音速の貴公子と呼ばれた伝説のF1レーサー、アイルトン・セナ。不慮の事故によりこの世を去ってから20年余りが過ぎましたが、今でも多くのファンの胸にはそのアグレッシブな走りが生き続けています。プライベートではバイク愛好家で知られ、アクシデントの前にも1台のバイクをオーダーしていました。それが運命の1994年のことでした。今回は「ライダー」アイルトン・セナの名前を冠したバイク「SENNA」をご紹介します。
掲載日:2020/02/24
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神を見た男:アイルトン・セナ
モータースポーツに詳しくない方でも、アイルトン・セナの名前はご存知だと思います。
「史上最速のF1ドライバー」と呼ばれ、その異次元の走りに多くのファンは魅了されました。
また、優勝を飾った1988年の鈴鹿GPでのインタビューで「私は神を見た」と語った事も印象的で、記憶に残っているのではないでしょうか。
F1までの道のり
セナは幼いころからカートに夢中で、13歳でレースデビューするとたちまち頭角を現しました。
南アメリカカート選手権の優勝を皮切りにヨーロッパや日本でも上位入賞、21歳になるとイギリスに渡りジュニアフォーミュラに参戦、そして優勝を果たします。
そして一度引退を決意するもすぐに復帰し、F3でチャンピオンを獲得後、1984年にF1へステップアップしました。
3人のライバルたち 4強時代
F1にステージを移したセナは常にライバルの存在を意識しており、「ライバルに勝つこと」でレースに対するモチベーションを高めていたそうです。
「無冠の帝王」と呼ばれたナイジェル・マンセル、「自由人」の愛称で親しまれたネルソン・ピケ、緻密なレース運びで「プロフェッサー(教授)」の異名を持つアラン・プロスト。
セナはこの3人のライバルたちとともに『4強』と呼ばれ、特にアラン・プロストとはチームメイトでありながら熾烈なバトルを繰り広げ、2人の間に軋轢が生じたこともありました。
しかしプロストはセナに関して、「お互い尊敬の気持ちがあった」と二人の不仲説を否定する発言をしています。
運命の日
イタリアボローニャ県東部に位置するイモラサーキット。
F1では1981年から2006年に、このコースで開催されたレースをサンマリノGPと呼びます。
全長5,017mのこのコースは1994年に改修され、現在では全長4,933mのコースとなりました。
そんな、1994年のサンマリノGPはレースウィーク初日から不穏な空気に包まれました。
フリー走行中のルーベンス・バリチェロがシケインでクラッシュし、フェンスに激突しますが幸い命に別状はありませんでした。
しかし、このクラッシュでレースを棄権することになります。
そして翌日の予選ではローランド・ラッツェンバーガーがコースアウトによりクラッシュ。
ラッツェンバーガーはF1デビューイヤーでありながら、不幸にも亡くなってしまうのです。
偶然なのか、1994年シーズンはレギュレーションの変更があり、各チームはマシンのセットアップに苦しめられている年でした。
そんな時期に起きたバリチェロとラッツェンバーガー2人のアクシデントは、レーサーたちに大きな動揺を与えます。
それはセナも例外ではなく、決勝の前日には周囲に「走りたくない」と話していたそうです。
そんなレーサーたちの動揺をよそに、史上最悪のF1サンマリノGP決勝が始まりました。
魔のタンブレロ
予選でポールポジションを獲得し、1番グリットでスタートを待つセナ。
レースが始まり好調なスタートを切りますが直後に後続のマシンがクラッシュします。
観客をも巻き込んだアクシデントにレースは混乱し、コースにはセーフティーカーが導入されました。
レース再開に向けてコース上ではマーシャルが作業し、各マシンはセーフティーカーランを続けます。
そして5周が終了したところでセーフティーカーがピットインし、レースは再スタートを切りました。
トップのまま2周目を迎えたセナはホームストレートを通過し、背後にミハイル・シューマッハの気配を感じながら左高速コーナー「タンブレロ」にさしかかります。
しかし先にタンブレロを抜けたのはシューマッハのマシン、そしてそれはイモラサーキットに「最も悲しい日」が訪れた瞬間でもありました。
セナのマシンはタンブレロを駆け抜けることなく、そのまま直進してコンクリートウォールに激突、大破したマシンがコースを塞ぎレースは赤旗中断。
瀕死の重傷を負ったセナはドクターヘリにより病院に緊急搬送されますが、事故発生から約4時間後の午後6時40分にその生涯の幕を閉じました。
享年34歳という若さでした。
また、このレースはミハエル・シューマッハが優勝しますが、シューマッハに笑顔はありません。
レース後のインタビューでは「嬉しくない」と話し、また追悼の意を込めてシャンパンファイトも行われない異例のレースとなりました。
シューマッハとセナの間には不仲説もありましが、後日シューマッハはテレビのインタビューで「セナは僕の憧れだった」と語り、また、セナの41勝に並んだレースの際には「この勝利は僕にとってすごく大きな意味を持つものなんだ」と涙を流しながらセナへの想いを語っています。
セナとバイク、そしてSENNA
アイルトン・セナはプライベートでは自らライディングするくらいバイク好きで、モンスター900と851を所有するほどのドゥカティスト(ドゥカティファン)でした。
そして1994年には、自らイタリアのドゥカティ本社工場を訪れ、1台のバイクをカスタムオーダーしています。
ドゥカティ916 SENNA
ドゥカティはSBK(スーパーバイク世界選手権)において、1990年から3年連続で優勝を獲得しますが、1993年シーズンにはカワサキに王座を奪われてしまいます。
それまでレースを戦っていたマシンである888は、ドゥカティ初の水冷エンジンを搭載した851をベースとし、レギュレーションの変更に伴いシーズンごとに改良を加えていましたが型遅れ感は否めませんでした。
そこでドゥカティは王座奪還を狙うべく、888を超えるマシンの開発に着手したのです。
開発の指揮を執ったのは、ビモータの創設者の一人でもあり、当時ドゥカティの親会社カジバに在籍していたマッシモ・タンブリーニ。
軽量化に重点をおいて新設計されたドゥカティのニューマシンは、916ccのパワフルなエンジンを搭載して世に送り出されました。
従来からのL型デスモドロミックエンジンとトレリスフレームの基本レイアウトは新設計でありながらもドゥカティであることを主張し、左右別体ヘッドライトに片持ちスイングアーム、そしてセンターアップマフラーという斬新なデザインで「世界で一番美しいバイク」と称賛され、ネーミングは排気量から916とされました。
そして1994年シーズンからSBKに参戦し、カール・フォガティが駆る916はデビューイヤーでありながら見事に優勝!
