ヤマハが生み出した数々の名車の中でも、FZ750は特別な存在です。2ストが主力だったモデルラインナップから4ストへの転換期を迎え、当時開発されたFZ750に搭載された画期的な技術は、現行モデルに通じています。そんなヤマハ FZ750がどんなバイクだったのか、振り返りながらご紹介します。
掲載日:2019.11/6
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ジェネシス思想から生まれた名車ヤマハ・FZ750
ヤマハ発動機の歴史を辿ると、『ジェネシス(GENESIS)』という重要ワードが出てきます。
ジェネシス(GENESIS)は英語で『創世記』を表し、フレームやエンジンなど車体構成をひとつのユニットとして、人車の一体感を追求するヤマハの技術思想でした。
今となっては「そんなの当たり前だ」と思われるかもしれませんが、当時のスポーツモデルを2ストに依存しがちだったヤマハが、全く新しい4ストというカテゴリーでスポーツバイクを生み出そうとした際の、スローガンのようなものだったのです。
そして、このジェネシス思想のもとで、最初に生み出されたバイクが名車FZ750でした。
ヤマハ・FZ750とは
FZ750は、1984年秋に開催されたドイツ ケルンショーで発表され、1985年に発売されました。
そして、ジェネシス思想に基づいた世界初の4ストローク並列4気筒DOHC5バルブエンジンと、エンジンを45度前傾に搭載したレイアウトが話題を呼びます。
日本で正規販売された国内仕様は、フロントに16インチのタイヤを装着し、最高出力は77馬力。一方で海外仕様はフロントを17インチタイヤにし、最高出力は100~110馬力になっていました。(輸出国によって最高出力が異なります)
海外では扱いやすいベーシックスポーツとして人気を呼び、白バイ仕様の派生モデル FZ750Pも登場したことで日本だけでなく世界各地の警察二輪車両に採用。日本では1987年のFZR750登場と共に生産終了となりましたが、海外では1994年まで生産され、約3万9,000台が販売された大ヒット作となります。
ヤマハがこだわった多バルブへの探求!幻におわった7バルブエンジン
ヤマハは、1960~1980年代前半にかけて2スト車を主力に展開しており、レースではワークスマシン YZR500や市販レーサーのTZシリーズといった2ストレーサーが時代の最先端でした。
そして、ホンダが4ストエンジンでレースに勝てるスポーツバイクを追求していく中、ヤマハの4スト車はどれも公道走行を重視したスタンスを貫いていたので、4スト車のほとんどにメンテナンスフリーのシャフトドライブを搭載していました。
ヤマハOW34・YZR1000。1977年東京モーターショーにて発表されたヤマハが4ストローク技術研鑽とアンチRCBとして世界耐久選手権参戦のために開発した究極兵器。水冷90°V4気筒7バルブ1000cc、135馬力275km/h以上を誇る。社内抗争とレギュレーション変更のため死産と終わる。 #唐突に好きなモノを語る pic.twitter.com/WO9gK4O8SC
— 武蔵屋 (@nannzannsu) 2018年4月2日
しかし、1977年開催の第22回東京モーターショーではヤマハ初のリッター4気筒エンジンとなるXS1100を展示し、その横には水冷4ストロークV型4気筒DOHC4バルブを搭載したレーシングマシン YZR1000(OW34)が飾られ、世間を驚かせます。
実はこのとき、ヤマハでは既に4ストレーシングマシンの開発が水面下で進められていたのです。
なぜならば、1970年代以降、排ガス規制強化の波がどんどん押し寄せ、特に最大のマーケットである北米市場において、2ストの存続が危ぶまれていました。
そのためヤマハも、高性能4ストエンジンの開発に着手しなければならなかったのです。
ヤマハって7バルブとか作ってたんだw pic.twitter.com/QQ6guzl1GD
— ふなっち (@Fnattti) 2018年2月15日
開発コードネームは『001A』で、YZR1000と同じV型4気筒エンジンを500ccまでスケールダウンさせ、1気筒当たり吸気4バルブ、排気3バルブの7バルブと2つのプラグを装着。2万回転で135馬力を発揮しました。
当時ホンダは楕円ピストンと1気筒あたり8バルブの4ストGPレーサー NR500を投入するも結果を出すことができず、一方でヤマハ YZR500は圧倒的な速さで連戦連勝を記録しましたが、4ストで苦戦するホンダを目の当たりにしたことで、001Aは実装されることなく、幻のエンジンとなります。
しかし1984年、AMAデイトナ200に2スト車での出場ができなくなり、新レギュレーションでは750ccまでの4ストエンジンを搭載した市販車ベースのレーサーのみ出場可能となります。
さらに、日本でもTT-F1クラスが開始され、4ストエンジンは4気筒で750ccまで、2気筒で1000ccまで、2ストエンジンでは500ccまでの市販車ベース車両が出場可能でした。
そこでヤマハは次なる計画として、開発コードネーム『064』を始動。
7バルブエンジンをそのままに、排気量750ccのホモロゲーションモデルを200万円で200台市販することを目標にしましたが、こちらも中止に。
このまま奇数の多バルブエンジンは幻になるかと思いきや、3度目の正直でFZ750が開発されたのです。
吸排気をそれぞれ1バルブずつ減らした5バルブに変更し、シリンダーを45°前傾させてその上にキャブレターとエアボックスを配置。ストレートに近い吸気通路を実現しました。
これほど革新的な技術が生み出されたのは、ヤマハ独自のジェネシス思想があったからこそです。
デイトナ200マイルレースで優勝!ローソンレプリカが人気沸騰
1985年、FZ750が市販された年に、ヤマハは全日本ロードレース選手権TT-F1クラスにFZ750をベースにしたワークスマシンFZR750を投入。
その年の鈴鹿8時間耐久レースでは、ケニー・ロバーツ氏と平忠彦氏が乗るFZR750がポールポジションを獲得。
決勝レースでは、残り30分のところまでトップを独走していました。
また、1986年のデイトナ200では、エディー・ローソン氏がFZ750で優勝し、ローソン氏が乗っていたFZ750を真似た『ローソンレプリカ』のカスタムは、今でも根強い人気を誇っています。
スペック
ヤマハ・FZ750 | ||
---|---|---|
全長×全幅×全高(mm) | 2,225×755×1,165 | |
軸距(mm) | 1,485 | |
シート高(mm) | 790 | |
乾燥重量(kg) | 209 | |
エンジン種類 | 水冷4ストローク並列4気筒DOHC5バルブ | |
総排気量(cc) | 749 | |
ボア×ストローク(mm) | 68.0×51.6 | |
圧縮比 | 11.2:1 | |
最高出力(kw[PS]/rpm) | [77]/9,500 | |
最大トルク(N・m[kgf・m]/rpm) | [7.0]/6,500 | |
変速機形式 | 6速リターン | |
タンク容量(ℓ) | 21 | |
タイヤサイズ | 前 | 120/80R16 |
後 | 130/80R18 | |
燃費(km/L)【国土交通省届出値(60km/h走行時)】 | 42.0 |
まとめ
伝統を覆し、新しいことにチャレンジすることは想像を絶するほど困難なことです。
しかし、2スト一辺倒だったヤマハが、多バルブ4スト車のプロジェクトに何度も挫折しながら作り出したFZ750は、スポーツバイクの新次元を切り開き、現在のフラグシップモデル YZF-R1に受け継がれています。
そう考えると、FZ750が生み出されなかったら、今のヤマハなかったかもしれません。
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