50周年を迎えた富士スピードウェイで繰り広げた様々なレースを振り返っていっていますが、今回は1969年の日本Can-Am。前年に惨敗を喫したトヨタ陣営は和製モンターマシンともいえる新型「トヨタ・7」で臨みました。対する海外勢は、巨大なウイングにオールチタニウム・シャシーのマシンを用意…。前年を上回る強豪相手に、トヨタはどんなレースを繰り広げたのか?

富士スピードウェイ50周年の歴史「日本Can-Am編:第1弾」はこちら

 

リベンジに燃えるトヨタ!第2回日本Can-Am開催

©︎富士スピードウェイ

大盛況に終わった1968年の「ワールドチャレンジカップ200富士マイルレース」、通称「日本Can-Am」。

このイベントで日本人は、 600馬力オーバーのCan-Amマシンによるケタ違いの速さを目の当たりにします。

表彰台を独占する来日勢に対し、5台体制で臨んだトヨタワークスは福沢幸雄の4位が最高位という結果でした。

日本人は表彰台にすら立てなかったのです。

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当時のトヨタは「世界メーカー選手権」などヨーロッパのスポーツカーレース出場を視野にマシンを開発していた為、V8 3.0Lとやや規模の小さいエンジンを積んでおり、無理のない結果だったとも言えます。

しかしトヨタ陣営は、“このままでは終われない”と翌年のリベンジを強く誓ったのです。

 

富士のグリッドに集結した日米のモンスターたち

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そして迎えた1969年11月23日。モンスターマシンたちとともに再び富士にCan-Amの興奮がやってきました。

第2回大会には昨年の覇者ピーター・レヴソンをはじめ、F1でロータスと契約したばかりのジャッキー・オリバーなど強豪揃い。

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対してリベンジに燃えるトヨタ、今回はまさに必勝体制での挑戦でした。

彼らは10月の日本グランプリ後、なんとマクラーレンM12をまるごと購入!

これを徹底検証し、トヨタ・7をすっかり「Can-Amマシン」に仕立て上げていたのです。

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ヤマハ製5.0L V8エンジンを搭載、巨大なウイングを備えた姿はマクラーレンにも劣らない迫力です。

新型トヨタ・7をドライブするのは久木留博之、細谷四方洋、そして若きトヨタのエース・川合稔の3名。

昨年より8秒も速いタイムでカーナンバー8・川合が予選3番手を獲得しました。

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加えて購入したマクラーレンM12にトヨタエンジンを搭載した「マクラーレン・トヨタ」も、鮒子田寛のドライブでエントリー。こちらもなんと予選2位を獲得します。

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対するCan-Am勢、今回も凄みがあるマシンが勢ぞろいしています。

オリバーがドライブするこのマシンの名は「オートコーストTi22」。

先進的なチタニウム製シャシーを採用し、恐るべき速さを披露しました。予選タイムは1:18:19で文句無しのポールポジションスタートです。

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こちらはローラの最新マシン「T163」。他のマシンも、ほとんど標準装備となった異様なハイウイングが装備されていました。

ボディ表面の乱流から影響を受けない様、なるべく高い位置に掲げられていたのです。

車体をまるごと使って空力を生み出す”エアロダイナミクス”時代の到来は、この20年以上もあとの話…。

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Can-Am勢に混じって、世界メーカー選手権で10戦中7勝・チャンピオンを獲得したポルシェの最新ウェポン「908/2」の姿もありました。3.0Lフラット8ながら、ルマンでは5.0LのフォードGT40をあわや打ち負かす程の速さを見せています。

写真のカーナンバー17は永松邦臣がドライブしたマシンです。

 

各車スタート!!チタニウムボディ「Ti22」がぶっちぎる展開

©︎富士スピードウェイ

各車一斉にスタート!第2回日本Can-Amの火蓋が切って落とされました。

オリバーのTi22を筆頭にトヨタの2台がそれに続いていきます。

トヨタにとっては同年に事故死した若きスター・福沢幸雄に捧げるレースでもありました。

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スタートと同時に、オリバーは凄まじい速さで後続を引き離していきます。低く先鋭的なフォルムは新時代を予感させるものでした。

鮒子田、川合と続く中、そこにフォードG7Aを駆るジョン・キャノンらが続き熾烈な2位争いが展開されます。

ローラに乗るレヴソンもこれに加わっていましたが、18周目にリタイヤしています。

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昨年と同じ逆走・左回りで開催されたこのレース、明らかに最終コーナーよりの観客が多い様に見えます。

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ローラを操るゲイリー・ウィルソンと上位争いを展開する鮒子田のマクラーレン・トヨタ。

”マクラーレン・ホンダ”の前にこんなジョイントが実現していたことに驚きます。

好走もむなしく、このあと21周目にリタイヤを喫してしまいました。

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オリバーにトラブル発生!川合がトップに立つ

レース終盤、このまま逃げ切ると思われたオリバーに燃料計トラブル発生!これによりトップに躍り出たのは、川合の8号車でした。

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足回りがナーバスで、ときに命がけのドライビングが求められたというトヨタ・7。

コクピット左右、満タンの燃料タンクから「チャポン」と音がした…という恐ろしい逸話も残っています。

当時のトヨタワークスは若手同士が「俺が一番速い」と競い合う、非常にエキサイティングなチームでした。

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そして75周を走り切り、川合が念願のトップチェッカー!

日本車が海外製のマシンに、そして本国Can-Am勢を相手についに勝ち取った歴史的な初勝利でした。

©︎富士スピードウェイ

凛々しい顔立ちでポディウム中央に佇む川合。トヨタの次世代スター誕生の瞬間でした。

この勝利を機に、トヨタは本場Can-Am制覇に向け5.0Lツインターボ搭載の「トヨタ・7ターボ」開発に着手します。

1000馬力とも言われたモンスターマシンは、まさに世界を席巻する…はずでした。

3月12日、開業50周年記念イベント「富士ワンダーランドフェス」開催!

©︎富士スピードウェイ

日本初のF1レース開催をはじめ、様々なレースの舞台となった富士スピードウェイで記念イベント「富士ワンダーランドフェス」が開催されます。

この当時走っていたマシンも登場予定。さらにグループCかーやGC、ツーリングカーなども集まる、大注目のイベントとなります。

入場は無料。

滅多に見られない往年の名車たちが集うイベント、目が離せません!

富士スピードウェイ50周年記念イベント『FUJI WONDERLAND FES!』公式ページ

 

まとめ

©︎富士スピードウェイ

この翌年の1970年、トヨタを待ち受けていたのは川合稔の事故死という結末でした。

Can-Amへの参戦準備に徹してほとんどレースには出ず、鈴鹿サーキットで開発に励んでいた最中の悲劇。

この事故でトヨタはプロトタイプマシンの開発を中止し、最強の7ターボは幻と消えてしまいます。

この1969年日本Can-Amは、川合が最も輝いたレースとして今もファンの胸に刻まれているのです。

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