ハイソカーブームで人気となったマークII3兄弟は、RVブームでの販売不振により、チェイサーとクレスタを廃止し、マークIIだけが残されました。しかし、保守的なラグジュアリーサルーンとしてくすぶってるようなマークⅡではありません。筋が通らずとも売れそうなら何でも試し、不可能を可能にしようと試みて日本市場へ特攻をかける。それがビスタ店最後のスポーツセダン、トヨタ ヴェロッサです。

トヨタ ヴェロッサ / 出典:https://www.favcars.com/pictures-toyota-verossa-2001-04-194301.htm

トヨタ車というより、国産車として一線を超えた車の誕生まで

トヨタ ヴェロッサ / Photo by Rutger van der Maar

あれは2003年の夏頃でしたが、筆者が当時勤めていた会社の上司に呼ばれ、「キミ、ヴェロッサという車を知っているか?」と聞かれた事があります。

まだ若かりし頃で何も考えていないただの車バカだった筆者は、アレコレと自動車雑誌の受け売りを並べ立て、「あんなのアルファのパクリですよ(笑)」でキリッとシメたつもりでした。

それに対し、「実はウチの父がヴェロッサを買ってね…よくわかった。」と言われた瞬間、「いやぁヴェロッサ、イイ車ですよボク大好きです!」と、急にサラリーマン根性を発揮するも後の祭りというわけで、ヴェロッサはとても想い出深い車です。

そもそも、「マークII3兄弟」として今でも有名なトヨタのアッパーミドルクラスサルーンは、1968年に長男の初代マークIIをトヨペット店から発売後、3代目の1977年に次男の初代チェイサーをトヨタオート店(現在のネッツ店)から、1980年に三男の初代クレスタをトヨタビスタ店(現在は合併してネッツ店)から発売します。

そして、長男・次男のモデルチェンジより半年早く発売された初代クレスタが、ハイソカーブームに乗って大ヒット。

マークIIとチェイサーともどもライバルを蹴散らし、売れに売れまくり、一時は街のそこかしこでマークII3兄弟の何かが走っているほどでした。

しかし、1990年代初頭のピークを過ぎ、バブル崩壊とRVブームの到来で、パッタリと売れなくなります。

これはイカンと1996年のX100系(マークIIでいえば8代目)では手堅い保守層向けのマークII、スポーツ層向けで、JTCCなどのレースでも活躍したチェイサー、豪華絢爛ラグジュアリー層向けのクレスタと3兄弟でキャラクターを明確化したものの功を奏せず、結局この代で3兄弟は崩壊。

トヨペット店向けのマークIIのみが、2000年に最後のモデルチェンジを受けました。

そうなると廃止された車種の販売店ではラインナップに穴が空いてしまったため、ネッツ店(1998年にトヨタオート店から改称)では既に1998年から高級スポーツセダンの初代レクサスISを「アルテッツァ」の名で販売しており、事実上これがチェイサーの後継車です。

そしてトヨタビスタ店は一時期、既に生産を終了したクレスタの在庫を細々と売るのみ。

セダンと言えばミドルクラスの「ビスタ」とコンパクトな「プラッツ」くらいでしたが、そこへX110系マークIIから9ヶ月遅れの姉妹車として登場したのが「ヴェロッサ」です。

それまでスポーツセダン担当だったネッツ店ではなくトヨタビスタ店で、それもラグジュアリー志向の強かったクレスタとは一線を画す、というより国産車としての一線を超えてしまった「ヴェロッサ」は、登場とともに物議をかもし、そしてわずか3年足らずでトヨタビスタ店ともど消えていくという、トヨタ車にしては珍しく豪快な生き様を見せた車でした。

このグリルは、もしかしてあの「盾」?イタ車ムードが漂う…はずだったが

トヨタ ヴェロッサ / Phpto by Noli Fernan “Dudut” Perez

ヴェロッサ発表時は、業界関係者からソコソコの車好きまで、いろいろな感想を持ったと思いますが、中でも目が釘付けになったのはフロントグリルです。

逆台形というより逆三角形に近い形状で突き出したそれは、どうもあるメーカーがアイデンティティとしている物とデザインがよく似ています。

ベースのマークIIとは明らかに異なる丸みを帯びたボディに、その前端中心で目立つフロントグリル、配置といい形状といい、イタリアの自動車メーカー「アルファロメオ」の名が、どうしても頭に浮かんでしまうデザインです。

どう見ても「トヨタが作ったイタリアンスポーツセダン」というより、自動車版「鉄板ナポリタン」(独特の食文化を誇る名古屋グルメのひとつ)と考えるのがふさわしいヴェロッサは、なぜ生まれたのでしょうか。

