125cc市販ロードレーサーとして29人の全日本チャンピオンを、さらに世界GPにおいては9人のGP125チャンピオンを輩出した2ストロークエンジン搭載の日本製マシンが存在しました。日本の二輪販売台数がピークに達する1980年代初頭、プロレーサーを目指すアマチュアライダーの為に、そしてプロフェッショナルを目指すコンストラクターズに対し、ホンダが放ったRS125Rをご紹介させて頂きます。

 

1983年式 RS125R-W / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

125ccの市販ロードレーサー

 

1984年式 RS125R-W / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

ロードレースの世界では、オートバイ製造メーカーが競技者の為に市販するレース専用のオートバイのことを『市販ロードレーサー』と呼びます。

レースには不必要な保安部品は装着されておらず、一般公道では走行することが出来ません。

あくまでレースに参加する為のオートバイであり、一般の方にはあまり馴染みのない存在だと思います。

しかし、そんな市販ロードレーサーの中にもベストセラーモデルは存在するのです。

今回は、30年以上に渡って販売された実績があり、1万人以上のライダーが競技に使用したといわれている、ホンダの名車『RS125R』についてご紹介させて頂きます。

まず最初に、小排気量125ccクラスにおける日本のロードレースの歴史に少し触れてみましょう。

1973年 ヤマハは、市販ロードスポーツバイクAX125のダイヤモンド鋼管フレームに空冷125cc・2ストローク2気筒エンジンを搭載した”市販ロードレーサーTA125”の発売を開始しました。

一方、ホンダは社内チームが4ストロークエンジンの市販車CB125JXをベースにしたマシンで参戦し、全日本ロードレース選手権125ccクラスチャンピオンを獲得します。

1974年 ヤマハは2ストローク2気筒の新型ロードレーサーを投入。

対するホンダ陣営は、社内チームが2ストローク単気筒の市販モトクロッサーCR125Mをベースに参戦を続けていました。

1976年 ホンダは、CR125Mをベースに開発された”市販ロードレーサーMT125R”のリリースを開始します。

MT125Rは、キットパーツにより水冷化された単気筒エンジンを武器に、軽量コンパクトな車体でライバルを引き離すことに成功し、全日本ロードレース選手権125ccクラスで見事チャンピオンを獲得。

1977年 ヤマハ陣営は、水冷単気筒の”ワークスマシンYZR125”を投入し、MT125Rの活躍の阻止を目指しました。

1980年 全日本ロードレース選手権125ccクラスに対するメーカー同士の開発争いがピークに達したこの年、ホンダは市販ロードレーサー『RS125R-W』を発売して全日本ロードレース選手権の制覇を目指します。

 

全日本ロードレース選手権制覇から世界グランプリの勝利を目指して

 

1990年式NF4型RS125R/  © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

それでは、ホンダ RS125Rの輝かしいレース活動について、順にご紹介していきます。

当初から、全日本ロードレース選手権の制覇を目指して開発されたRS125R-Wは、2ストローク単気筒の市販モトクロッサーCR125Mのクランクケースにオリジナル水冷シリンダーを組み合わせたエンジンをMT125Rのフレームを発展させた車体に搭載した、本格的なロードレースマシンです。

1980年に全日本ロードレース選手権への参戦を開始してから三年連続チャンピオンを獲得し、ライバルのヤマハ陣営に勝利しています。

そして1984年に、排気デバイスATACとNSシリンダーが採用され、これを機に”RS125R”に車名変更が行われました。

ライバルのヤマハ発動機が1983年シーズン終了と共に125ccクラスへの参戦を中止した為、全日本ロードレース選手権の125ccクラスは実質”RS125R”のみで争われる状態がその後約10年間続きます。

転機が訪れたのは、1987年のことでした。

1988年シーズンより世界GP125ccクラスのレギュレーションが、それまでの2気筒から単気筒に変更される事が発表されます。

これに合わせて世界で勝つことに照準を合わせたNF4型RS125Rを登場させ、ホンダは日本を飛び出して1987年の”世界GP”にフル参戦を開始したのです。

NF4型RS125Rは新設計のアルミニウム製『ウルトラ・ライト・フレーム』が採用され、コンパクトな車体造りを目指して開発されました。

小排気量の50cc、80ccクラスのGPマシンの発想を元に重心を高くすることによりライダーの動きがマシンに伝わりやすく設計されていて、上下の厚みのないデザインが特徴です。

そして迎えた1988年シーズン。

参戦2年目にして、ジアノーラ選手が世界グランプリGP125ccクラスでランキング2位を達成。

翌1989年には、ハンス・スパーン選手が6勝するなど活躍したことでアプリリア、ガレリ等の老舗メーカーを押しのけてホンダがコンストラクターズチャンピオンを獲得します。

