1980年代中盤、ヤマハが真のフラグシップモデルをめざして製作されたRZV500R。RZV500Rはケニー・ロバーツ氏や平忠彦氏が乗ったファクトリーマシン・YZR500の公道向けモデルとして2ストローク・500ccエンジンを搭載したレーサーレプリカ。スズキ・RG500ガンマやホンダ・NS400Rと比較されますが、RZV500Rはどんなバイクだったのか、解説します。
掲載日:2019/12/06
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真のレプリカを目指して作られたヤマハ・RZV500R
ヤマハは創業から2ストロークエンジン搭載バイクを主力に製作し、結果としてレースで連戦連勝する市販レーサーTZを生み出し、2ストロークに絶対の自信を持っていました。
WGP(ロードレース世界選手権|現 MotoGP)・500ccクラスでは、1975年にヤマハワークスマシン・YZR500に乗ったジャコモ・アゴスチーニ氏がヤマハに初のシリーズタイトルを獲得し、ケニー・ロバーツは1978年から3年連続でチャンピオンをもたらしました。
事実上、世界最速バイクとなったYZR500のレプリカを作ろうとして登場したのがRZV500R。
すでにRZ250/350が2ストレーサーレプリカのカテゴリーを切り開き、RZ350の速さには多くのライダーが度肝を抜かされていたいましたが、さらに強烈な加速を生み出す2スト500ccには多くのライダーのあこがれの的でした。
ヤマハ・RZV500Rとは
ヤマハ・RZV500Rは1983年9月のパリショーで輸出仕様車、11月の東京モーターショーで国内仕様が発表。
1984年5月15日に発売され、モデル名は国内販売でRZV500Rですが、欧州仕様は『RD500LC』、カナダとオーストラリアなどでは『RZ500』でした。
アメリカでは当時の排ガス規制をクリアできなかったため輸入が実現せず、生産されたのは1984~1986年の僅か2年のみ。
搭載された500cc・2ストロークV型4気筒エンジンは、海外仕様で88馬力を発揮していましたが、国内仕様で自主規制により64馬力に抑えられていました。
RZV500R発売後、スズキからRG500/400ガンマ、ホンダからNS400Rが登場し、RZV500Rは1980年代の大排気量2ストレーサーレプリカの先駆けとなったモデルでもあります。
RZV500R開発は経営不振から脱却させるカンフル剤だった
RZV500Rの開発は、開発者が純粋にYZR500のレプリカバイクを作りたい気持ちから始動しましたが、ホンダとヤマハで二輪車市場の覇権争いをしていたHY戦争の余波がきっかけになっています。
そして1982年、ヤマハはホンダとの熾烈な販売競争のために、巨額の設備投資や新規雇用を進めていましたが、下期には販売計画を60%も下回り、翌1983年には前年比売上高1,000億円減。
経営利益は144億円減で、最終的に1984年の決済時に経営利益200億円の赤字となります。
そんな中、社員からYZR500のレプリカを作ろうという案が出た際、当時の社長から「こういうモデルこそ、今やらなきゃいかんな」と開発にGOサインが出たのです。
ヤマハ内ではリストラが進み、社員間でも不穏な空気が蔓延するなか、どうすればヤマハが元気になれるか考えたときにYZR500のレプリカというスペシャルモデルを作ることが持ち上がり、社員全体の精神的なカンフル剤になると考えられてRZV500Rの開発は進行しました。
RZV500Rの複雑なエンジン設計
RZV500Rは、ケニーロバーツが乗ったOW61型YZR500と同じV型4気筒エンジンを採用し、片バンクに一つずつクランクを用いた2軸クランクにバランサーを日本のクランク軸の間に挟めるように設置。
車体のホイールベースもOW61と同等の1,375mmに。
また、キャブレター、マニホールド、エアクリーナーを納めるためにVバンクを50度にして、エンジンの小型化に努めていました。
しかし、このエンジンの欠点はかなり複雑な設計で、前後の気筒で吸気方式が異なり、前列2気筒はクランク式リードバルブ、後列はピストンリードバルブという特殊なレイアウトでした。
キャブレターの吸気ダクトを左右で分けることで、混合気がL字型のマニホールドを通って混合気がシリンダー内に吸入。
エンジンの前2気筒と後ろ2気筒はそれぞれ別の人が開発を担当。
前と後で全く違う特性のため、シリンダーそれぞれの爆発の順を統制し、安定したアイドリングやアクセルを開けたときのカブることなく吹け上がるセッテイングが出せるまでには、かなりの試行錯誤が続きました。
しかし、そこにRZ250/350やTZR250に採用された、エンジン回転数に合わせた排気タイミングを制御するデバイス『YPVS』を採用したことで、ヤマハならではのスムーズな吹け上がりを実現。
ヤマハ2ストの最高峰と言える性能を誇るモデルになりました。
ヤマハ量産車初のアルミフレームに専用タイヤ搭載、販売は僅か2年のみ
RZV500Rのフレームはスチール製で開発を進めていましたが、国内向けでは馬力を下げなくてはならず、それを軽量化により補うために、国内仕様のみアルミフレームを搭載することにふみきりました。
とは言っても当時、ヤマハにとってアルミの量産フレームは初で、溶接などのノウハウは全くありません。
そのため、海外販売よりも国内販売は半年遅れますが、それでもアルミフレームを搭載したことによりYZR500に近い質感を実現します。
また、フロントタイヤの操作性を向上させるために前タイヤには16インチホイールを使用。
最高速230km/hでも耐え得るタイヤが必要になったため、タイヤはRZV用に専用開発されたものでした。
このように、車体のほぼすべてがRZV500R専用に開発されたため、価格は82万5,000円と当時の750ccよりも高額な設定。
また、当時は大型二輪車免許の取得が一発試験しかなく、乗れる人が限られてしまっていたことから、生産期間中の国内販売は3,700台。海外では10,200台弱にとどまり、僅か2年しか販売されませんでした。
スペック
ヤマハ・RZV500R | ||
---|---|---|
型式 | 51X | |
全長×全幅×全高(mm) | 2,085×685×1,145 | |
ホイールベース(mm) | 1,375 | |
シート高(mm) | 780 | |
乾燥重量(kg) | 173(海外仕様:177) | |
エンジン型式 | 51X | |
エンジン種類 | 水冷2ストロークV型4気筒ピストンリードバルブ | |
排気量(cc) | 499 | |
内径×行程(mm) | 56.4×50.0 | |
圧縮比 | 6.6:1 | |
最高出力(kW[PS]/rpm) | 47[64]/8,500 (海外仕様:63.7[88]/9,500) |
|
最大トルク(N・m[kgf・m]/rpm) | 56[5.7]/7,500 (海外仕様:65.7[6.9]/8,500) |
|
トランスミッション | 6速 | |
タンク容量(ℓ) | 22 | |
タイヤサイズ | 前 | 120/80-16 |
後 | 130/80-18 |
海外仕様RZV500R 性能 | |
---|---|
1/4マイル(約97m)加速 | 11.7秒 |
最高速度 | 238km/h |
燃費 | 27.5mpg(17.0km/h) |
まとめ
RZV500Rは販売台数が少なかったことや生産期間が短ったことから、失敗作ではないかと思われますが、そんなことはありません。
初期プロジェクトリーダーの橋本秀夫氏は、「売れるとか売れないとか考えてなかった」と語り、それよりも業績が傾いた会社を盛り上げために、社員全員が誇れるバイクを作り出す事がいることが重要でした。
当時のヤマハ社員や販売店が「2ストはヤマハが一番だ」と自信をもって送り出せるバイクが、RZV500Rだったのです。
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