念願の王座奪還を果たしたのです。
そんな、ハイパフォーマンスでありながら優美なデザインを纏った916。
セナがイタリアまで訪れて、カスタムオーダーしたバイクこそがドゥカティ916なのです。
グレーを基調としてレッドのアクセントを散りばめた、世界で1台の916。
しかし、その916にセナが乗ることはありませんでした。
そして、ドゥカティはセナがオーダーした916と同色のカラーを施した916 SENNAを台数限定で1995年にリリース。
2年後の1997年には916 SENNA II、翌1998年には916 SENNA IIIが同じく限定でリリースされました。
ドゥカティ1199 パニガーレS SENNA
2012年、ドゥカティはまたも世界を驚かせるニューマシンを発表します。
新設計のそのマシンは、伝統のトレリスフレームを捨てモノコックボディを採用。
1199ccまでボアアップされたエンジンは200馬力近いパワーを発生し、電子制御によりライダーをサポート。
そのバイクは、1199パニガーレと名付けられました。
ちなみに「パニガーレ」とは、ドゥカティ本社が置かれるイタリア、ボローニャ地方のボルゴ・パニガーレ地区の名称に由来します。
翌年の2013年には、1199パニガーレは世界でも権威のあるレッド ドット デザイン賞においてベスト オブ ザ ベスト賞を受賞しました。
そして悲劇のサンマリノから20年を経た2014年、セナの名を冠したバイクが再びドゥカティから誕生しまします。
そのバイクが、1199パニガーレ S SENNAなのです。
1199パニガーレSをベースに、916SENNAと同じカラーリングをしたこのバイクは、セナがF1参戦した回数にちなんで161台の限定で、しかもセナの故郷であるブラジルのみでリリースされました。
もうひとつのSENNA MVアグスタ
モーターサイクルの歴史に輝かしい名を残したMVアグスタ。
1970年代には一度その姿を消しますが、1997年にカジバの力を借りて復活を遂げました。
そして1999年には新生MVアグスタを代表するマシン、F4シリーズをリリースするのです。
F4の開発を手掛けたのはマッシモ・タンブリーニ!
そう、ドゥカティ916の開発を手掛けたあのタンブリーニです。
オルガンパイプと称される並列4本のセンターアップマフラーが話題を呼んだ世界限定300台のF4・F4SerieOro、そしてその廉価版で量産モデルであるF4 750S。
2002年にF4・750SがF4・750Evoへとモデルチェンジすると、アグスタはF4・750SENNAをリリースします。
赤いフレームを覆う黒いカウルにはSENNAのロゴが描かれ、売上金の一部はアイルトン・セナ財団を通じてブラジルの子供達を支援する慈善活動資金として寄付されました。
また、F4は2005年に排気量が750ccから1000ccへアップされ、量産モデルであるF4・1000Sと2台の限定モデルをリリース。
翌年2006年には1000ccエンジンを搭載し、サスペンションやブレーキなどの足回りを強化したF4・1000SENNAをリリースしました。
ちなみに、アグスタのSENNAは750、1000のいずれも300台限定でのリリースでした。
まとめ
アイルトン・セナの名を冠した4台のイタリアンバイク、SENNAを紹介しました。
あの悲劇がなければ、もしかしたらSENNAがリリースされることはなかったのかも知れません。
神を見た男が、自らオーダーしたバイクに乗ることはありませんでしたが、「ライダー」アイルトン・セナの想いはメモリアルバイクSENNAとなって、世界中のファンにバイクの素晴らしさ伝えてくれているのではないかと感じます。
SENNAはいずれも限定リリースなので入手することは困難かもしれませんが、もしどこかで見かけることがあれば、アイルトン・セナという『伝説のF1ドライバー』の事を思い出してみてくださいね。
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