また、1990年にはRS125R同士のチャンピオン争いを制したロリス・カピロッシ選手が11勝してNF4型を見事チャンピオンに導くことに成功しました。

1990-RS125R 主要諸元

2サイクル水冷単気筒エンジン/総排気量124cc/ボア54mm×ストローク54.5mm

最高出力38ps/12000rpm  最大トルク2.3kgf・m/11500rpm

バルブ方式:ケースリードバルブ 点火方式:CDI  キャブレター:ケーヒンPJ36パイ

ホイールベース:1260mm   最低地上高:110mm  重量:半乾燥 68.5kg

サスペンション:F テレスコピック /R:スイングアーム・シングルサスペンション

 

世界を転戦した坂田和人選手の右腕・坂田明彦氏に聞く”NF4型”RS125R

 

全日本筑波・NSF250Rをライディングする世界GP125ccクラスチャンピオン坂田和人選手 / Photo by TEIJI KURIHARA

世界GP125ccクラスの1991年シーズンは、前年度の全日本ロードレース選手権GP125クラスチャンピオンの坂田和人選手が参戦を開始するなど、RS125Rでの日本人ライダーの活躍が目立つ年となりました。

坂田和人選手は、その後三年連続して”NF4”型RS125Rで世界グランプリに挑戦し続け、1993年にはF.C.C Technical Sports-HONDAから参戦してランキング2位を獲得。

94年から98年にかけてはイタリアのメーカーアプリリアで参戦し、94年と98年の二度に渡ってロードレース世界選手権GP125クラスの世界チャンピオンに輝いています。

現在ではMotoGPのテレビ解説などでもお馴染みの坂田和人選手ですが、2018年7月1日に開催された全日本ロードレース選手権の筑波大会 J-GP3クラスに『Mistresa・MuSASHi sc/TC』より、13年ぶりに参戦。

そのメカニックは、坂田和人選手の世界グランプリ参戦を常に支えていた、実弟にあたる坂田明彦氏が担当していました。

その坂田明彦氏に、世界GP参戦当時のRS125Rに関する貴重なお話や、2ストロークマシンと今回参戦した4ストロークマシンNSF250Rとの違い等についてメカニックの目線で語って頂き、興味深いお話を伺う事が出来たのでご紹介致させて頂きます。

 

貴重なお話を語っていただいた坂田明彦氏/  Photo by TEIJI KURIHARA

 

ホンダRS125R『NF4』とアプリリア125ccの違いについて

1994年は、ホンダRS125Rの方がアプリリア125ccよりストレートスピードは速かった印象があります。

勿論、スリップストリームとかがあるので何ともいえない点はあります。

キャブレターのセッティングという点では、アプリリアのデロルト製よりも、ホンダのケーヒン製キャブレターが出しやすかったです。

また、エンジンの吸気バルブ方式はアプリリアがロータリーディスクバルブ、ホンダがリードバルブという点が異なっています。

アプリリアの採用していたロータリーディスクは吸入を一度完全に閉じる為、その間はガソリンが全く入ってこないということが難点でした。

エンジンにしてもシリンダーにしてもイタリア製で精度があまり良くない為に、アプリリアはエンジンが焼き付きやすかったという印象がありますが、ホンダRS125Rで焼き付いたことは一回もありません。

車体についてはNF4に比べればアプリリアの方がコーナリングの自由度が高く、優位性があった様に感じます。
ただし、1995年以降のNX4になってからはその差は希薄になってきた感じはありました。

総合的にマシンの優越をつけるというのは難しい問題で、レースではサーキットのラップタイムの速い方が結果的に優れた良いマシンとなります。

さらに、車体が良いといわれていてもセッティングが駄目なら負けてしまうので、最終的にはチームの総合力が問われます。

レースの世界では、優れていると言われているバイクが存在していたとしても、次に異なるメーカーのバイクがレースで勝てば、そちらのマシンがより優れているという事になってしまうのです。

 

2サイクルマシンRS125Rと4サイクルNSF250Rの違い

2サイクルマシンと4サイクルマシンを比べて、運動性能が高いのは2サイクルマシンです。

理由は車体の軽さからくるもの。

動いている物は、動き続けようとする力が働くので、車体が重いとブレーキングひとつを例にとっても車体が前へいく感じがより強くなってしまい難しくなります。

ただし、どんな重さのバイクであろうがライダーの乗り方に合わせてセッティングさえ出してあげれば、マシンの重さも問題ではなくなるのです。

4サイクルマシンの方がエンジンのセッティングを上手く出さないと、車体のセッティングは出しにくい傾向にあると感じました。

4サイクルエンジンだとエンジンブレーキがかかり、コーナーの進入でリアが入り込むので、その後フロントが動き始めたりします。

2サイクルだとエンジンブレーキが無いため、その点が大きく異なります。

エンジンブレーキの効かせ方の好みはライダーによって異なるので、4サイクルエンジンではエンジンブレーキの効かせ方を調整してセッティングを詰めてていきます。

 

