かつて1993年まで独自の乗用車生産・販売を続けていたいすゞ自動車。元々バスやトラックメーカーだった同社が乗用車に参入したのは戦後の話で、まずはイギリスのルーツグループと提携。同グループの量販大衆車ヒルマン・ミンクスの生産をはじめ、やがては完全国産化するとともに、独自の改良を施すまでに至りました。
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いすゞ初の乗用車、PH10型ヒルマンミンクス
第2次世界大戦の敗戦後、ヂーゼル自動車工業から1949年に現在の社名に改称するとともに、戦前からのバスやトラックだけでなく乗用車への進出を決めたいすゞ自動車。
しかし乗用車開発・生産のノウハウが無かった同社は、海外メーカーと提携してまずは部品を輸入して組み立てるCKD(コンプリート・ノックダウン)生産から始めることとなり、イギリスのルーツグループと1953年に提携します。
そして選ばれたのはルーツグループの大衆車ブランド『ヒルマン』のミンクスPH10型で、タイヤとバッテリー以外の全てをイギリスから輸入したノックダウン生産第1号車1953年10月26日にラインオフ、いすゞ ヒルマンミンクスとして発売しました。
ちなみに本国仕様のミンクスにはバンやピックアップ、コンバーチブルモデルもありましたが、いすゞが生産した初代モデルは4人乗りの小型4ドアセダンのみで、当初エンジンは1,265ccのサイドバルブエンジン。
その後リア周りを変更し、リアウィンドウ面積やトランク容量を拡大したPH11(1954年7月)、1,390ccOHVエンジンに換装してフロントグリルが横縞から縦縞になり、乗車定員も5人になったPH12(1955年2月)など、本国仕様に合わせたマイナーチェンジを重ねます。
そして1956年9月にモデルチェンジするまでの3年弱で5,000台以上を生産したヒルマンミンクスPH10系は、その後のいすゞ乗用車に強い影響を与えました。
いすゞ ヒルマンミンクス 初代PH10系 主なスペックと中古車相場
いすゞ PH12 ヒルマンミンクス マークVIII 1955年式
全長×全幅×全高(mm):4,112×1,613×1,549
ホイールベース(mm):2,362
車両重量(kg):953
エンジン仕様・型式:GH12 水冷直列4気筒OHV8バルブ
総排気量(cc):1,390
最高出力:32kw(43ps)/4,400rpm(グロス値)
最大トルク:90N・m(9.2kgm)/2,200rpm(同上)
トランスミッション:コラム4MT
駆動方式:FR
中古車相場:皆無
完全国産化を達成、独自改良で本国仕様を上回る性能を誇った2代目PH100系
1956年9月にモデルチェンジ、PH100型となったヒルマンミンクスは、当初こそ初代PH10系同様にCKD生産でしたが、ヘンリーJの生産で優れたプレス技術を持つ三菱日本重工でボディを生産するなど完全国産化を進め、1957年10月には達成します。
そんなPH100系そのものはホイールベースの延長で後輪車軸上にあった後席がホイールベース内に収まって快適性が大きく向上。
さらに当時まだ新興国に過ぎなかった日本の劣悪な道路事情に合わせてサスペンションなども強化されました。
その後、初代同様に本国仕様に合わせたマイナーチェンジを重ね、ヒルマン50周年記念モデルで乗車定員が6人になったPH200型ジュビリー(1958年6月)、エンジンを1,494ccのGH150に換装したPH300型(1959年10月)へと進化していきます。
そして極めつけは、PH400型(1960年10月)のエンジンを改良した1963年1月、最後のマイナーチェンジでエンジンの最高出力はデラックスで70馬力に到達し、本国仕様のミンクスすら上回る性能を誇った事。
また、いすゞ仕様では4ドアセダンのみだったヒルマンミンクスですが、1958年には商用バンのヒルマン・エキスプレスも生産を開始。
ベレルやベレットなど、ヒルマンミンクスでの経験を活かしたいすゞオリジナル車の生産が始まった後もヒルマンミンクスの生産は続き、1964年6月までの約8年で6万台以上を生産、戦後初期オーナーズカーの傑作となりました。
いすゞ ヒルマンミンクス 2代目PH100系 主なスペックと中古車相場
いすゞ PH300 ヒルマンミンクス デラックス 1960年式
全長×全幅×全高(mm):4,140×1,555×1,510
ホイールベース(mm):2,438
車両重量(kg):1,065
エンジン仕様・型式:GH150 水冷直列4気筒OHV8バルブ
総排気量(cc):1,494
最高出力:46kw(62ps)/4,600rpm(グロス値)
最大トルク:110N・m(11.2kgm)/2,600rpm(同上)
トランスミッション:コラム4MT
駆動方式:FR
中古車相場:120万
まとめ
2代にわたり10年以上生産されたいすゞ ヒルマンミンクスは、いすゞによる改良もあって頑丈でタフな自動車として生産終了後も特に2代目PH100系が長い間現役で走り続けました。
また、まだ地力のあった時代のイギリス製乗用車らしく実用性能に優れ、低回転からトルクフルなエンジンは同時期の国産車より加速力で勝った事から好評であり、この下からパンチ力のあるエンジン特性は後のいすゞエンジンにも多大な影響を与えています。
もちろんその間にも国産車は増え続け、いすゞ自身もオリジナル車を開発していきますが、基本設計に優れたヒルマンミンクスを性能のみならず信頼性、耐久性といった面で国産車が上回るようになるには、少々時間がかかりました。
日産のオースチン車や日野のルノー車ともども、国産車にとってはただ参考にしてモノにする(国産化)だけでなく、超えねばならないハードルとしていすゞ ヒルマンミンクスはその目的を十分以上に達成したと言えるのです。
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