1980年中盤に登場したCBR400Rは、ホンダが400ccクラスで初めてエアロダイナミックスを最重要視して開発したスポーツバイクでした。CBRシリーズに初めてカムギアトレーンやアルミ製ツインチューブフレームが採用され、ライダーとバイクの一体感を追求した近未来フォルムが当時としては斬新で、後に登場するスポーツバイクに大きな影響を与えています。
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空力設計に重点をおいた近未来フォルム、ホンダ・NC23型CBR400R
ホンダ CBR400R(NC23型)は、シリーズで初めて水冷化されたCBRとして1986年にデビューしました。
当時はレーサーレプリカ全盛期、水冷化によってCBR400シリーズも遂に本格派レーサーレプリカの仲間入りを果たすかという噂もありましたが、蓋を開けてみれば400ccレーサーレプリカはVFR400R(NC21型)が担当し、CBR400Rはツアラー向けの快適仕様で登場しました。
これは先代モデルのCBR400Fが、CBX400に続くレーサーバイクのベース車両として多くのライダーから支持されたモデルだった為で、当時のCBR400フリークにとって少し残念なモデルチェンジだったかもしれません。
そんなCBR400Rの大きな特徴は、エアロダイナミクス性能を重要視したデザイン。
車体全体を包み込むフルカバードカウルや、ホイールの約4分の1を覆うフロント/リアフェンダーや独特のミラー形状などを採用し、それまでの400ccクラスと比較しても非常に珍しく斬新なものでした。
また、並列4気筒カムギアトレーンが奏でるモーターのようなエンジンサウンドは、同じくカムギアトレーンが採用されてV型4気筒エンジンを搭載するVFR400Rのものとは異なり、新しい技術を詰め込んだニュージェネレーションモデルでした。
ホンダ・CBR400Rとは
ホンダ CBR400R(NC23型)は、1986年7月15日に発売された400ccのスポーツバイクです。
83〜86年まで生産されたNC17型の『CBR400F/エンデュランス/フォーミュラ3』の後継モデルとして登場し、約1年半の生産期間後、NC23型の型式をそのままにモデル名を変更し『CBR400RR』へとフルモデルチェンジされました。
また2005年には、並列2気筒エンジンや鋼管ダイヤモンドフレーム形状へと刷新されたCBR400RがNC47型となって復活を果たし、現在も新車ラインナップにその名を連ねています。
高回転型エンジンとエアロダイナミックス
1980年中盤、各メーカーの400ccスポーツバイクはエンジンの水冷化と車体のフルカウル化が一気に行われ、レーサーレプリカバイクで主流となるアルミ製ダイヤモンドフレームが採用されるようになります。
また、エンジンを水冷化することで冷却能力が向上し、これまでの空冷エンジンに比べて高回転かつハイパワーを実現。
その代償としてエンジン外部への発熱量が増し、ラジエーターを通過した熱風が噴き出してくるため、夏場などはライダーが汗だくになりながら操作し、エンジン熱を吸収したアルミフレームに触れて火傷してしまうことも頻繁にありました。
そこでホンダは、ライダーの快適性を重視した上で空力に着目し、エアロダイナミックスによってライダーへの負担を軽減させることを目指したのです。
そしてフロントカウルやタンク、シートカウルだけでなく、ミラーやフロント/リアフェンダーまで車体全体で考慮された、『近未来フォルム』と呼ばれるエアフォルムを採用し、ライダーとバイクの一体感を演出。
実際にエンジン熱からライダーを守るために、エンジンはタンクとフロントカウルで埋めるように覆われ、空気抵抗の低減はもちろん、フェアリング内部の空気をダイレクトに車体後方へ流して、ホンダ独自のツアラーバイクの価値観を表現しました。
モリワキレーシングがCBR400RでTT-F3クラス出場
前田忠士選手、87年全日本TTF-3、CBRエアロのエンジンをZ型フレームに搭載したゼロZ400を駆る。 #毎月19日はモリワキの日 pic.twitter.com/9k3tR8LjFB
— Yoshikatsu Ushijima (@Yoshiatc) 2018年5月19日
NC23型CBR400Rは、1986年7月~1987年12月のわずか1年5ヵ月しか生産されなかった上に、ホンダ内の400ccレーサーレプリカポジションはVFR400Rが担っていたので、CBR400Rで出場しているライダーは少数派でした。
そんな貴重な少数派のうちのひとりがモリワキレーシングチームでした。
同チームは1987年の全日本ロードレース選手権TT-F3クラスに、CBR400Rを投入。
前田忠士選手がシーズン12位を獲得し、チームメイトの福本忠選手も16位を記録しています。
ちなみにこのシーズン、ホンダワークスマシンにあたるRVF400の乗っていたライダーは、チームHRCの田口益充選手でシリーズチャンピオンを獲得。
チームHRCの山本陽一選手が3位、ケンウッド・チーム・ブルー・フォックスの阿部直人選手が7位という結果で、プライベーター勢がCBR400R(または2ストのNSR250)、ワークスチームがRVF400という構図でしたが、やはりワークスマシンに優ることはできませんでした。
ホンダ・CBR400Rのスペック
1986年式 ホンダ・CBR400R | ||
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型式 | NC23 | |
全長×全幅×全高(mm) | 2,015×685×1,095 | |
ホイールベース(mm) | 1,380 | |
シート高(mm) | 765 | |
乾燥車重(kg) | 165 | |
タンク容量(リットル) | 16 | |
エンジン種類 | 水冷4ストローク並列4気筒DOHC16バルブ | |
総排気量(cc) | 399 | |
ボア×ストローク(mm) | 55.0×42.0 | |
圧縮比 | 11.0:1 | |
最高出力(kW[PS]/rpm) | 43.3[59]/12,500 | |
最大トルク(N・m[kg・m]/rpm) | 37.2[3.8]/10,000 | |
トランスミッション | 6速 | |
タイヤ | 前 | 100/80-17 52H |
後 | 130/70-18 63H | |
価格(円) | 669,000 |
まとめ
1982年までは、フロントカウルのような空力目的の付加物は暴走行為を助長しかねないとして装着が認められていませんでしたが、1983年に解禁。
ホンダでは『CBR400Fエンデュランス』からカウルが装着されるようになりますが、当時は空力というより2スト250ccや4スト400ccのTT-F3レーサーに似せることが重視されていました。
しかしCBR400Rへのフルモデルチェンジをきっかけに、ホンダは400ccクラスにおいて初めてエアロダイナミックス開発に注力。
輸出モデルのCBR1000Fや国内仕様のCBR750スーパーエアロでも、CBR400Rに似たカウル形状が採用されています。
また、高速走行が多くツアラー需要の高い欧米では、当時から既にバイクにおいても空力効果が重要視されており、ホンダは国内仕様のツアラーバイクにも走行安定性やライダーの疲労軽減のためのエアロダイナミックス開発の重要性を唱えていました。
しかしジェントルな雰囲気のCBR400Rは、当時の若者からあまり支持されず、VFR400Rの人気に隠れ、日の目を浴びることはありませんでした。
それでもCBR400RをレーサーレプリカへとフルモデルチェンジさせたCBR400RRが大ヒット。
そのベースモデルであることが、CBR400Rもスポーツバイクとして高次元のレベルにあったことの証といえます。
結果としては、やっぱりレプリカのほうが良かったという見方もできますが、バイクが高速化するにつれ、空力効果がバイクの運動性能に大きく影響与え、カウル形状が大きく変わっていったことを考えれば、CBR400Rは時代を先取りしすぎたモデルといえるでしょう。
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