2018年のF1日本GPは、鈴鹿サーキットでの開催30回記念大会として行われ、通常以上に豪華なイベントとなりました。そんな豪華コンテンツの中でも、ひと際注目を浴びていたのが往年の名
ドライバーたちによる
時代を超えたレジェンドマシンのデモ走行でした。
CONTENTS
アレジがドライブ!フェラーリF187
まず最初にご紹介するフェラーリF187は、鈴鹿サーキットの歴史を語るうえで欠かせない1台として知られています。
初めて日本GPが行われた1987年にゲルハルト・ベルガーが、このF187を駆りポール・トゥ・ウィン!
ベルガーとミケーレ・アルボレートに操られたこのマシンは、信頼性に乏しく多くのリタイアを喫しましたが、シーズン終盤を迎えた日本GPとオーストラリアGPで優勝を獲得。
今回のデモ走行では、フェラーリ時代にベルガーのチームメイトを務めたこともあるジャン・アレジがこのマシンをドライブしました。
また、現在は彼の息子であるジュリアーノ・アレジがFDA(フェラーリ・ドライバー・アカデミー)に所属しており、親子でフェラーリF1ドライバーを目指して戦っています。
中嶋悟の力走が蘇る!?ロータス100T
1988年シーズンを戦ったロータス100Tは、F1デビュー2年目を迎えた中嶋悟と3度のF1王者に輝いたネルソン・ピケによってドライブされたマシンです。
このマシンが投入された直後は、開幕戦からピケが連続表彰台を獲得し、中嶋もブラジルGPで6位入賞を果たすなど幸先の良いスタートを切りました。
しかし開発が遅れ、高性能を誇ったホンダエンジンを搭載するも奮わない成績に終わってしまいます。
それでも日本GPでは、中嶋が予選6番手を獲得する力走を披露。
決勝レースでは、スタート時のエンジンストールにより大きく後退してしまうトラブルが起こるも、7番手まで挽回。
そんな、かつて力走を見せたマシンと共に鈴鹿サーキットに登場した中嶋は、その時の気迫溢れる走りとはまた違う、悠々としたドライビングでファンを楽しませていました。
ラジエターがむき出し!?フランス産のF1マシン”JH23”
1986年から1991年まで参戦したフランス籍のF1チーム、AGSが1988年に投入したJH23も鈴鹿30回記念大会に華を添えました。
AGSは小規模なチームだったためリソース面で苦しい状況も多くありましたが、このJH23はフィリップ・ストレイフが全戦で予選を通過するなど、健闘を見せたマシンです。
残念ながらシーズンを通して入賞は叶いませんでしたが、日本GPではシーズン最高位となる決勝8位に食い込みます。
ハンドリングなどマシンの素性そのものには評価が高く、開発の余地は残されていたもののチームには資金的な余裕が無く、多くの開発が見送られる事に。
サイドポンツーンに開けられた冷却口からはラジエターが見え、現代のF1マシンからは想像できないほど、当時のメカニックたちによる工夫が見える1台でした。
鈴木亜久里、幻の移籍が今ここに再現!?”ベネトンB189”
フェラーリ黄金期を支えた名マシンデザイナー、ロリー・バーンによって設計されたベネトンB189は、アレッサンドロ・ナニーニと共に1989年の日本GPで優勝を飾った日本のファンにも馴染みの深い1台です。
この日本GPでの優勝はナニーニにとってキャリア唯一の優勝だっただけでなく、ベネトン・フォードとしての初優勝車でもあり、ベネトンチーム史においても重要なマシンとして知られています。
今回の走行でこのマシンを走らせたのは、1990年の日本GPで日本人初表彰台を獲得した鈴木亜久里。
1990年当時、鈴木にはベネトンからオファーが来ており、契約は合意に至ったと言われていましたが、最終的には実現せずに鈴木はラルースに残留。
それから28年の時を経た今年の日本GPで、鈴木は年式こそ遡ってはいるものの、幻の移籍となったベネトンのマシンをファンの前で走らせることになりました。
日曜日はマシントラブルで親子競演ならず…”ティレル019″
1990年に登場したティレル019は、F1マシンの空力学思想に大きな影響を与えたマシンです。
フロントノーズが高く持ち上げらていることが特徴的で、これはハイノーズと呼ばれ後世のマシンがこぞって踏襲する技術となりましたが、これを初めて導入したのがこのティレル019でした。
このマシンで戦ったのは中嶋悟とジャン・アレジ。
アレジは第4戦モナコGPで2位表彰台獲得という活躍を見せ、中嶋も日本GPを含む2度のの入賞を果たしています。
今回のデモランでは唯一当時を戦った両名が来場しているマシンでしたが、それぞれが違うマシンを担当したため、このマシンは中嶋悟の息子である中嶋一貴がドライブ。
しかし日曜日はマシントラブルによって出走できず、残念ながら親子揃ってのレジェンド走行は実現しませんでした。
インディ500ウィナーが叶えた夢のような瞬間”マクラーレンMP4/6”
マクラーレンホンダの黄金期を築いたMP4/6も、今回のデモ走行に登場しました。
1991年にアイルトン・セナが開幕4連勝を飾り、そして最後のドライバーズタイトルを獲得したマシンとしても広く知られています。
この年の日本GPではマクラーレンホンダが見事に1-2フィニッシュを飾り、セナがチェッカー直前でベルガーに優勝を譲ったエピソードはその後も語り継がれるものに。
今回このMP4/6は佐藤琢磨がドライブし、セナ足を披露すると宣言!
