1980年代、ヤマハRZ250が衝撃デビューすると同時に本格的に2ストロークエンジンのオートバイブームに火が付きました。1980年代後半、バブル景気と共に空前のレースブームが巻き起こり、それに乗って、まるでWGPや全日本ロード選手権を走るレーサーがそのまま公道を走っていると思わせる、レーサーレプリカの時代が訪れました。その中でも、もはや伝説と言われるオートバイ、NSR250Rを歴史的背景と共にご紹介していきます。

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打倒TZRNSR250Rの誕生

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BBNSR250R

1983年、WGPでホンダはそれまでの4ストローク500ccエンジンのNR500を捨て、2ストロークエンジンのNS500を投入。フレディー・スペンサーにより年間チャンピオンを獲得するなど、レース部門で大きな成功を収めていました。

その一方で市販車の4ストローク部門では、CBX400FVT250Fの圧倒的ヒットを得て成功を収めていたものの、2ストローク部門では750キラーと呼ばれたヤマハRZ250350に大きく差をつけられていたのです。

当時HY戦争と呼ばれる熾烈な販売競争の中、さらにヤマハに差をつけるべく2ストローク部門に2ストローク3気筒のMVX250Fを投入するも、排気煙の多さ、焼き付きなどの機能的な問題が発生、同時期に発売されたフルカウル・アルミフレームのRG250γの人気に押され失敗に終わります。

その後1984年にはNS250F/Rを発売、翌1985年にはNS400Rを発売する事によって販売数は互角となりました。

しかし、1986年にヤマハよりTZR250が発売され、そのスタイリングと性能から圧倒的な人気を得ます。

レースシーンでもSPクラス、F3クラスはTZRのワンメイクかと思うほどサーキットを埋め尽くし、圧倒的強さを誇りました。

ホンダは2ストロークの部門で、またもや水をあけられてしまいます。そんな中、打倒TZRを目指し、ついに発売されたのがNSR250Rだったのです。

新設計の目の字断面のアルミツイン・スパーフレームに、NSシリンダーと呼ばれるニッケルメッキシリンダーのクランケースリードバルブの90°Vツイン水冷2ストロークエンジンを搭載し、排気デバイスRCバルブの恩恵も大きく、低速から高回転までパワフルなエンジンで、レーサー直系RS250をそのまま公道にスケールダウンしたようなオートバイでした。

型式MC16と呼ばれるNSR250RJは各部にHONDA RACINGの刻印が各部に見られ、RS250などのレース車両とパーツ設計を統一するなど、ホンダの本気度は半端ではありませんでした。

1985WGPにおいて、フレディー・スペンサーがNSR500NSR250を駆り、両クラスにて年間チャンピオンとなるWタイトルの偉業を成し遂げた事も後押しをして、1986年に発売されたNSR250Rは抜群の速さで、SPクラス、F3クラスのレースでも真価を発揮し、圧倒的人気となりました。(余談ですが、NSR250RNSRNew Sprinter Racingの略ですがレーサーNSRNew Sprint-racer of Reserchの略で意味は異なります。)

ドッグファイトレーシング・城北ホンダオート(Jha)などレーシングチームから、社外のスペシャルパーツが多く販売され、特にチャンバーはその性能を劇的に向上させるもので、改造の定番となり多くのライダーの憧れともなりました。

カラーリングはファイティングレッドとテラブルー(全日本味の素ホンダレーシングのテラカラー)の二種類が発売。

現在の中古相場は20万~45万程度です。

基本スペック

型式:MC16
エンジン:MC16E 水冷2サイクル・ケースリードバルブ90度Vツイン
排気量:249cc
最高出力:45ps/9500rpm
最大トルク:3.6kg-m/8500rpm
フレーム:ダイヤモンドフレーム
全長:2035mm
全幅:705mm
全高:1105mm
サスペンション:Fテレスコピック Rスイングアーム(プロリンク)
ブレーキ:Fダブルディスク Rシングルディスク

1986年に誕生したNSR250。

次のページでは、NSR史上最強とも言われる88(ハチハチ)から最終型まで、一気に振り返ります!