無駄の無い美しすぎる天才ライダー加藤大治郎のライディングスタイル

ミニバイク時代

tribute

 

天才ライダーの衝撃の結末

出典:http://www.forocompeticion.com/foro/motociclismo/11156-motogp-temporada-2014-a-7.html

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子供の頃から秋ヶ瀬サーキットで鍛えられ、日本人ライダーで1番世界チャンピオンに近いと言われていた、天才ライダー加藤大治郎。

世界選手権 MotoGPクラスにステップアップして1年目の2002年、第10戦チェコGPからRC211Vを供給されると同時に2位を獲得します。

残念ながら、参戦初年度は優勝こそできなかったものの、世界中が注目するライダーの1人となっていました。

そして翌年の開幕戦、日本GP(鈴鹿)では、予選は11位。決勝ではスタート後、4位争い集団に入ります。

そして3周目、130Rの立ち上がりでマシンが左右に激しく揺さぶられ、コントロールを失い、その先のシケインのスポンジバリアに激突。発生から激突までわずか2秒ほどの出来事でした。

そのままドクターヘリで病院に搬送され意識不明の状態が2週間ほど続きましたが、4月20日未明、脳幹梗塞のため26歳の若さで息を引き取ってしまうのです。

 

加藤選手の事故に関するHONDAの発表

(1)事故車両に関する検証結果
事故車両に関して、事故車両および加藤選手の車載計測データをもとに解析を行った結果、エンジン本体機能、前後サスペンション、駆動系、ブレーキ、タイヤに関する動作異常は認められず、車両各部における機能面の問題はなかったと判断した。

特に、フロントブレーキディスクの破損については、ディスク破断面の解析により、衝突後に発生したものと判断した。

(2)車両運動面からの検証結果
車両運動力学の見地から車載計測データおよび映像を解析した結果、事故時の車両の挙動について次のとおり推定した。

各ライダーは、事故現場手前のコーナー(通称130R)出口では、マシンがバンクした状態でリアタイヤが浮き上がるレベルまでフルブレーキングを行い、さらに切り返しを行っている。リアタイヤの接地力が弱まっているこのような状況下で、車体慣性力により車体後方が突発的に横振れし始めた。

この挙動を止めるためにフロントブレーキを弱めたが、これによりリアタイヤの接地荷重が増し、ハイサイド(※1)が発生した。このハイサイドをきっかけにウィーブモード(※2)が発生し、コントロールを失ったマシンは激しく振られながら左へコースアウトした。

本委員会は今後、ライダーの操縦動作を含め様々な状況下における二輪車固有の振動現象の要因解明が重要であると考える。

(3)コースに対する検証結果(タイヤバリアとスポンジバリアの状態)
加藤選手が衝突した場所の防護体は、コースに沿ってタイヤバリアに続き間隔をおいてスポンジバリアが設置されていた。加藤選手は、タイヤバリアに衝突したのち、タイヤバリアをなぞって進み隣接のスポンジバリアへ衝突、この際に頚椎に損傷を受けた。

なお、本レース開催直前に事故現場前後の改修が行われたが、コース改修以前に今回の事故現場において重大事故は発生しておらず、FIM(国際モーターサイクリズム連盟)とIRTA(国際レーシングチーム協会)による改修後の確認および各チームの練習走行会においても事故現場の危険性の指摘はなかった。FIMによるコース公認証が発行され、レース開催において全て最終確認が完了していた。

本委員会からの提言として

1. 予見不可能な衝突の際にも衝撃を少しでも軽減するためには、防護体の効果を向上させることが有効である。現在のところ、防護体についてはFIMに統一的な安全設置基準がないのが実情であるが、今後は少しでもリスクを軽減できるよう、FIMは防護体の安全性に関する研究開発をさらに進め、これを規格化することが望まれる。
2. 通常は頸部の自由な運動性が確保され、且つ転倒などで身体に異常な衝撃が加わった場合には頭部と躯幹部を瞬間的に強く固定できるような安全装置の開発が望まれる。

(4)法医学面からの検証結果
事故発生直後から病院に搬送されるまでの応急救護措置、および病院での治療は、日本における応急救護、救急搬送、医療の体制から考え得る適切な対応が施されていたと判断した。

出典:http://www.honda.co.jp/daijiro/report/

 

引き継がれる夢

志半ばで途切れてしまった天才ライダーの夢である「自身の世界選手権MotoGPクラスでのタイトル獲得」。

その願いは残念ながら叶える事はできませんでした。

しかし、彼にはもう1つの夢があります。それは、「子供たちにモータースポーツの楽しさを伝えたい。そしてその中から次世代の世界チャンピオンが誕生してほしい」という想い。

出典:http://www.74daijiro.net/daijiro-cup/

出典:http://www.74daijiro.net/daijiro-cup/

その想いが彼の父親である加藤隆氏、そして彼のマネージメント会社である有限会社デルタ・エンタープライズによって引き継がれ、悲しすぎる事故が起きた2003年の3月からDAIJIRO-CUPがスタートしました。

DAIJIRO-CUPは、子供たちがより安全に楽しくレースをはじめられるようにと開発されたスーパーミニバイクを使って参加できる、家族で楽しめるレースです。

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©Motorz

『DAIJIRO CUP』などの74Daijiroのレース参加者たちは、毎週末、家族でサーキットに向かい、練習を重ねています。
レースに参加するのはライダー(子供)だけではありません、お父さんはメカニックであり、チーム監督でもあります。お母さんはチームマネージャー、チームスタッフとしてライダーをサポ ートします。レーシングチームは、家族が力を合わせなくては運営できません、まして、ライダーだけでは走ることもできないのです。サーキットに向かう家族はこうしてお互いの絆を深め、『チーム』として成長していくのです。

出典:http://www.74daijiro.net/experience/

DAIJIRO-CUPに参加しているライダーの最年少は3歳から。

年齢制限はなく、使用するマシンに合わせた3つのクラスに分かれ3月から11月のシーズン中、毎年5~6戦が加藤大治郎の原点である秋ヶ瀬サーキットを中心に開催されています。

そして現在、全日本ロードレース選手権などで活躍しているトップライダーの中には、このDAIJIRO-CUPの卒業生が多く存在し、加藤大治郎の夢は引き継がれ続けているのです。

 

まとめ

ポケバイを始めた3歳の頃から一気にロードレース界を駆け上がり、その存在感と才能で世界中のライダーに影響を与え続け、今なお多くの人の心に残る加藤大治郎。

その速すぎる背中に多くのライダー達が憧れ、今でも追いかけ続けています。

そんな加藤大治郎の夢が引き継がれ、スタートしたDAIJIRO-CUPに私も1度参加させて頂きました。

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©Motorz

そこには、心の底から真剣にポケバイを楽しむ子供たちの笑顔で溢れていて、「子供たちにモータースポーツの楽しさを伝えたい」という加藤大治郎の想いが広がっていました。

多くの人の心にショックと衝撃を残した2003年の悲しい事故から約13年。

今でもロードレースを愛する人たちの憧れであり、目標であり続ける天才ライダー加藤大治郎。

叶えられなかった彼の夢を是非、一緒に追いかけてみませんか?

安全で楽しいモータースポーツに、少しでも多くの方が触れ、共感して頂ければ嬉しいです。

74Daijiro公式HP

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