レーシングドライバーとしてF1やCARTで戦ってきたアレッサンドロ・ザナルディ。2001年の大事故で両足を失うという困難に見舞われますが、レースへの激しい情熱は尽きませんでした。見事な復活劇を遂げ、カーレースを引退後にハンドサイクルでパラリンピックに出場し、2大会連続で金メダル獲得を果たしました。そんな不屈のチャレンジ精神を持ったザナルディ選手をご紹介します。

出典:http://www.alex-zanardi.com/

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F1、CARTで活躍したザナルディ

 

F1参戦開始~

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1991年のシーズン終盤であるスペインGPでジョーダンからF1デビューを飾ったザナルディは、攻撃的な走りが持ち味なイタリア人ドライバーとして知られています。

しかし、成績面では順風満帆とは言えず、翌1992年はミナルディからわずか3戦のみ、代役参戦という形で出走するに止まりました。1993年には名門ロータスのレギュラードライバーに選ばれ、第2戦ブラジルGPで初入賞を達成します。

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その後も上位を争うシーンも見せる一方で、彼が時折見せる危険なドライビングに非難の声が寄せられることもありました。

そして、第12戦ベルギーGPのフリー走行中にオー・ルージュで大クラッシュ。マシンが粉々になってしまうほどインパクトの大きいクラッシュでした。これにより負傷欠場を余儀なくされ、翌年はテストドライバーに降格することとなってしまったのです。

レギュラードライバーがテスト中にクラッシュで負傷したため、シーズン途中から再び参戦のチャンスを得ますが、ここでも目立った結果を残せずザナルディは一旦、F1から姿を消すこととなりました。

 

CART参戦開始

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1996年からCARTに参戦することを決めたザナルディは、チップ・ガナッシと契約するとF1では見られなかった活躍を見せました。

初年度から3勝を挙げ、6度ものポールポジションを獲得する大活躍。特に最終戦ラグナセカの名物コーナーであるコークスクリューで、誰もを脅かせるショートカットオーバーテイク(The Pass)を披露し注目を集めました。

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ラグナセカの名物コーナー”コークスクリュー”でコース外を使った豪快な追い抜き「The Pass」。大きな注目を集めましたが、非常に危険度が高い方法のため、翌年から禁止になります。(出典:http://www.alex-zanardi.com/)

これを皮切りに、各レースで圧倒的な強さを見せたザナルディは1997年、1998年で2連覇を達成。優勝後に披露するドーナツターンは、いつしかお馴染みのシーンとなります。

また、トラブルに見舞われて後方に下がっても、あっさりコース上で逆転してしまう彼の強さは専門誌にすら”意味不明”と称されるほどでした。

 

F1復帰以降

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こうしたCARTでの活躍を評価され、1999年に名門チームであるウィリアムズからF1復帰。

トップチームからの参戦ということもあり高い期待を受けたのですが、CARTのような活躍を見せる事は出来ませんでした。

当時のF1マシンは急激にハイテク化が進んでおり、それに対応できなかったのです。チームメイトのラルフ・シューマッハは16戦中12戦でポイントを獲得し他のに対し、ザナルディはイタリアGPの7位入賞が最上位でノーポイント。わずか1年でチームを去ることとなってしまいました。

それから1年の休養を取り、2001年から再びCARTへ参戦を開始しますが、そこに待っていたのは悪夢のような大事故でした。

 

F1という世界を戦い、CARTの世界も制覇したザナルディ。

ドライバーとして、まだまだここから挑戦を続けるタイミングで、大クラッシュに遭ってしまいます。

次のページでは、クラッシュ、そして生まれたハンディすらも活力として生きるザナルディの姿をご紹介します。