RS125Rについて

バイクとしての完成度は低いと思います。

何故なら各チームがオリジナルのパーツで色々変更する必要があるからです。

逆にいえば、自由度が広く造ってあるから参戦チームが色々いじることが出来るということになるので素材としては、とても良い車両です。

ただし、それをライダーとメカニックで仕上げる共同作業が必要です。

どんなレースでもいえるのですが、メカニックの仕事はライダーの要求に応えること、そしてライダーの要求が無ければメカニックは応えることが出来ないので、要求の出来るライダーの存在が必要になってきます。

昭和電機モータースポーツ坂田和人さんが全日本第5戦筑波大会にスポット参戦

 

全日本参戦ライダーに聞く型式”NX4″RS125R

 

ゼッケンナンバー34、CLUB Y‘s & J 村田憲彦選手 / Photo by TEIJI KURIHARA

 

1995年RS125Rは、“NX4”モデルとして大幅なモデルチェンジが施され、登場しました。

長年使用してきたCR派生のクランクケースを使わず完全専用設計となったエンジンは振動が抑制され、プロリンクサスペンションを採用した車体は曲がりやすく軽量化にも成功しています。

そんな2ストロークマシン型式“NX4モデル”のRS125Rで、地方選手権、エリア選手権、全日本ロードレース選手権と約10年に渡りレースに参戦、ブランクを経て2018年に全日本ロードレース選手権J-GP3クラスにフル参戦を再開した一人のライダーが存在。

それは、ゼッケンナンバー34、CLUB Y‘s & Jからエントリーしている村田憲彦選手です。

そんな村田選手に現在、使用している4ストローク250ccマシンNSF250Rと2ストロークマシンRS125Rの違いについてライダー目線でお話を伺う事ができました。

 

2005年ウエストエリアGP125チャンピオンの村田憲彦選手 /  Photo by TEIJI KURIHARA

 

メンテナンスの面では、現在の4ストロークマシンより2ストロークのRS125Rの方が大変でした。

毎レース後に、シリンダーヘッドを開けて様子をみたりピストンの掃除をまめに行ったり・・・。

ライディングに関しては、2ストロークはエンジンブレーキが効かないのでコーナリングスピードを上げやすかった印象があります。

エンジン回転を落とさないでそのままコーナーに進入し、立ち上がりは半クラッチを少し使ってライディングしていました。

筑波サーキットに関していうと、パワーバンドの狭いRS125Rでは6速ギアまで使い切ってギア比を合わせていましたが、4ストロークマシンのNSF250Rでは最終コーナー手前で5速ギアに入れる感じで合わせてセッティングしています。

雨天走行では、イニシャル変更で両マシン共に対応出来て、ライディングも殆ど同じ乗り方をするのですが、RS125Rでは回転が落ちたときのコントロールがとても難しく、NSFのほうが走らせやすい傾向にあると感じています。

サスペンションやタイヤの進化などがあり何ともいえないのですが、”NX4”型RS125Rはライダー自身が速くなければ、レースでは速く走らせることが出来ないバイクであったと思います。

あの時代・・・2ストローク全盛の時代にRS125Rで走ることは本当に面白かったです。

CLUB Y’s GP125

 

まとめ

 

鈴鹿サンデーロードレースJ-GP3クラスに1台参戦中のRS125R / Photo by TEIJI KURIHARA

 

80年代の熱狂的なバイクブーム、1987年に20年ぶりに開催された日本グランプリなど、日本経済のバブル景気と重なって多くの若者がレーサーを志し、合わせてバイクのチューナー、エンジニア達がそれを支えてモータースポーツが徐々に日本に花開いていきました。

当時、ロードレーサーとして中心的な役割を果たした、1990年式のRS125Rのメーカー希望小売価格は77万円。

しかし、そのオートバイはあくまで素材であって、オプションのスプロケット、キャブレターパーツ、フロント、リアのスプリングパーツでライダー自身がセッティングしていく必要があったのです。

さらにホンダは、シリンダーの加工や吸排気系の見直しなどアフターパーツメーカーやコンストラクター達にもあえて変更や開発の余地を残し、欧米諸国のようにレース文化の熟成を狙っていました。

しかし、大気汚染、環境問題により2ストロークエンジン廃止の流れを受けて、2009年にRS125Rはその生産を終了。

多くの若者に夢を与え、そして沢山のエンジニアがより腕を磨いた125ccの小さくて偉大なマシン。

それが『RS125R』だったのです。

 

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