いまや、クルマなくてはならないアイテムの1つとなったカーナビ。日本初のカーナビは、1981年に登場します。「1981年?その当時からGPSってあったの?」いえ、ありません。しかし、そこはモノ作り大国ニッポン。GPSに頼らない方式で、いち早く商品化されました。そんなカーナビのようにクルマには多種多様なメカニズムが搭載されていますが、ここでは「世界初!日本初!〇〇〇搭載!」の謳い文句で登場したクルマとそのメカニズムをご紹介します。
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足回り、エンジン編
4輪ディスクブレーキ
ディスクブレーキは現代のクルマではごくフツーの標準装備ですが、1960年代まではレース車両ぐらいにしか採用されておらず、ドラムブレーキが主流の時代でした。
そんな中、トヨタ初のピュアスポーツカーとして1967年に登場した2000GTには、日本初の4輪ディスクブレーキが搭載されます。
そして4輪ディスクブレーキは高い制動安定性を誇り、世界水準の高性能グランツーリスモとして2000GTを位置づけました。
しかし、トヨタ 2000GTは決して量産車ではありません。
では量産車で日本初の4輪ディスクブレーキ装着車はというと、なんと伏兵、初代スバル レオーネ 1400RXでした。
そんな背景もあり、古き良き時代を知るスバリストにとって”RX”は、特別なグレードなのです。
アジャスタブルショックアブソーバー
アジャスタブルショックアブソーバーは、クルマの乗り心地を運転席のスイッチひとつで変えることが出来る装備で、1981年発表の6代目日産スカイライン(R30型)に「フットセレクター」の名称で世界に先駆けて採用されました。
それにより、市街地などの一般走行では乗り心地重視のソフトな減衰力、高速走行などでは操縦安定性重視の高い減衰力をドライバーが任意で切り替えられます。
それ以降、アジャスタブルショックアブソーバーは、各メーカーのミドルクラス以上のクルマには標準装備されるようになりました。
日産とホンダの4WS
1985年発表の7代目R31スカイラインに搭載され、世界で初めてアクティブに後輪を操舵するメカニズム。
それが、日産の放ったHICASです。
HICASはタイヤそのものを位相させるわけではなく、サスペンションのラバーマウントに対して作用させるものであり、コーナリング時の横Gを検出し、電子制御により最大0.5度までの同位相操舵をするというもの。
時速30㎞以下では作動せず、言うなればスポーツ走行に寄った4WSです。
それに対して、1987年発表の3代目ホンダ プレリュードの4WSは、ハンドル操舵角に対応して前輪の同位相から逆位相まで、そして後輪の舵角方向と切れ角を連続的に変化させるという世界初の機械式舵角応動型4WS方式が採用されました。
4WDの祖、スバル
4WDが運動性能向上と安全性に寄与することに早い時点で目を付けたスバルは、乗用タイプ4WDの量産車として、1970年にレオーネをデビューさせます。
このレオーネにより、今日の4WD隆盛の基礎は築かれました。
ATは無段階変速へ進化 CVT
日本では、AT車に多く搭載されているCVT。
CVTの世界初搭載車となったのは、1987年デビューのスバル ジャスティです。
3速ATが主流だった時代に、電子制御電磁クラッチとスチールベルト・プーリーの組み合わせによる画期的な無段変速トランスミッションの実用化がなされました。
そして現在の日本では、エネルギー効率や加速フィールなどに賛否はあるものの、2000cc以下のクラスに広く普及しています。
TURBO初搭載は日産
日本初のターボ搭載車といえば、おぼろげながら「スカイライン ジャパン(5代目スカイライン)」と答えてしまう方もいるかもしれませんが、それはTVドラマ「西部警察」に登場する「マシンX」の影響かもしれません。
日本初のターボエンジン搭載車は、その前年1979年デビューの5代目セドリック/グロリア(430型)が最初であり、スカイライン ジャンパンへの搭載は1980年となります。
エンジンは日産伝統のL型エンジンをターボチューンしたL20ET型。
この年あたりから、「トヨタ・ツインカム軍団 VS 日産・ターボ軍団」の様相となり、日産のターボ車に乗るドライバーは「逆文字TURBOステッカー」をフロントバンパーに貼るのがお約束になっていました。
可変バルブ機構は三菱から
エンジンの吸排気バルブを開くタイミングやリフト量を可変制御する可変バルブ機構は、現代も多くのクルマに採用され、低燃費と高出力を両立させています。
日本では1984年、三菱自動車から発表された可変バルブ機構付G63B型シリウDASH3×2(インタークーラーターボ)エンジンが最初です。
「DASH3×2」というネーミングは「Dual Action Super Head」、3×2は高回転で3バルブ、低回転では2バルブで可変駆動するということから命名されました。
そしてスタリオンと5代目ギャランに同時搭載されたこのエンジンは、SOHCながら200ps(グロス値)を誇り、国内で過熱していた馬力競争に拍車をかけます。
安全・快適装備編
エアバッグ
安全装備の代名詞であるエアバッグ。
日本初のSRSエアバッグの搭載車は、ホンダの初代レジェンドです。
運転席側のみですが、1987年に発売されたモデルから搭載されました。
アンチロック・ブレーキ・システム(ABS)
現在、新車で販売されるクルマには装着が義務付けられているアンチロック・ブレーキは、1971年発売の初代プレジデントにオプションで設定されたのが最初です。
