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初のFF化で大ヒットとなった5代目とキープコンセプトの6代目を経て1989年に登場し、デザインをモダンなヨーロッパ車風に仕立てられた7代目ファミリア。バブル時代に打ち立てた5チャンネル販売体制がバブルとともに崩壊していく中で、「マツダ」ブランドを維持し続けた基幹車種として、孤軍奮闘したモデルです。

4代目以降のファミリアにはやはり赤が似合う。7代目ファミリア3ドアハッチバック。/ 出典:https://www2.mazda.com/ja/100th/virtual_museum/gallery/gallery038.html
5チャンネル販売体制でも「マツダ」ブランドを維持した7代目ファミリア

7代目ファミリア 3ドアハッチバック/ Photo by Dennis Elzinga
7代目ファミリアが登場した1989年は、1970年代のオイルショック危機からすっかり立ち直ったマツダがその姿を大きく変え、特に国内販売において大きく飛躍しようとしている年でした。
個人経営の整備工場レベルも多かったマツダモータース店を廃止し、マツダを名乗らない新ブランドとして新たに「ユーノス」店と「オートザム」店を設立。既存のマツダ店、マツダオート店(1991年に新ブランド「アンフィニ」店へ)、フォード車を販売するオートラマ店の5チャンネル販売体制を確立したのです。
対米貿易摩擦による対米輸出自主規制に加え、1980年代後半には急速に進んだ円高に伴う海外市場への輸出縮小も重なり、否応なく国内市場へ力を入れざるをえなかった国産車各メーカーの中でも、マツダはこれを機に国内販売網の急速拡大を狙いました。
バブル景気で絶好調だった時代の日本ならそれも良かったのですが、結論から言えばバブル崩壊により、全てがパーになってしまい、新たに立ち上げたブランドとそれらで取り扱う車種も、知名度が上がらぬまま単なるマイナーなレア車として消えていってしまいます。

7代目ファミリア 4ドアセダン/ 出典:https://www2.mazda.com/ja/100th/cars/detail_015_familia7th.html
そうした中でも「マツダ」ブランドを維持し、栄光に輝く大ヒット作だった5代目の雰囲気を色濃く残す7代目「ファミリア」は、マツダブランドを失い、あるいは車名まで変えられた他の基幹車種とは異なり、「昔から変わらぬマツダブランドの主力車種」として、希少な存在となっていきました。
デザインは一新しつつ、基本はキープコンセプト

7代目ファミリアGT-R/Photo by peterolthof
1991年には後継の新型車へバトンタッチし、車名が消えてしまったカペラ(後に復活)やルーチェ(営業車は継続)とは異なり、名前も変わらず5代目以降のキープコンセプト気味に存続した7代目ファミリアですが、全てがそのままだったわけではありません。
5ドアハッチバックは、4ドアクーペ(実質的には5ドアハッチバッククーペ)の「ファミリアアスティナ」として独立し、後にランティスへ発展。ワゴン/バンは6代目のデザインを若干手直しした程度で継続販売されました。
それゆえ、FF化された5代目から正当進化した系譜としては、3ドアハッチバックと4ドアセダンのみで、3ドアはフランスのプジョー風、4ドアセダンは欧州フォード風のヨーロピアンデザインになりましたが、ライバル車と比べて実用性より軽快なスポーティさが目立つ印象などはそのままです。
また、6代目でファミリアの名を大いに高めた4WDターボ、GT-Xと競技ベースモデルのGT-Aも1,800ccへ排気量をアップした上で、少し遅れて登場。
1992年には大型ターボチャージャーを搭載することでGT-Xを、180馬力から210馬力へとパワーアップし、専用エアロで迫力を増したエボリューションモデル、ファミリアGT-Rと競技ベース版GT-Aeも追加されました。
通常の3ドア/4ドア車もエンジンをキャブレターからEGI(電子制御燃料噴射)へ進化させたり、1,800cc自然吸気エンジンのFFスポーツセダン「∞(アンフィニ)」や、北米仕様の大型バンパーを装着した1.5リッター高級仕様の「サプリーム」が設定されるなど、4ドアセダンを中心にファミリアらしいモデルが追加されています。
5チャンネル販売体制下の新ブランドほど派手ではなかったとはいえ、結果的にはこの「ファミリアらしさ」の維持が、モデルの存続、そしてマツダの存続において大きな意味を持つことになります。
WRCと国内ダートトライアルで奮闘

