1957年以来、プリンス時代を含めれば13代にわたる長い歴史を誇る日産 スカイライン。その歴代最多販売台数を記録した4代目C110型の後を継いだ5代目スカイライン。通称「ジャパン」は、グラマラスな先代から大幅にスッキリとしたデザイン、後にターボ化でGTらしさを取り戻し、人気刑事ドラマの主役マシンに抜擢されるなど、旧時代最後のスカイラインらしい活躍を残しました。
掲載日:2017/10/22
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デートカー&ファミリーカー路線のケンメリからイメージ重視GT路線のジャパンへ
「ケンとメリーのスカイライン」のキャッチコピーで一世を風靡し、「ケンメリ」(4ドア版は「ヨンメリ」とも)と呼ばれた4代目C110スカイラインは歴代でもっともグラマラスなボディとなり、2ドアクーペはデートカー、4ドアセダンはスポーティなファミリーセダンという需要にうまく応え、販売台数は13代にわたるスカイラインの歴史の中で最多だったことでも知られます。
※その後継となった5代目、「SKYLYNE JAPAN」のCMコピーから「ジャパン」と呼ばれるC210型は、先代の途中でオイルショックやマスキー法に始まる厳しい省燃費・低排出ガス対策が急務となる中、「もうこれまでのようなGTではいられない」という時代のなか「スカG(スカイラインGT)」であることを求められるなど、とにかく逆境の中で作られた車でした。
それでいてDOHCエンジンを残したトヨタやいすゞ、ロータリーを継続したマツダほど排ガス規制に対応しつつスポーツモデルへの最低限の期待にもうまく応えることが難しかった、そんな時代のスカイラインだったので、ある意味では「歴代スカイラインでもっとも地味であり、華々しさに欠ける」デビューとなったのです。
後にモデル末期でようやく巻き返し、次世代につなげることに成功したものの、それまでは「とにかく雰囲気だけはGT」という、厳しい時代を過ごしたスカイラインがC210でした。
牙を抜かれた「スカG」
C210スカイラインの基本グレード構成は、直列6気筒エンジン搭載でロングノーズの「GT系」と、直列4気筒エンジン搭載でショートノーズの「TI」系の2種類。
それに加えて5ドアのライトバンやワゴンもありましたが、ここでは省略します。
この後、R30以降から型式も変われば6気筒と4気筒でボディの違いを作るのもやめたため、ある意味では「旧世代最後のスカイライン」と言えるC210ですが、廉価版と言えるショートノーズ版TI系はともかく、GT系には大きな問題がありました。
先代の途中から段階的に厳しくなる排ガス規制に適合していく中で、カタログスペックはともかく「すっかりモッサリ」してしまった2リッター直列6気筒エンジンのL20Eを引き続き搭載しなければならず、モデルチェンジによる性能向上が見込めなかったのです。
そのため、丸目4灯式ヘッドライトにハニカムグリル、ボリューム感のあった先代からスッキリシャープにした外装デザイン、そして8連メーターに最上級のGT-E・Sでは革巻きステアリングにバケットシートなど、とにかく「雰囲気だけはGT」としました。
それでも、開発責任者の「ミスタースカイライン」こと、故 桜井 眞一郎 氏が当時を振り返り、「東名を走るとトヨタのツインカムやマツダロータリーが、こともなげにスイスイ抜いていくのが悔しかった」と語る通り、「雰囲気はあくまで雰囲気に過ぎなかった」のです。
おかげで当時のトヨタ A40系セリカによる「名ばかりのGTたちは、道を開ける」というCMキャッチコピーで、具体的に名指しこそされなかったものの、C210スカイラインGTはライバルから嘲笑の的になる始末でした。
名を捨てて実を取った、L20Eエンジンの実用性重視チューン
もちろんそうした苦境を日産は黙って見ていた訳ではなく、GT系用の主力であるL20Eエンジンの電子制御燃料噴射装置が「EGI」から「ECCS」に更新されたタイミングで、あえて5馬力のスペックダウンを行いました。
そもそもL20そのものがノーマルではさほど高回転型エンジンでも無かったため、どのみち大したスペック向上にならないどころか、そこまで回すのも難儀になっていた高回転域のパワーを捨てる代わりに、中低速域の実用トルクを向上させたのです。
それにより、かつてのスペック至上主義の日本車では珍しいこの「デチューン」により、少なくとも実用的な速度でアクセルを踏み込んだ時の活発さを得て、スポーツモデルらしい走行性能を取り戻すことができました。
この状態でマイナーチェンジによりヘッドライトがGT系のみ丸目4灯式から角目2灯へ、ラジエターグリルは全グレードハニカムから横基調に変更されると共に、インパネのデザインもガラリと変わりましたが、性能面では大きな変更はありません。
復讐のスカG!「ジャパンターボ」登場
デビューから3年が経過し、モデル末期に近づいた1980年。
技術の進化はついに「スカG」に復讐の機会を与えました。
「スカイライン ターボGTシリーズ」俗に言う「ジャパンターボ」の登場です。
先行してセドリック / グロリアに搭載されていた日産初、そして国産市販乗用車初のターボエンジンL20ETが、ついにスカイラインにも搭載!
