日本のレーシングライダーの中で「生きる伝説」「鉄人」と呼ぶにふさわしい方と言えば、伊藤真一選手ではないでしょうか。50歳となった2017年に全日本ロードレース選手権JSB1000クラスや鈴鹿8時間耐久レースに復帰。1987年のデビューから30年間、日本のトップライダーの1人として、二輪レース界に君臨し続ける伊藤真一選手についてご紹介します。
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伊藤真一選手ってどんな人?
伊藤真一選手は、宮城県岩沼市出身のレーシングライダーです。
生年月日は1966年12月7日で、現在51歳になりますが、2017年シーズンは全日本ロードレース選手権(以下:全日本)と鈴鹿8時間耐久レースに出場するなど今も現役で活躍中。
デビューからホンダ一筋で活動し、長期にわたりMotoGPマシン開発のテストライダーも務めました。
また、モーターサイクルレースのチーム運営を行う「有限会社コハラレーシングテクノロジー」と宮城県岩沼市の自動車販売店「GARAGE EDIFICE(ガレージ エディフィス)」の経営も行っています。
4輪ドライバーとしても活動
レーシングライダーである一方で、レーシングドライバーとしての活動も度々行っています。
2017年はスーパー耐久シリーズのST-TCRクラスにモデューロレーシングプロジェクトの97号車シビックタイプRで出場し、そのほかのレースにもポルシェ911GTSやホンダインテグラで出場して優勝を飾りました。
全日本の歴代最高峰クラス3つでチャンピオン獲得
全日本では歴代最高峰クラスである「500cc(1981~1993年)」、「スーパーバイク(1994~2002年)」、「JSB1000(2003年~)」の全てでシリーズチャンピオンを獲得し、また鈴鹿8時間耐久レースでは4度の優勝を飾っています。
その後2011~2016年の間は全日本へのフル参戦を休止し、ホンダのMotoGPマシン開発やブリジストンのタイヤ開発ライダーを務めていました。
さらに、2016年9月17~18日に開催された世界耐久選手権・第1戦ボルドール24時間耐久レースにホンダ系名門レーシングチームTSRから急遽参戦依頼があり、それを受け入れた伊藤選手は、準備期間が1週間もなかったにもかかわらず、決勝レースで5位と好成績をおさめています。
主なレース戦歴
全日本ロードレース選手権
シーズン | クラス | マシン | チーム | シリーズランキング |
---|---|---|---|---|
1987年 | Jr.250 | RS250R | クルーズ・レーシングチーム | 6位 |
1988年 | GP500 | NSR500 | ホンダ | 2位 |
1989年 | GP500 | NSR500 | ホンダ | 2位 |
1990年 | GP500 | NSR500 | ホンダ | 1位 |
1991年 | GP500 | NSR500 | ホンダ | 3位 |
1992年 | GP500 | NSR500 | ホンダ | 8位 |
シーズン | クラス | マシン | チーム | シリーズランキング |
---|---|---|---|---|
1997年 | スーパーバイク | RVF/RC45 | ラッキーストライク・ホンダ | 5位 |
1998年 | スーパーバイク | RVF/RC45 | ラッキーストライク・ホンダ | 1位 |
1999年 | スーパーバイク | RVF/RC45 | ラッキーストライク・ホンダ | 4位 |
2000年 | スーパーバイク | RVF/RC45 | ラッキーストライク・ホンダ | 4位 |
シーズン | クラス | マシン | チーム | シリーズランキング |
---|---|---|---|---|
2003年 | JSB1000 | CBR954RR | F.C.C. TSR | 12位 |
2004年 | JSB1000 | CBR1000RR | DDBOYS | 4位 |
2005年 | JSB1000 | CBR1000RR | ホンダドリームRT | 1位 |
2006年 | JSB1000 | CBR1000RR | ケーヒン・コハラ・レーシングチーム | 1位 |
2007年 | JSB1000 | CBR1000RR | ケーヒン・コハラ・レーシングチーム | 18位 |
2008年 | JSB1000 | CBR1000RR | ケーヒン・コハラ・レーシングチーム | 7位 |
2009年 | JSB1000 | CBR1000RR | ケーヒン・コハラ・レーシングチーム | 7位 |
ロードレース世界選手権
シーズン | クラス | マシン | チーム | シリーズランキング |
---|---|---|---|---|
1993年 | 500cc | NSR500 | ロスマンズ・ホンダ | 7位 |
1994年 | 500cc | NSR500 | HRCホンダ | 7位 |
1995年 | 500cc | NSR500 | レプソル・ホンダ | 5位 |
1996年 | 500cc | NSR500 | レプソル・ホンダ | 12位 |
鈴鹿8時間耐久レース
シーズン | マシン | ペアライダー | チーム | 順位 |
---|---|---|---|---|
1988年 | RVF750 | 田口益充 | SEEDレーシングチーム・ホンダ | 7位 |