今ではインディ500ウィナーと呼ばれる彼も、かつてはマクラーレンホンダやセナに憧れていた少年の一人でした。
そんななか、多くのレジェンドマシン、ドライバーに囲まれてMP4/6をドライブ出来たのはまさに夢のようだったと語っています。
思い出の初戴冠を決めたフライングフィンと”マクラーレンM4-13”
今回のレジェンドマシン走行の為にわざわざドイツから運ばれたのが、マクラーレンMP4-13です。
また、このマシンと共に今回来場したミカ・ハッキネンが、今から20年前の日本GPで初のF1王者に輝いた歴史的な1台でもあります。
その20年前の日本GPではシューマッハとハッキネンの一騎打ちで王座が争われ、2人の異次元の速さに注目が集まりました。
ハッキネンはシューマッハのエンジンストールによる後退に助けられはしましたが、堂々の優勝を飾り自身初のドライバーズタイトルを獲得。
20年振りに鈴鹿でこのマシンをドライブするハッキネンは、現在のマクラーレンのレーシングスーツに身を包んでいましたが、少しお腹周りがふっくらとした様子も。
しかし、マシンに乗り込むと現役時代を彷彿させる水色のヘルメットを被り、思い出のサーキットでV10サウンドを響かせてくれました。
シューマッハが鈴鹿で若手との死闘を演じた”フェラーリF2005”
その名の通り2005年シーズンを戦ったF2005は、フェラーリとミハエル・シューマッハの前人未到となるシリーズ6連覇をかけて投入された意欲作。
フェラーリ黄金期を支えたロス・ブラウンとロリー・バーンによって設計されたこのマシンは、フロントウィングの下に吊り下げられたミニウィングが特徴的で、これは先代マシンに当たるF2004Mを踏襲したものです。
しかし、このF2005はシリーズ6連覇を達成することは叶わず、ミシュランタイヤのユーザーがボイコットを敢行したアメリカGPでの1勝に終わってしまいます。
日本GPではミハエル・シューマッハが台頭著しいフェルナンド・アロンソとキミ・ライコネンを相手に死闘を演じるも、アロンソには130Rでオーバーテイクを許し、この戦いは皮肉にもフェラーリ黄金期の終焉を象徴する1戦となりました。
今回のレジェンド走行では、シューマッハと共にこのマシンを駆ったルーベンス・バリチェロがドライバーを務める予定でしたが、直前にキャンセル。
代わってオーナーがステアリングを握り、F1最後のV10エンジンサウンドを再びサーキットに轟かせてくれました。
フェリペ・マッサがポールポジションの思い出を語った”フェラーリ248F1”
こちらの248F1は2006年にフェラーリが投入したマシンで、ミハエル・シューマッハがドライブした最後のフェラーリとしても知られています。
先述した2005年の不振から一転、2006年はフェラーリにとって反撃のシーズンとなり、この248F1はシーズン最終戦までタイトル争いを繰り広げました。
惜しくもタイトルに手は届きませんでしたが、シューマッハはこのマシンで善戦し、惜しまれつつ1度目の引退を決意します。
また、日本GP決勝では序盤にトップに立ったシューマッハがレースをリード。
8度目の王座へ奮闘するもデグナーカーブでのまさかのエンジンブローにより、タイトル争いで大きく劣勢に回る衝撃的な幕切れとなりました。
今回のレジェンドマシン走行では金曜日にフェリペ・マッサがステアリングを握り、かつて日本GPでポールポジションを獲得した思い出のマシンを、ファンの前でドライブ。
まだ現役引退から1年も経っていない彼は、現役時代を思わせるイキイキとしたドライビングを披露。
また、土曜日に行われた前夜祭でマッサは、鈴鹿でポールポジションを獲得した当時について回想し、F2006との素敵な思い出をファンの前で語ってくれました。
Fダクトは非搭載!?記憶にも新しい”フェラーリF10”
最後にご紹介するのは、2010年にフェルナンド・アロンソとフェリペ・マッサによってドライブされたフェラーリF10です。
今回のレジェンドマシン走行において登場するなかでは最も新しく、まだ記憶に残っているという方も多いのではないでしょうか。
ちなみにこのF10が戦った2010年は、リアウィングにかけてエンジンカウルのフィンがリアウィングまで延長される手法を採用。
後にこのフィンはFダクトという直線区間でリアウィングの機能をストールさせるデバイスへと進化しましたが、今回のレジェンドマシン走行で登場したマシンはダクトを搭載していない前期型のF10でした。
土曜日にはオーナーからマッサがドライブを引き継ぎ、軽快な走りでファンを楽しませてくれました。
まとめ
F1史に残るマシンたちの登場はファンだけでなく、ステアリングを握るドライバーたちにとっても特別な時間だったようです。
鈴鹿開催30回記念大会を迎えた日本GPに、その歴史を作ってきたマシン、ドライバーたちが華を添えてくれるなんて、とても贅沢だと思いませんか?
来年はもっと多くのレジェンドマシンとドライバーが観たい!!!
みなさんの思い出に残っているマシンも近い将来、日本GPにやって来るかもしれません。
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