SBK(スーパーバイク選手権)や鈴鹿8時間耐久レースで勝つために開発されたホンダVTR1000SP-1/2。SBKでは常勝軍団だったドゥカティワークスマシンを破り、鈴鹿8耐優勝やEWC(世界耐久選手権)シリーズタイトル獲得など耐久レースでもその速さを発揮。リッターVツイン最速バイクの称号を得た、ホンダVTR1000SP-1/2の魅力に迫ります。
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ホンダVTR1000SP1/2(RC51)とは
VTR1000SP-1/2はかつてホンダが生産・販売していたスポーツバイクです。
2000年1月にVTR1000SP-1は発売され、2003年には改良型のVTR1000SP-2を発売。
一般にVTR1000SP-1は『前期型』、VTR1000SP-2は『後期型』と呼ばれています。
輸出専用車であったため、欧州と豪州ではVTR1000SP-1及びVTR1000SP-2で、北米市場では『RC51』または『RVT1000R』という車名で販売されていました。
また、国内仕様がなかったため日本では逆輸入車が販売されています。
SBKに勝つためのホモロゲーションモデル
SBKが始まった1988年からレギュレーション変更される2004年までの16年間、排気量の上限は「4気筒で750cc、2気筒で1,000ccまで」と定められていました。
そしてホンダは、750ccV型4気筒エンジンを搭載したVFR750R(RC30)とRVF750(RC45)で参戦し、3度のシリーズチャンピオンを獲得するも、マシン性能では排気量で優るドゥカティ888/916/955/996のほうが有利な事は明白でした。
そこでホンダは、RVF750(RC45)に代わるマシンを模索していました。
当時ホンダのスーパースポーツモデルとしては、CBR900RRファイヤーブレードがありましたが、レギュレーションに沿わなかったため、995ccV型2気筒エンジンを搭載した『ファイアーストーム(輸出専用車名:VTR1000F)』をベースに新たなスポーツバイクの開発に着手します。
そしてホンダとHRCの共同開発により、2000年1月にVTR1000SP-1を発表します。
それは、HRCがSBKに投入するマシンとして開発した『VTR1000SPW』をSBKレギュレーションに適用させるためのホモロゲーションモデルでした。
また、全日本ロードレース選手権や鈴鹿8耐などの国内のレースにもスーパーバイククラスが設けられていたため、ホンダは国内レースにもVTR1000SPWを投入します。
ヤマハ、スズキ、カワサキは750cc4気筒のバイクで参戦していたため、ホンダは国内メーカーでは初めてVツインマシンをスーパーバイククラスに持ってくることになりました。
(※スズキがレース参戦のために1000ccV型2気筒エンジンを搭載したスズキTL1000Rが発売されていましたが、実践投は入されませんでした。)
ホモロゲーションモデルだけど限定ではなく価格も割安
VTR1000SP-1はワークスマシンVTR1000SPWのホモロゲーションモデルであるため、ベースモデルとしてはかなり豪華な作りです。
アルミ製のウォーターポンプとオイルクーラーや、マグネシウム素材で作られたエンジンヘッドカバー、クラッチカバー、リアスプロケットカバー。
さらにショーワ製のH.M.A.S.ダンパーを組み合わせた41mmフルアジャスタブル倒立フォークとプロリンクリアサスペンションや軽量アルミニウム合金ホイールの搭載など、高額なパーツを多数装備されております。
