自社でレーシングマシンの開発を行っている「童夢」。JGTCやSuperGTに参戦していた「ホンダNSX」のシャシー設計・製造にも深く関わっています。過去には、現在も第一線で活躍するドライバーの方も童夢で走っていました!今回は過去の童夢から参戦していたGTマシンをご紹介します。
童夢ってなに?
童夢といえば、「童夢-零」を思い出す人がいるのではないでしょうか?
こちらは「株式会社 童夢」という1978年に京都府で創業した自動車部品会社です。
元々は、1960年代に林みのるがレーシングカーの製作を始めたところからスタート。
当時トヨタの契約ドライバーでもあった浮谷東次郎が乗る真っ黒にカスタムされたホンダS600(通称:カラス)を作ったことも有名ですよね!
主な業務は、自動車ショーでのモデルカーの製作や、レーシングカーの製作・製造事業、レーシングチームの運営など多岐に渡る業務展開をされています。
現在のGT300で活躍している「マザーシャシー」車両も童夢で作られています!
その他にも、自社で開発したプロトタイプレーシングカー「童夢-零RL」で1979年のル・マン24時間耐久レースに出場。
現在は、FIA WECのLMP3クラスの5番目のコンストラクターとして認可を受けたことを受け、2017年を目処に新型車として「S104(仮称)」を投入する方針を明らかにしています。
フォーミュラカーやプロトタイプレーシングカー・GTマシンなど、数々のレーシングカーの作成を手がけている童夢。
現在はチームを持ってレース参戦をしていませんが、過去には現在も第一線で活躍する有名ドライバーが所属していました。
童夢について予習が済んだ所で、歴代のJGTC・スーパーGTマシン達を振り返っていきましょう!
JGTC参戦年のマシン 1997年 avex 童夢 無限 NSX
JGTC参戦年である1997年。第2戦からの参戦となりました。
ドライバーは、往年の名ドライバーとして名高い黒沢元治の息子である黒澤琢弥選手と、フォーミュラニッポンにも参戦していた山本勝巳選手のコンビで参戦しました。
第4戦まで、結果が出ずにノーポイントのまま迎えた第5戦で入賞。
初のポイント獲得となります。
最終戦SUGOでもポイントを獲得。
シリーズランキング16位、最高位5位でシリーズを終えました。
最終戦優勝も、失格…。波乱のシーズン。1998年 TAKATA 童夢 無限 NSX
童夢として2年目である1998年。
前年まで参戦していた黒澤琢弥選手に代わって金石勝智選手がドライブし、山本勝巳選手は継続してドライブしました。
開幕戦からノーポイントが続き、苦戦します。
第4戦では、5位を獲得し初ポイントを獲得。
その勢いのままに行きたい所でしたが、そう上手くは行かず第5戦・第6戦とノーポイントになってしまいます。
そして迎えた最終戦、欠場の山本選手に代わって脇阪寿一選手がスポット参戦。
見事優勝し、表彰台に上がりました。ですが、数時間後にエアリストリクターの違反により失格の裁定が下りました。
これについて脇阪選手本人は、『林みのるオーナーとの約束(優勝して来い)も守ったし、すでに新幹線の中だったからしゃあないですわ』と語っています。
JGTCやスーパーGTで活躍する童夢のマシン。
次のページでは、2000年以降のマシンを一気に振り返っていきます!