1991年のWRC1000湖ラリーで5位となった7代目ファミリア(MAZDA323 4WD)/出典:https://www2.mazda.com/ja/100th/virtual_museum/gallery/gallery038.html
ライバルと比べて、小排気量ながら小型軽量を活かしたコーナリング性能を武器に奮闘した6代目の後を継ぎ、7代目の「MAZDA323 4WD」もWRC(世界ラリー選手権)へ参戦します。
しかし、1,800ccへの排気量アップ、競技仕様の最高出力も先代の260馬力から275馬力へ向上したとはいえ、2リッターターボのライバルは300馬力へ達していたため差を縮められず、相変わらず「小ささを活かした奮闘」に留まり、優勝にも縁がないままでした。
むしろ、日産のパルサーGTi-Rなどと同じく、「小さくまとまりすぎて、パワーアップするほど熱処理やタイヤサイズのデメリット」が目立つようになっていた印象もあります。
ベースモデルの底上げを図ったファミリアGT-Rベースへの変更で再起を図る予定でしたが、日本のバブル崩壊に伴い、マツダ本体の急速な経営悪化はWRCへの継続参戦を許さない状況となり、1992年を最後にマツダワークスはWRCから撤退してしまいました。
プライベーターによるグループN制覇(1993年)など、ワークス撤退後も成績を残していた事を考えれば、ファミリアGT-RベースのグループAマシンが一矢報いる可能性はあったかもしれません。
しかし、いずれにせよWRCではトヨタのセリカGT-Four、スバルのレガシィRSやインプレッサWRX、三菱のギャランVR-4やランサーエボリューションといった2リッッター4WDターボ勢による黄金時代を迎えつつあり、1.8リッターターボのMAZDA323 4WDが参戦を継続しても、短期間で終わったと推測されます。

2015年のマツ耐(マツダファン・エンデュランス)でスポーツランドSUGOを走る7代目ファミリアGT-X/ 出典:https://mzracing.jp/feature/3076
WRCのグループAではパッとしなかった7代目ファミリアでしたが、国内に目を移せば、やはり全日本ラリーでは活躍の余地がなかったようです。
しかし、短距離タイムアタックで瞬発力がモノを言う全日本ダートトライアル、それもベース車のポテンシャル差をチューニングで詰める余地が大きい改造車部門CIIIクラスでは大活躍しており、ランエボやインプレッサの改造車が力をつけてくるまでは、トップクラスのマシンとして君臨していました。
主要スペックと中古車価格

7代目ファミリアGT-R/出典:https://www.favcars.com/images-mazda-familia-gt-r-4wd-bg8z-1992-96-305175.htm
マツダ BG8Z ファミリア GT-R 1993年式
全長×全幅×全高(mm):4,075×1,690×1,390
ホイールベース(mm):2,450
車重(kg):1,210
エンジン:BP 水冷直列4気筒DOHC16バルブ ICターボ
排気量:1,839cc
最高出力:154kw(210ps)/6,000rpm
最大トルク:250N・m(25.5kgm)/4,500rpm
10・15モード燃費:10.0km/L
乗車定員:5人
駆動方式:4WD
ミッション:5MT
サスペンション形式:(F・R)ストラット
(中古車相場とタマ数)
※2021年2月現在
ハッチバック(インタープレー):59.8万円・1台
セダン/GT系ハッチバック:皆無
あえて変えない事のメリットがフルに発揮された、7代目ファミリア

7代目ファミリアGT-X /出典:https://www.mazda.com/ja/about/profile/history/1980-1989/
モデルチェンジ当初こそ、派手に登場したマツダの新型車や他ブランド車と比べて地味な存在だった7代目ファミリアですが、それらが品質問題まで抱えて炎上する中(特に「クロノス」シリーズ)、安心して買えるマツダ車として、保守的ユーザー層から支持され続けた事で、マツダの崩壊をギリギリで食い止めた存在でもあります。
次の8代目が「ファミリアNEO」という斬新なモデルを投入し、苦戦を強いられただけに、7代目ファミリアの「苦しい時こそ変えてはいけない車作りの重要性」は際立っていました。
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