ナナハンという愛称で呼ばれ、かつては日本の大排気量車の中心的存在であった750ccのオートバイ達。その勢力図が1000ccのリッターバイクに移ろうとしていた1994年、本田技研工業よりVFR/RC45が発売されました。750ccホンダV4エンジンのヒストリー終焉間際、ワークスマシンと同じ名前をもらった最強のナナハンは、どうして開発されたのでしょうか。ホンダV4エンジン誕生秘話と、RC45へと続く系譜を紹介します。

 

1994 HONDA RVF/RC45 / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

ホンダV4誕生の経緯

 

1980 NR500(1X) V型4気筒エンジン /  © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

1994年に発売されたRVF/RC45は、V型4気筒エンジンを搭載していました。

現代では、当たり前のように”V4”と略して呼称されたりするエンジン形式ですが、遡ること40年、1970年代後半にその形状は斬新で、国内市販車には搭載モデルが存在しなかったのです。

そんな時代に、初めてV4を選択した本田技研工業株式会社のスピリッツと“V4エンジン”誕生の経緯について、まずは紹介していきます。

1969年、国産初750ccの“4気筒エンジン”を搭載して発売された、ホンダCB750Four。

シリンダーが横一列に並んでいる形状の“並列”の4気筒エンジンを搭載したCBは世界最速の地位を手に入れ、同年の鈴鹿10時間耐久レースでも見事優勝を果たすなど、国産大排気量車にとって歴史的な名車の誕生となりました。

一方、ライバルメーカーである川崎重工業株式会社は、1972年秋に同じく高性能“並列4気筒”エンジンを搭載した排気量900ccの、カワサキ”Z1”を米国や欧米諸国向けに発表し、爆発的ヒット。

翌73年には、国内マーケット向けに同じく並列4気筒746ccエンジンのカワサキ750RSを発表し、日本国内でも大きな人気を得ることに成功します。

そして1978年には、ヤマハ発動機株式会社が並列4気筒エンジンを搭載したXS1100の発売開始するなど、1970年代後半にはパラレルフォアと呼ばれた『並列4気筒』を搭載するバイクが、国内4大メーカーすべてにラインアップされている状況となったのです。

そこで、再び本田技研工業らしいアイデンティティーを持った形状のエンジンとは何かが社内的に構想されて、その流れの中で選択されたのが『V型4気筒エンジン』でした。

こうして既に完成の域に達していた“並列4気筒エンジン”の技術を承継し、他とは違う方法でより高性能なオートバイを目指すという、RC45へと続くV4エンジン開発への長い道のりが始まったのです。

 

伝説のロードレースマシンNR500

 

1980年世界GPに参戦するNR500  / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

ホンダV4エンジン誕生には、陰の立役者というべきロードレースマシンが存在します。

1970年代後半、ライバルメーカーは2サイクルエンジン搭載のマシンで世界GPを戦っていましたが、ホンダはあえて4サイクルエンジンを選択。

当時のレギュレーションである”シリンダーが4気筒まで”という上限規定に合わせて、斬新な楕円ピストンに8バルブ機構を取り入れた、4ストロークエンジンの構想を始めたのです。

そして、そのシリンダーを並列に配置すると、エンジン本体の幅が広くなりすぎるという理由と、くわえて原動機特有である1次振動を打ち消すことを目的に、シリンダーを2気筒ずつV型に配置する形状のレイアウトを選択して4気筒エンジンの開発に着手しました。

そんな『NR=New Racing』と名付けられたこの時の開発こそが、現代へ続くホンダのV4伝説の原点だったのです。

1979年、『NR500』と名付けられたV型4気筒エンジンのロードレースマシンは、参戦当初110psを発揮していました。

しかし、目標値である130psに達成する為や、エンジンの耐久性を向上するための開発が続けられ、1982年シーズン終了まで世界グランプリに参戦し続けます。

残念ながら世界GPでは1ポイントも獲得できずにサーキットから姿を消したこのマシンでしたが、その後のV4エンジンに活用出来る研究データの蓄積や、技術的向上に寄与したことは間違いの無い真実です。

 

丸ピストンのRS1000RWそしてV4搭載モデル市販化へ

 

1982年型 RS1000RW / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

1982年のデイトナ200マイルレースにフレディー・スペンサーのライディングで参戦したのが、RS1000RWでした。

このマシンは市販V4モデル販売に先駆けて、通常の丸ピストンを使用したV型4気筒エンジンを搭載してエントリーし、決勝では見事2位入賞を果たします。

そんな高性能V4エンジンの市販化に向けたプロジェクトは、”レース”により開発が行われ、熟成されていきました。

そして1982年春、世界初の水冷V型4気筒エンジンを搭載したVF750マグナ/セイバーを発売。

ロードスポーツモデルとしては1983年にVF750Fが発表され、その後400ccモデルやリッターバイクにもV4エンジン搭載車が登場するなど独特の低い排気音とともに、その存在感を現し始めたのです。

その後1986年には、カムギアトレーン駆動のV4エンジンをアルミフレームに搭載した、VFR750F(RC24)モデルが発売されました。

RC24は、アップハンドルスタイルが特徴のツアラーマシンでしたが、モータースポーツの世界ではデイトナや日本のTT-F1で、V4エンジンの性能の高さから、好リザルトを残しています。

そうして空前のバイクブームと重なり、国内のモータースポーツ人気も高まって、本田技研工業は鈴鹿8時間耐久に合わせてTT-F1クラスにワークスマシン”RVF”で参戦してV4エンジンの実力をみせつけていました。

その一方で、ワークスマシンの性能の高さを懸念する声も高まり、プライベーターやサテライトチームからは、僅かなチューニングでレースに参戦できる市販レーサー的なマシンの発売を期待する声が、徐々に大きくなっていったのです。