VFR750R(RC30)やRVF750(RC45)も、レース規定に沿うためのホモロゲーションモデルとして販売されたため販売台数は限定されていましたが、VTR1000SP-1は販売台数が限定されておらず、販売初年度に北米で2,000台が輸入されたそうです。
また、RVF750(RC45)の価格は27,000ドル(約300万円)もしましたが、VTR1000SP-1の北米販売価格は9,999ドル(約110万円)であったため、ホモロゲーションモデルといっても比較的安価な設定。
もちろん、ホンダがSBKに勝つために作ったバイクだけに、巨大な2輪市場であるアメリカでは即品切れ状態になりました。
そのため、翌年には10,999ドルに値上げされ、VTR1000SP-2が登場した2004年には11,599ドル、2006年には11,999ドルと少しずつ価格が上昇していきます。
コストをかけて作られたVTR1000SP-1が当初の1万ドル弱の価格では、採算が取れなかったのでしょう。
硬派なレーシングスポーツバイクでありながら、かなりお買い得な1台でした。
ワークスレーサーVTR1000SPWとほとんど同じ
ワークスレーサーVTR1000SPWは、HRCとホンダの朝霞研究所で共同開発されました。
企画段階からワークスレーサーVTR1000SPWを基本に市販車VTR1000SP-1を製作するプロジェクトが組まれ、開発陣には「量産車を造る以前に、スーパーバイクで勝つためのレーサーをまとめる。」という使命が課せられる事に。
また、VTR1000SPWの目標は鈴鹿サーキットタイム2分10秒台で、99年のデビューでは最終的に2分7秒台を目指すものでした。
しかし、ファイアーストームをベースにするとはいえ、RC45とは全く違い、基本となるワークスレーサーもないため、VTR1000SP-1とVTR1000SPWの開発はほとんどゼロからのスタートだったのです。
そのため開発は難航し、スタートから1998年の秋までに100もの試作フレームを壊し、テストではホンダワークスライダーの意見を取り入れ、シートやステップはレースでのライディングに集中できるポジションになり、NSR500のカウルを装着する試みも成されました。
そして1998年に2分9秒台をマークし、VTR1000SPWはレースに勝つための十分な性能を発揮することに成功。
最終的にファイアーストームとほぼ共通パーツがなく、各部品それぞれが速く走るために開発されたものとなっていました。
並行して開発が進められたVTR1000SP-1もVTR1000SPWよりパワーを抑えながらも、チューニングでVTR1000SPW同等のポテンシャルを発揮させることができ、峠でもサーキットでも速いマシンであることを実証します。
VTR1000SPW投入後は連戦連勝
ホンダはレースでVTR1000SP-1/VTR1000SPWを投入してから、ほとんどのサーキットで輝かしい成績を残してきました。
鈴鹿8耐、SBK、EWC(FIM世界耐久選手権)、マン島TTレース、AMA(AMA Pro Road Racing)といったメジャーレースで次々にチャンピオンを獲得。
2002年シーズンのSBKでは、VTR1000SP-1に乗るコーリン・エドワーズとドゥカティ996に乗るトロイ・ベイリスが熾烈なチャンピオン争いを演じます。
そして第9戦アメリカGPまで、ベイリスが14勝をマーク。(SBKで開催されるレースは2ヒート制のため)
エドワーズは1位2回、2位10回、3位4回でした。
そこから、エドワーズは最終戦まで9レース連続優勝。
対するベイリスもコンスタントに2位と3位を獲得するも、第12戦オランダGP第2レースでリタイア。
ノーポイントとなり、エドワーズが逆転してポイントランキング首位に!
