マルティーニ・エ・ロッシ。1847年にイタリアのピエモンテ州の小さなワイン工場から始まり、20世紀半ばには一大酒造ブランドに成長。中でもイタリアで収穫された品質の高いぶどうのみを用いたフルボディ・辛口のスパークリングは、フレッシュでいてフルーティーな味わい。どんな料理ともよく合い、ワインよりも飲みやすく親しみやすく…という具合でお酒好きにはお馴染みのマルティーニですが、モータースポーツファンにとってもお馴染み過ぎる存在ですね。マルティニが初めてポルシェをスポンサードしたのは1968年。広告活動の一環として「マルティーニ・レーシング」を設立したのが始まりでした。さて今回は、ポルシェから始まり数多くのコンストラクターの栄光に華を添えてきたマルティニ・カラーをまとうマシンたちをいくつかご紹介いたしましょう。

 

出典:https://www.youtube.com/

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Porsche 917 K

 

出典: https://en.wikipedia.org/wiki/1971_24_Hours_of_Le_Mans#/media/File:Porsche_917_IAA_2013.JPG

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黎明期の少し控えめなマルティニ・ストライプ。白地に赤・紺・水色のカラーリングというお馴染みのスタイルはこのマシンが初お目見えでした。

そして何かとスティーブ・マックイーンのGulfカラーばかりがフィーチャーされるポルシェ917Kですが、実際に1971年のルマン24時間レースを制したのはこのマルティーニ・カラーの917Kです。

1970年に続き2連勝を果たしたポルシェですが、この1971年モデルはテールに垂直フィンを装備し空力性能を大幅に改善。

さらに写真の22号車だけはマグネシウム合金製のパイプフレームを採用し、なんとアルミフレームの従来型に比べ50キロもの軽量化に成功しています。

22号車がルマンで走破した5,335.313kmという記録は、コース改修などが加わり低速化が進んだとはいえ2010年まで塗り替えられず、なんと917Kは39年間も”ル・マン最速”であり続けたのでした。

 

Porsche 935/76

 

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Porsche_935#/media/File:Porsche_Coupe_935_(1976)_pic2.JPG

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917Kの大成功に始まり、このシルエット・フォーミュラが活躍した70年代後半は、ライバルが戦意喪失して撤退するほどの完全なるポルシェの時代でした。

ポルシェが強さを見せた時代から、まるで自信に満ちるかのような、マシン中央を貫く派手なマルティーニ・ストライプが存在感を放つようになってきます。

1976年に始まったこれらGTマシンによる世界メーカー選手権においても、マルティーニ・ポルシェは圧倒的な存在感を見せて王者に君臨し続けます。

当時、まだまだターボ・テクノロジーは信頼性が低く、ライバルたちはそのチューニングに手を焼くこととなりますが、ポルシェの伝統を受け継ぐ2.6LSOHCフラット6エンジンは安定感も相まって、ターボチャージャー搭載により更なる飛躍的進化を遂げたのでした。

 

Lotus 79”Martini Racing”

 

出典:http://www.jpslotus.org/79/79m-2.jpg

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マルティニ・カラーは往年のF1でも見つけることができます。前年までのJPSカラーに変わり、1979年にマルティーニがスポンサーとなったことにより”マルティニ レーシング チーム ロータス”が始動。

ロータス・グリーンに例のストライプをあしらった、なんだか不思議なグリーン地のマルティニカラーが誕生します。

1979年は本来、お家芸であるグラウンド・エフェクトを極限まで追求したLotus80がニューマシンとして用意されていたものの、ダウンフォース異常からくる「四角いホイールモード」ともいわれる強烈なポーパシング(上下動)に苦しめられ、前年型の79が再び引っ張り出されたのでした。

結果、前年までの2連覇が打って変わってこの年は未勝利に。苦渋を舐めたマルティーニ・グリーン、少しだけ哀愁が漂います。

1980年にわずか1年でマルティニがそそくさとスポンサーから降りた為、幻のカラーリングともいえます。

 

伝統のカラーリング、マルティニカラー。

次のページでは、WRCやDTMなどで活躍したあのマシンも登場します!