最高出力145馬力、最大トルク21.0kgm(※グロス値)と、出力はともかくトルクはかつてのS20すら上回ったL20ETにより、最高速は170km/hから193.0.km/hへ、ゼロヨン加速も18秒台から16秒47へと一気に性能が向上しました。
当時ジャパンターボを実際にドライブした経験を持つ先達によれば「加速はそこそこだが、それよりアクセル全開にすると燃料系の針が目に見える速さで下がっていくのでヒヤヒヤした」そうですが、大排気量車並のパワーを手に入れたのは事実です。
ジャパンのチューニングとして、フェアレディZのように大排気量のL28エンジンへのスワップチューンは定番だったようですが、L20ETは2リッターという5ナンバー枠で単純なエンジンスワップ並のパフォーマンスアップを果たしました。
国産ディーゼル乗用車最速を誇ったディーゼル・スカG
「ジャパンターボ」登場直後には、さらに直列4気筒ショートボディのTIシリーズに2リッター4気筒のZ20Eエンジンを搭載した「2000TI」と、直列6気筒ロングノーズボディには2.8リッターディーゼルLD28を搭載した「280D GTシリーズ」を追加。
2000TIのZ20Eは最高出力120馬力とGTのL20Eに近い動力性能を持ち、ショートボディによる軽快さも相まって走りの活発さを向上。
280D GTは当時のディーゼル乗用車が最高速120km/h程度のところ、なんと162km/hを発揮し、当時最速のディーゼル乗用車となりました。
その1年2か月後には6代目R30へのモデルチェンジを控えていたモデル末期でしたが、C210「ジャパン」は最後の最後にターボGTとディーゼルGTで「スカG」としての面目を保った形になります。
マシンX(西部警察)
C210「ジャパン」にはもう1押し、そのイメージを高めて次世代スカイラインに繋げる大きな役割を果たした存在がありました。
それが石原プロによる連続刑事ドラマ「西部警察」(テレビ朝日系列)で、1979年から放映の始まったPART1の第45話から、発売されたばかりのジャパンターボが大門軍団の「マシンX」として登場。
まだマシンRS(R30スカイラインRSがベース)による「RS軍団」も無い頃だったので、大門団長の愛車としてけたたましいエキゾーストノートとスキール音とともに出動し、ひときわ目立つ存在感を放ちました。
やがてその役目をスーパーZ(S130フェアレディZ280がベース)に譲って登場回数が減り、1983~1984年放映の西部警察PARTIIIにおいて爆発・炎上という最期を遂げますが、それまでの間、ある意味C210「ジャパン」のイメージリーダーであり続けたのです。
日産 スカイライン(5代目C210)のスペックと中古車相場
日産 KHGC210 スカイライン ターボGT-E・S 1980年式(※上画像はターボが設定された後期GT)
全長×全幅×全高(mm):4,600×1,625×1,375
ホイールベース(mm):2,615
車両重量(kg):1,230
エンジン仕様・型式:L20ET 水冷直列6気筒SOHC12バルブ ターボ
総排気量(cc):1,998cc
最高出力:145ps/5,600rpm(グロス値)
最大トルク:21.0kgm/3,200rpm(同上)
トランスミッション:5MT
駆動方式:FR
中古車相場:180~320万円(全グレード・極端に外見や仕様の異なるカスタムカー除く)
まとめ
省燃費&排ガス規制への対処に追われ、ライバルほどうまく立ち回れなかったC210スカイライン「ジャパン」ですが、逆に考えればこうも言えます。
「あんなどうしようも無い時期でも”スカイライン”の看板を守り続けたからこそ、R30以降のスカイラインRSや、R32以降のスカイラインGT-R、そして今のR35 GT-Rがある。」
確かに性能的には末期の追加モデルを除けばほとんど見るべきところが無かったものの、新車当時にクルマ少年だった筆者は、C110から受け継いだ丸目4灯テールのスマートな「ジャパン」GTが走っているだけで「スカGじゃん!カッコイイ!」と思ったものです。
そう考えると、当時実際乗っていたドライバーや現在のマニアの視点から見ると「物足りない」と思ったとしても、当時「スカG」の存在感はやはり特別で、日産の「性能はともかくイメージを大事」という戦略は成功したと言えます。
大事なブランドというものは、多少周りからアレコレ言われて苦しくとも、ガマンして続けていればいつか花咲くこともある、それを教えてくれたC210「ジャパン」もまた、スカイライン一族の熱い血が流れる1台だったということです。
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