1990年代の軽自動車には「ABC」と言われた3台があります。“A”がオートザム AZ-1で、“C”がカプチーノ、そして“B”がホンダ ビート。バブル時代の落とし子とも言われた3台の軽スポーツの中で、カタログスペックこそ劣ったものの、唯一ギネスブック記録を作った「愛されたスポーツカー」が、ホンダ ビートです。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

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軽自動車初のミッドシップオープンスポーツ

1991年5月に発売されたホンダ ビートは軽自動車初のミッドシップ・オープンスポーツでした。

それまでにも軽自動車ではコニー 360やホンダ アクティなど商用車でアンダーフロア式ミッドシップ車は存在しています。

また、バモスホンダやスズキ ジムニーなどオープンモデルもありました。

しかし、リアミッドシップ・後輪駆動のオープンスポーツカーとなればビートが史上初であり、24年後にホンダ自らのセルフリメイク版と言えるS660を発売するまでは、唯一の存在でもあります。

出典:http://www.honda.co.jp/

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ビート以降に発売された後輪駆動軽スポーツ、スズキ カプチーノやオートザム AZ-1 / スズキ キャラがターボエンジンを搭載していたのに対し、NAで通したのが当時のホンダ流。

ミッドシップオープンスポーツとしては世界初のフルモノコックボディを採用したため車重はライバルより重く、それでいてNA(自然吸気)なのでアンダーパワーではありました。

それでもNSXに続くホンダの本格スポーツであり、かつてのS500/600/800を思わせる「ホンダスポーツ」の復活に、胸を熱くしたホンダファンには、とても愛されている車なのです。

 

「MTREC」による軽自動車NAで唯一の64馬力

ビートは当時のホンダらしく、エンジンに特徴のあるクルマ。

搭載されていたE07Aは、元を正せば550cc時代からトゥデイやアクティに使われる、660ccの平凡な軽自動車用SOHCエンジンでした。

しかしホンダはそのE07A PGM-FI(ホンダの電子制御インジェクション名)仕様をベースに手を加え、その後の軽自動車用NAエンジンの大傑作を作り上げます。

出典:http://www.honda.co.jp/

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SOHCのままながら1気筒ごとに制御する独立3連スロットルを持ち、インジェクターが各気筒の吸気工程に合わせて独立噴射を行う、レーシングカーばりのシーケンシャル噴射方式を採用。

これにエンジンの使用状況に応じて燃調マップを切り替える「燃料噴射制御マップ切換方式」を採用した事で、アイドリング安定性とスポーツ走行時の鋭いレスポンスを両立しています。

結果、NAでありながら軽自動車の自主規制値64馬力に達し、レッドゾーンが始まる8,500回転まで軽快に吹け上がる素晴らしいエンジンに仕上がったのです。

(NAの軽自動車用エンジンで64馬力を達成したのは、ビートだけです)

MTRECは他メーカー車にとってもうらやましい装備だったもので、当時はダイハツEFエンジン用のMTRECコンバージョンキットなども販売されていました。

 

直線より切れ味鋭いコーナリングが真骨頂

そんなビートですが、NAなのでトルクは6.1kgf・mに留まり、760kgと軽スポーツABCでは最も重い事から、ストレートでは決して速く無かったのも事実です。

ストレートスピードに関して言えば、機械式キャブレター550ccターボのL70Vミラターボ(車重540kgで50馬力/7.0kgf・m)でも追いつける程度でした。

出典:http://dealer.honda.co.jp/

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ただしそれは、ビートのドライバーがそのストレート手前のコーナーでミスをして失速していた場合の話。

ミッドシップスポーツである事を主張する切れ味の鋭さで凄まじいコーナリングスピードを発揮されると、そのままの勢いで次のコーナーへ猛然と駆け抜けるビートを追う事はできません。

同じようなコーナリングスピードからヨーイドン!ならば550ccターボでも勝てる場合はありましたが、マトモなドライバーが駆るビートが相手では、そうそういい条件というのは無いものです。

サーキットでもジムカーナでも、コーナリングスピードを活かせる腕のあるドライバーが乗れば、ビートは決して遅くないどころか、とんでもなく速いクルマ。

同じMTREC仕様E07Aを積んだトゥデイは車重の軽さでストレートも速かったのですが、ビートにはそれを補うコーナリングの切れ味という、玄人好みするストイックな魅力がありました。

 

569台のビートが作った、偉大なる大記録

しかし、ホンダ ビートの真に偉大なるところは、エンジンやミッドシップレイアウトといったメカニカル部分ではありません。

それは、「もっとも多くの人に愛されたホンダ車」というところにあります。

2010年5月9日、それはビートがいかに愛されるクルマであるかを証明する日でした。

この日、ツインリンクもてぎで開催されたオーナーズミーティング「MEET THE BEAT 2010」に参加したビートによってパレードランを決行しましたが、その数たるや実に569台!

その映像を見ると、ボディカラーごとに集められたビートが、ビートの群れが、オーナー達の情熱を載せて1つの大きなうねりのように駆け抜けていく光景に圧倒されます。

どノーマルもサーキット仕様もカスタムカーも痛車も全てが1つになってパレードランを行う様には、胸を熱くせざるをえません。

そしてこのパレードランは「ホンダ同一車種による世界最大のパレードラン」としてギネスブックに認定され、ビートは伝説となったのです。

ホンダやビートが好きか否かではなく、他にどれだけ好きなクルマがあろうとも。

いえ、だからこそ、このビートのパレードランと、それを実現したオーナー達に喝采を送りたくなるのではないでしょうか?!

他のクルマではおいそれとできないこの大パレードは現在でも行われており、「MEET THE BEAT 2016」でも400台のビートが走っています。

 

まとめ

ビートは基本的に単一グレードでミッションもMTのみ。

ボディカラーなどが異なる特別仕様車(バージョンF / C / Z)が設定されたほかはバリエーションも無く、1996年まで約5年で3万3,892台が生産されました。

当時のF1ドライバー、ジョニー・ハーバートが「ホンダの新しいミッドシップスポーツに乗せてやるから日本に来い」と言われ、てっきりNSXに乗れると思って来日したらビートでビックリ、でも大喜びで乗っていたという逸話。

発売当時は故 本田 宗一郎氏が存命で発表会にも出席しており、生前その誕生を見届けた最後のホンダ4輪車であった事。

先に紹介した大パレードランを含め、ホンダ・スピリットを感じさせるエピソードに包まれたクルマ、それがホンダ ビートです!

出典:http://dealer.honda.co.jp/

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ホンダ PP1 ビート(1991~1996)
全長×全幅×全高(mm):3,295×1,395×1,175
ホイールベース(mm):2,280
車両重量(kg):760
エンジン型式:E07A
エンジン仕様:直列3気筒SOHC12バルブ・MTREC
総排気量(cc):656
最高出力:64ps/8,100rpm
最大トルク:6.1kgm/7,000rpm
トランスミッション:5MT
駆動方式:MR
中古相場価格:435,000~643,000 円

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