 

市販車モデルでレースに勝つ為に開発されたRC30

 

1987年式VFR750R / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

『ワークスマシンRVFをベースにレプリカマシンを製作し販売、ストック状態のそのマシンを使ってプライベーターチームがワークスマシンと対等に戦える』

そんな夢のようなコンセプトを掲げ、発売された市販車が1987年に発売されたRC30と呼ばれるホンダVFR750Rです。

市販車初のチタン製コンロッドを使用したV型4気筒エンジンを搭載し、ワークスマシン譲りの片持ち式スイングアーム、アルミ製燃料タンク、FRP製カウルなど採算を度外視したパーツをふんだんに使用した限定モデルが遂に発売されました。

そんなRC30はその後5年以上に渡って、プライベーターチームやサテライトチームにより使用され、国内外のレースで活躍。

一方でワークスマシンRVFのベースモデルとしても利用されて、メーカーはその開発を進めていったのです。

しかし、1994年シーズンから4ストロークマシンでのロードレース世界最高峰への参戦規定が、それまでのTT-F1から改造範囲の狭いスーパーバイク規定に変更となった事に伴い、RC30のフレームをより進化させたりエンジンなどの潜在能力を高める必要性が生じます。

その流れが本田技研工業に、再びワークスマシンRVFをベースにした新たな高性能市販モデルの開発を始めさせるきっかけとなりました。

 

スーパーバイクレギュレーションの申し子・RC45誕生

 

鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦するRVF/RC45 / (c) Mobilityland Corporation All Rights Reserved.

 

TT-F1からスーパーバイクへのレギュレーション変更に伴い、潜在能力の高さが必要となった750ccのスーパースポーツモデル。

ライバルメーカーの台頭に伴って、本田技研工業も5年先を見据えたポテンシャルアップを考えながらワークスマシンRVFをベースに新型市販車の開発を行っていきました。

そして迎えた1994年、名称もワークスマシンと同じ“RVF”という称号が与えられ、ホンダRC45が発売されたのです。

そんなRC45は、キャブレターからフューエルインジェクション化が行われ、PGM-F1と呼ばれる電子制御を導入。

エンジン回転数、アクセル開度、気温、気圧等の条件に応じ最適な混合比となるように細かなセッティングがなされました。

さらに、フューエルインジェクションの採用により空いたスペースで、カムギアトレインをシリンダーの右端に配置することに成功。

このことにより、エンジン本体をよりフロントホイール側に配置して、操縦安定性の向上をはかっています。

また、1982年VF750Fからずっと踏襲してきたボア×ストロークを初めて見直し、72×46mmに変更してコンロッドの長さを短縮するなど軽量化にも成功。

フレームはRC30と比べて15%の剛生アップ(ねじり剛生20%アップ)を実現しながらも重量は同じにおさえられ、これに合わせて、剛生の高い倒立フロントフォークを採用しています。

そしてRC45は、鈴鹿8時間耐久レースで5勝、全日本ロードレース選手権スーパーバイククラスで3度のタイトル獲得、1997年にはスーパーバイク世界選手権でワールドチャンピオンを手にするなど輝かしい成績を残しました。

1982年に、世界初水冷V型4気筒エンジンを搭載して発売されたVF750マグナ/セイバーから続いていた、本田技研工業750ccV4エンジンの系譜は、RC45のレースでの活躍により華やかに幕を閉じて行ったのです。

 

RVF/RC45 スペック

エンジン:水冷4サイクルDOHC4気筒
排気量:749cc
最高出力:77ps/11500rpm
最大トルク:5.7kg-m/7000rpm
乾燥重量:189kg
タイヤサイズ:F=130/70ZR16 ・R=190/50ZR17

 

まとめ

 

V4エンジンを搭載するRC213V MotoGP参戦車両 / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

1979年、本田技研工業は世界グランプリに楕円ピストン、8バルブの超ショートストロークエンジンを搭載したNR500で復活を果たしました。

そんなNR開発当初、レース活動の目標のひとつに”革新技術の創造”を掲げ、若手開発陣の知識を集結したそうです。

その結果、産まれてきた発想が結果的にVバンク100度4ストローク4気筒エンジンを設計することとなり、実戦投入に向けた開発を進めていきました。

しかし、その道のりは容易では無く、ピストン、シリンダーなどを造る工程から試行錯誤を繰り返し、吸排気系の取り回しを含めて完成までは悪戦苦闘の連続だったといわれています。

しかし、結果的にNR500開発段階で蓄積されたV型4気筒エンジンに対する技術の成果が、1982年に販売された市販モデルに全てフィードバックされる形で報われることに!!

そして、時は流れて公道を走れる市販レーサーの存在が必要になった1987年に、本田技研工業がベース車両として選んだRVFのエンジン形式はやはり”V型4気筒エンジン”でした。

改造範囲が広いTT-F1のレギュレーションで行われた当時のワークスマシンや、契約ライダーの革ツナギには誇らしげに大きな文字で『Force V4』のロゴデザインが入っており、”V4エンジンこそが4ストローク最強である”と観衆に語りかけていたのです。

そんな”750cc時代”の終焉、スーパーバイク時代の幕開けに放ったホンダV4のファイナルウェポンがRC45でした。

国内販売台数500台、販売価格200万円で販売されたRC45の広告には『歓声は私のものだ』という意味深なフレーズが。

1998年、VFR800が発売されることにより市販スポーツモデル750cc V4の歴史は幕をとじる事になりましたが、一度V型5気筒エンジンのRC211Vを経て、ホンダV4テクノロジーは再び引き継がれ、MotoGP参戦車両RC212V(800cc)~やRC213V(1000cc)、市販モデルVFR800Fなどで現在も生き続けています。

 

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