1991年 | RVF750 | ダリル・ビーティー | ペンタックス・ホンダRT | 7位 |
1992年 | RVF750 | 辻本聡 | チームHRC | リタイア |
1994年 | RVF/RC45 | 武石伸也 | am/pmホンダ | 3位 |
1995年 | RVF/RC45 | 辻本聡 | チームHRC | 2位 |
1996年 | RVF/RC45 | 辻本聡 | TRFホンダ | 11位 |
1997年 | RVF/RC45 | 宇川徹 | ホリプロ・ホンダwith HART | 1位 |
1998年 | RVF/RC45 | 宇川徹 | ラッキーストライク・ホンダ | 1位 |
1999年 | RVF/RC45 | 宇川徹 | ラッキーストライク・ホンダ | リタイア |
2000年 | VTR1000SPW | 鎌田学 | チーム・キャビン・ホンダ | 8位 |
2003年 | CBR954RR | 辻本聡 | F.C.C. TSR ZIP-FM Racing Team | 3位 |
2004年 | CBR1000RR | 辻本聡 | F.C.C. TSR ZIP-FM Racing Team | リタイア |
2005年 | CBR1000RR | 辻本聡 | F.C.C. TSR ZIP-FM Racing Team | 14位 |
2006年 | CBR1000RR | 辻本聡 | F.C.C. TSR ZIP-FM Racing Team | 1位 |
2007年 | CBR1000RR | 手島雄介 | F.C.C. TSR ZIP-FM Racing Team | 3位 |
2008年 | CBR1000RR | 辻村猛 | F.C.C. TSR Honda | リタイア |
2009年 | CBR1000RR | 秋吉耕佑 | F.C.C. TSR Honda | 9位 |
2010年 | CBR1000RR | 玉田誠 | ケーヒン・コハラ・レーシングチーム | 2位 |
2011年 | CBR1000RR | 秋吉耕佑/清成龍一 | F.C.C. TSR Honda | 1位 |
2013年 | CBR1000RR | 山口辰也/渡辺一馬 | TOHO Racing with MORIWAKI | 7位 |
2014年 | CBR1000RR | 渡辺一馬/長島哲太 | au&Teluru ・ Kohara RT | 35位 |
2017年 | CBR1000RR | ダミアン・カドリン /グレッグ・ブラック |
Team SuP Dream Honda | 42位 |
伊藤真一選手の歴史
伊藤真一選手は1987年に宮城県角田市を拠点とする、クルーズ・レーシングから全日本Jr.250クラスに参戦し、シーズン3勝を挙げてランキング5位を獲得。
その走りがホンダワークス陣の目に留まり、1988年にワークス入りすると、GP500クラスにステップアップ。
ワークスマシンNSR500に乗ってレースを戦う事になりました。
当時21歳だった伊藤選手には、目立った大きな実績が無かったにも関わらずホンダワークス入りを果たしたことで「シンデレラボーイ」と呼ばれます。
いきなり500ccのワークスマシンを操れるのか、周りが不安視する中でGP500クラス参戦初年度から2年連続2位を獲得。
そして3年目となる1990年にはシリーズチャンピオンに輝くという、驚異の実力を示します。
その後、1993年からはロードレース世界選手権にフル参戦を果たし、最高シリーズランキング5位を獲得。
1997年からは全日本に戻る事になりますが、最高峰クラスが2スト500ccから4ストの4気筒750cc・2気筒1000ccエンジンのスーパーバイクに変更され、さらに2003年からは、4スト4気筒1000ccで争うJSBスーパーバイクに変更されるなど、大きなレギュレーション変更が度々なされる事に。
しかし、伊藤選手は変わらぬ速さを発揮し、スーパーバイククラスとJSB1000クラスで3度のシリーズチャンピオンを獲得するのです。
そして2011年7月31日の鈴鹿8時間耐久レースでは自身4度目の優勝を飾り、鈴鹿8耐の最年長優勝記録を44歳236日で更新。
年齢を重ねても速さを維持し続ける伊藤選手は、いつしか「鉄人」と呼ばれるようになりました。
伊藤真一選手の印象的なエピソード
2010年10月30・31日に鈴鹿サーキットで行われた全日本・最終戦でのJSB1000クラス参戦を最後に、2011年以降はホンダの開発ライダーとしての業務に専念する予定でした。
しかし2011年3月11日に東日本大震災が発生し、宮城県名取市在住だった伊藤選手も被災。
経営していたバイク店は営業困難な状況に追い込まれ、親類7人を津波で亡くしてしまいます。
そこで伊藤選手は全国のライダー仲間に声をかけて支援物資を集め、地元宮城県を中心とした被災地にいち早く救援物資を運び入れるなど復興支援活動を行いました。
また「被災者激励のため」として引退を撤回し、2011年全日本開幕戦に出場して3位表彰台を獲得。
第5戦スポーツランドSUGOにもスポット参戦しました。
まとめ
伊藤真一選手は30年のキャリアの中で多くの優勝と名勝負を繰り広げ、我々を楽しませるレースを見せてくれました。
52歳となった2018年は、どのような活躍を見せてくれるのでしょうか。
2輪・4輪の両方から伊藤選手の活躍に期待していきたいと思います。
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