当時のトヨタは1996年に「セダン・イノベーション」と銘打ったキャンペーンでセダンの復権を目指し、最後のマークII3兄弟もそれに沿った大改革が行われたものの、芳しい結果が得られなかったのは前項で紹介したとおりです。

今のようにミニバン、SUV、軽も含むトールワゴンやスーパーハイトワゴン全盛期が20年以上続くなど、予想できない時代だったこともあり、その後はセダンをどう残していくべきか、相当な迷いがあったように思います。

セダンの王道が通用しないなら、ゆとりあるスペースが良いのかと、ルーフを高くしてキャビンを拡大したのが最後のX110系マークIIでしたが、ヴェロッサではルーフはやや低くしてスポーツセダン狙いにした上で、思い切ったイタリアンデザインで突破口を開こうとしたようです。

実際、マークIIも初期は当時のコロナ派生と明らかにわかる初代のデザインを、後期で「イーグルマスク」を採用して斬新に変化させ、2代目はアメ車風、3代目はイギリス風味のアメ車風と迷走の末、4代目からのハイソカー路線にたどり着きましたが、イタリア風だけはまだ試されていません。

つまりヴェロッサはマークIIシリーズの歴史で初のイタ車狙い、新たに加わったラテン系の陽気な兄弟というポジションで思い切ったはいいものの、どうしてもイタリアというよりイタリアンやナポリタン、ラテン系より名古屋系になってしまったのが、悲しいところでした。

文化系の誤解、はたまたアルファロメオの守り神、ヴィスコンティ家の紋章に描かれたヘビの呪いによるものか、ともかくヴェロッサの販売は低迷します。

さらに深い沼へ足を踏み入れるがごとく、専用色スーパーレッドを採用した「セレチオーネ」や、トヨタモデリスタがヤマハチューンのエンジンを積んだ「スペチアーレ」、一転してクレスタ時代のグレード名を復活させた「エクシード」といった特別仕様車を追加しますが、販売は好転しません。

ついにはトヨタビスタ店自体が販売網再編でネッツ店へ吸収統合される事が決まり、アベンシスやレジアスエースのようにネッツ店へ引き継がれる事もなく、2004年4月にトヨタビスタ店もろとも廃止されました。

MT車の設定があるFRスポーツセダンだったので、後にD1グランプリなどのドリフト競技でも活躍しましたが、あくまで余談であり、新車販売そのものはトヨタ車にしては珍しく、わずか2年半ほどの超短命で終わっています。

主要スペックと中古車価格

トヨタ ヴェロッサ / 出典:https://www.favcars.com/wallpapers-toyota-verossa-2001-04-194297.htm

トヨタ JZX110 ヴェロッサ VR25 SG スペチアーレ 2002年式
全長×全幅×全高(mm):4,715×1,760×1,435
ホイールベース(mm):2,780
車重(kg):1,530
エンジン:1JZ-GTE 水冷直列6気筒DOHC24バルブ ICターボ
排気量:2,491cc
最高出力:221kw(300ps)/6,200rpm
最大トルク:387N・m(39.5kgm)/2,400rpm
10・15モード燃費:-
乗車定員:5人
駆動方式:FR
ミッション:5MT
サスペンション形式:(F・R)ダブルウィッシュボーン

(中古車相場とタマ数)
※2021年4月現在
14万~330万円・50台

物議をかもした、「マークII一族最後の叛乱」

トヨタ ヴェロッサ / Photo by Rutger van der Maar

このヴェロッサに関しては、業界関係者でも厳しい人はかなり辛辣な言葉で販売したトヨタを非難するほど、発売当時はかなり物議をかもした車であり、短期間で販売を終了する事情(トヨタビスタ店の廃止)ができた事は、むしろ幸いだったとすら言えるかもしれません。

あるいはトヨタビスタ店の廃止を見越し、「その前にいっちょ試してみるか!」と考えたのかもしれませんが、そうであればあそこまで思い切ったデザインを、「感性駆動~emotional tune」(今なら「エモい」)というキャッチコピーとともに採用できなかったでしょう。

それほどトヨタ車としては異端中の異端。

ガルウィングドア車の「セラ」に並ぶ暴走、あるいは「叛乱」とすら呼べる暴挙ではありましたが、今にして思えば「トヨタにも短期間とはいえ、こういう車を思い切って発売できるだけの愛嬌があったのだな。」と、好意的な視点で見る事もできます。

これは、普段はキリッとしている優等生が、「実はこういうのもやってみたかったんだよね」と、ある日突然斬新なファッションで現れたようなもので、国産車メーカーの絶対的王者トヨタがチラリと見せた「人間味あふれる車」でした。

現在でも中古車市場でソコソコの台数が出回っているヴェロッサですが、現在の1990年代国産車ブームに続き、10年くらい後に2000年代国産車ブームが到来したら、案外カルト的人気を得るかもしれません。