当時は略称もABSではなく、E.A.L=ELECTRO ANTILOCK SYSTEM。
このE.A.Lの特徴は、ブレーキ油圧の強弱、ON/OFFを駆動輪である後輪に対してのみ作動させること。
まずは、リアが滑ることによるスピンを回避することが優先されていたようです。
余談ですが、この初代プレジデントにはリモコンミラーも日本初の装備として採用されました。(フェンダーミラーをワイヤーでリモートコントロールする機構)
その後、時は流れ日本初の電子制御4輪アンチロック・ブレーキ搭載車は、1982年に登場したデートカー、2代目ホンダ・プレリュードです。
当時はABSとは言わず、「4wA.L.B.」と呼ばれていました。
クルーズコントロール
高速道路などの巡行時に、とても重宝するクルーズコントロール。
その歴史は意外に古く、日本初のクルーズコントロールは「オートドライブ」と言う名前で1964年発表のクラウンエイトに搭載されました。
このクラウンエイトは、クラウンから派生したV8エンジン搭載のモデルであり、センチュリーの前身となります。
クルーズコントロールの他、当時としてはかなり先進的な油圧のパワーステアリングや電動パワーウインドーなどの”オールパワー仕様”をウリに贅沢な快適装備が搭載されていました。
ユニークな最初期のカーナビ
1981年に日産とホンダからカーナビの原型と呼ぶべき装備が登場します。
共通した特徴は、GPSなどに依存せず、自律航法で自車の位置を算出していることです。
まずは、日産の6代目R30スカイラインに搭載された「ドライブガイドシステム」。
センターコンソールにある専用ユニットに、出発地と目的地までの方向と距離をインプットすると、インパネ中央にあるインジケーターに目的地の方向と残りの直線距離が表示されるというものです。
この方式は地磁気方式と呼ばれ、方位センサーがその要であり、方位センサーはトランクに鎮座していました。
この方式で得られる情報はあくまで目安であり、ナビというよりは名実ともに「だいたいを示すガイド」といったほうがい以下もしれません。
また、地磁気の強さは常に一定ではなく、時に乱れるので、否が応でも精度に影響を及ぼします。
そこでホンダは、さらに一歩も二歩も進化させた、現代のカーナビの祖ともいうべき世界初の地図型ナビゲーション、「エレクトロ・ジャイロケータ」を登場させます。
その作動原理の要はジャイロセンサーです。
ジャイロセンサーは地磁気など外界の要素に左右されることなく、姿勢の変化で生じる角度差を自律的に算出することが可能。
そしてもう一つの要が、透明な専用の地図シートで、ブラウン管モニターの上面に地図シートをセット(手動)すれば、ブラウン管上に走行軌跡が表示される仕組みとなっていました。
あとは自車の移動量をタイヤの回転数から算出することが出来れば、走行経過と現在位置が地図シート上で極めて正確に確認できます。
そんなエレクトロ・ジャイロケータはアコード/ビガーにオプション搭載され、ちょっとしたセンセーションを巻き起こしました。
ちなみに値段は299,000円。
高額ですが、その値段に相応しい充分なステータスが感じられます。
その後、月日を経てマツダと三菱電機の共同開発により、世界初のGPS方式のナビゲーションシステムが、1990年にユーノス・コスモに搭載されました。
忘れないで欲しい、リトラクタブルヘッドライトを採用し続けた唯一無二のクルマ
リトラクタブルヘッドライトが絶滅して久しいですが、バブル期には大衆車からスポーツカー、果てはアバンギャルド感溢れる高級車にまで、こぞって採用されていました。
日本での初採用は、やはりというべきのトヨタ 2000GTです。
では、量産車での初採用はというと、ロータリーの雄であるマツダから、ポルシェの好敵手としても名を馳せた初代サバンナRX-7でした。
その後、RX-7は一貫してリトラクタブルヘッドライトを採用し続け、最終型FD3S型が国内最後のリトラクタブルヘッドライト採用車となります。
その採用期間は、1978年から足掛け四半世紀近くに及び、スポーツカーの象徴として強い印象を残しました。
まとめ
今回は世界初、日本初として後世に残るメカニズムを採用したクルマを取り上げました。
こうしてみると、スバルやホンダ、三菱自動車も、日産トヨタのような大メーカーにひけをとらない画期的な技術を世に輩出してきたのがわかります。
この他にも、日本車は日本初、世界初を謳う数多くのユニークな装備を多く輩出し、話題を集めました。
特に1980年代~1990年代は顕著で、中にはアイデア勝負の珍装備ともいえるようなものまであります。
(マークⅡではサイドウィンドウにまでワイパーを装備。さらには超音波とヒーターで雨滴を除去するドアミラーとか……芸が細かい!)
バブル期の産物と言ってしまえばそれまでですが、各メーカーがしのぎを削り合った、チャレンジだった事に間違いはなく、ユーザーも次はどんな装備が出るのかとワクワクしたものです。
これら様々な装備のおかげでクルマは急速に利便性を高めていきましたが、一方で近年では煽り運転に代表されるドライバーのモラルに関するクルマの問題が浮き彫りになっています。
そうなると、高度な電子制御技術に依らなくても、相手のモラルに訴えかけるようなアイデア装備が開発されてもよいのではないかと思う今日この頃です。
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