2015年 18年ぶりのルマン挑戦

モーガンEvo.サード(出典:http://www.lueschers-autoblog.ch/)

モーガンEvo.サード(出典:http://www.lueschers-autoblog.ch/)

2014年「サードが来年ルマンに復帰するかもしれない」という噂が飛び交います。

15年以上ルマン参戦をとりやめていたサードの新たな挑戦に、ファンも関係者も期待を胸に翌年を迎えます。

そして2015年、サードはスイスのレーシングガレージ、モラン・レーシングとタッグを組み、サード・モラン・レーシングとしてWEC(世界耐久選手権)のLMP2クラスにエントリー。

マシンは「モーガンEvo・サード」。開幕戦こそ欠場しましたが、第2戦のスパ6時間耐久では2位表彰台を獲得。

前戦から最高の流れで挑んだ第3戦のルマン24時間耐久レースに挑み、順調に走行を継続していましたが、マシントラブルが発生。162周でリタイヤを余儀なくされています。

 

 

 

まとめ

ルマン挑戦からスタートしたサード。

2016年のトヨタのルマンではないですが、盤石の状態でも何か一つのことですべてが壊れてしまう。

そこにモータースポーツ、レースの厳しさを感じざるを得ません。

そして、その時に「今さら3位なんかいらない。2位まで追い上げるかリタイアしかない」として猛プッシュを開始する姿こそ、勝負の世界に生きる人間の本質を表現している言葉だなと改めて思う次第です。

だからこそ、22年参加したスーパーGTで獲得したシリーズチャンピオンは非常に重く、人々の感動を産むわけですね。

調査すればするほど、同じ感動を、今後ルマン24時間で味わいたい。そう思わせられるチームSARDから今後も目が離せません。