そして、最終戦イタリアGPで2レースダブルウィンしたエドワーズがシリーズタイトルを手にしたのです。
これは、無敵艦隊となっていたドゥカティチームの牙城を崩す、歴史的な瞬間でもありました。
SBKの成績
シーズン | マシン | ライダー | チーム | シリーズランキング |
---|---|---|---|---|
2000年 | VTR1000 | コーリン・エドワーズ | カストロールホンダ | 1位 |
2001年 | VTR1000 SP | コーリン・エドワーズ | カストロールホンダ | 2位 |
2002年 | VTR1000 SP-2 | コーリン・エドワーズ | カストロールホンダ | 1位 |
全日本ロードレース選手権の成績
シーズン | マシン | ライダー | チーム | シリーズランキング |
---|---|---|---|---|
2000年 | VTR1000SPW | 伊藤真一 | チーム キャビン ホンダ | 4位 |
2001年 | VTR1000SPW | 玉田誠 | チーム キャビン ホンダ | 2位 |
2002年 | VTR1000SPW | 玉田誠 | チーム キャビン ホンダ | 4位 |
鈴鹿8耐の成績
シーズン | マシン | ライダー | チーム | 順位 |
---|---|---|---|---|
2000年 | VTR1000SPW | 宇川徹 加藤大治郎 |
チーム キャビン ホンダ | 1位 |
2001年 | VTR1000SPW | バレンティーノ・ロッシ コーリン・エドワーズ |
チーム キャビン ホンダ | 1位 |
2002年 | VTR1000SPW | 加藤大治郎 コーリン・エドワーズ |
チーム キャビン ホンダ | 1位 |
2003年 | VTR1000SPW | 生見友希雄 鎌田学 |
チーム桜井ホンダ | 1位 |
マン島TTレースの成績
シーズン | マシン | ライダー | シリーズランキング |
---|---|---|---|
2000年 | VTR1000SP-1 | ジョイ・ダンロップ | 1位 |
EWCの成績
シーズン | マシン | ライダー | チーム | シリーズランキング |
---|---|---|---|---|
2001年 | VTR1000SP-1 | Albert Aerts Laurent Naveau Heinz Platacis |
WIM Motors Racing | 1位 |
ホンダVTR1000SP1/2のスペック&性能
2000年モデル 北米仕様 RC51(VTR1000SP-1) | 2006年モデル 北米仕様 RC51(VTR1000SP-2) | |
---|---|---|
全長×全幅×全高(mm) | – | 2,040×725×1,145 |
軸距(mm) | 1,409 | 1,409 |
シート高(mm) | 813 | 813 |
乾燥重量(kg) | 196 | 194 |
乗車定員(名) | 1 | 1 |
エンジン種類 | 水冷V型2気筒DOHC8バルブ | 水冷V型2気筒DOHC8バルブ |
排気量(cc) | 999 | 999 |
ボア×ストローク(mm) | 100×63.6 | 100×63.6 |
圧縮比 | 10.8:1 | 10.8:1 |
最高出力(kW[hp]/rpm) | 100[136]/9,500 | 100[136]/9,500 |
最大トルク(N・m[kgf-m]/rpm | 105[10.7]/8,000 | 105[10.7]/8,000 |
トランスミッション | 6速 | 6速 |
タイヤ | 前:120/70ZR17 後:190/50ZR17 |
前:120/70ZR17 後:190/50ZR17 |
0-1/4Mile(約402m)加速 (秒) | 10.7 | 10.9 |
最高速度(km/h) | 275 | 271.3 |
VTR1000SPW HRCワークス鈴鹿8時間耐久仕様 | ||
---|---|---|
全長×全幅×全高(mm) | 2,039×660×1,152 | |
軸距(mm) | 1,220 | |
乾燥重量(kg) | 167 | |
エンジン種類 | 水冷90°V型2気筒8バルブ | |
排気量(cc) | 999 | |
ボア×ストローク(mm) | 100×63.6 | |
最高出力kW[PS] | 132.4[180]以上 | |
トランスミッション | 6速 | |
クラッチ | 湿式 | |
サスペンション | 前 | SHOWA φ47mm 倒立フォーク |
後 | プロリンクSHOWA | |
ブレーキ | 前 | ブレンボφ305mmディスク4ピストンキャリパー |
後 | φ196mm4ピストンキャリパー | |
タイヤ | 前 | 17インチ or 16.5インチ |
後 | 17インチ or 16.5インチ |
まとめ
VTR1000SP-1/2は最大のライバルだったドゥカティ996に競り勝ち、鈴鹿8耐では4年連続で優勝を果たしたホンダ史上最強のVツインスーパースポーツバイクです。
勝つためだけにホンダとHRCが持てる技術とコストを惜しみなく注ぎ込んだ究極のマシン。
しかも、数量限定販売ではない上に、価格も飛び切り高額ではなかったため、ホンダワークスを身近に感じさせてくれました。
レギュレーション上、レースに出場する場面がなくなり、年式的にも徐々にコレクションモデルになりつつありますが、スーパースポーツバイク好きであればVTR1000SP-1/2を知れば知るほど欲しくなる1台ではないでしょうか。
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