2代目スイフト以降は、小型車重視にシフトしてプレミアム感の高いコンパクトカーを数多く発売しているスズキですが、それ以前は軽自動車重視で小型車はカルタスなど価格が取り柄の車種を1984年からラインナップしているのみでした。しかし、実はかなり昔、1960年代にもひっそりと小型車を販売していたのです。それがフロンテ800でした。

 

スズキ フロンテ800 / © TOYOTA MOTOR CORPORATION.All Rights Reserved.

 

通産省の自動車産業介入に対するスズキの回答、フロンテ800

 

第9回全日本自動車ショー(1962)にスズキが出展した4ドアセダン / 出典:https://www.allcarindex.com/auto-car-model/Japan-Suzuki-4-door-Sedan-prototype/

 

1955年に発売した軽自動車初期の秀作、スズライトSFで4輪自動車産業へ参入したスズキは、その後もキャリイ(初代発売1961年)やフロンテ(同1962年)で足場を固めていきました。

しかし1961年5月、貿易自由化後の国内産業保護のため、通産省(現在の国土交通省)が後に特振法(特定産業振興臨時措置法案)と呼ばれる産業振興策を提言し、自動車産業をカテゴリーごとに数社ずつ分化して、再編成を図ろうとします。

つまり、中小企業が乱立しても外資に対抗できないので、量産大衆車、高級車やスポーツカー、軽自動車のメーカーをそれぞれ2~3社ずつに制限し、通産省の指導の下で発展させていきましょうという話です。

それに対する反発の急先鋒だったのが、当時まだ4輪車に参入していなかったホンダ(1963年T360およびS500発売で参入)で、軽自動車しかまだ販売していなかったスズキにとっても将来に関わる問題でした。

そこで1962年の第9回全日本自動車ショー(現在の東京モーターショー)に『スズキ4ドアセダン』(上画像)を名乗る試作車を出展します。

スズキ4ドアセダンは展示名そのままの小型4ドアセダンで、駆動方式や排気量なども一切不明でしたが、サスペンション形状などからFF車ではないかと思われるモデルでした。

そして翌1963年には『スズキ スズライトフロンテ800』、さらに1964年には『スズキ フロンテ800』と名前や姿形を変え、1965年12月にようやくフロンテ800は発売されます。

なお、後のフロンテ800と最初のスズキ4ドアセダンには3BOXタイプのFF小型乗用車という以上の共通点はあまり無い別車種らしく、通産省の特振法に対し自動車メーカーとして旗印を明確にする、という以上の意味は無かったようです。

 

DKWとシボレーの影響が強い国産初のFF小型乗用車

 

スズキ フロンテ800 / 出典:http://www.en.japanclassic.ru/booklets/216-suzuki-fronte-1965-800-c10.html

 

フロンテ800は最初のショーモデルとはデザインが全く異なる2ドアセダンで、水冷2ストローク3気筒エンジンをフロントに搭載し、前輪を駆動するFF車(フロントエンジン・前輪駆動車)でした。

また、メカニズム的には、西ドイツ(当時)の自動車メーカー、アウディの前身アウトユニオンの大衆車部門DKWが1930年代から得意としていた2ストロークエンジン搭載FF小型車の影響を強く受けたもの。

同時期のDKW F11(1963年発売796cc)や、同じくDKWの影響を受けた2ストロークFF車のサーブ96(1960年発売841cc)と似ており、フロントがダブルウィッシュボーン&縦置きトーションバー、リアがトレーリングアーム&横置きトーションビームの4輪独立懸架も同様。

外観の方はシボレーの小型車コルヴェアの影響を強く受け、サイドまで回り込む曲面リアウィンドーや、丸目4灯テールランプは共通です。

エクステリアデザインの手法はスズライトSFでロイトLP400(やはり西ドイツ製)を参考にした時と同じやり方ですが、戦後の国産車とは『海外の模倣』から始まり、模倣の影響は長く残っていたのでスズキに限った話ではありません。

内装はフロントシートが初期のみベンチシートで1966年4月からセパレート(左右独立)、さらに同6月にはリクライニングシート化した『デラックス』が追加されました。

ただ、前述の通り通産省対策で販売したのみで、特振法が廃案になった事もあり、スズキとしてはそれほど熱心に販売しようというつもりは無かったようです。

なぜなら、現在に至るまで中小規模の整備工場や個人経営の自動車販売店の割合が高いスズキでは、他の自動車メーカーのようにフロンテ800を並べたショールームが全国に多数あったわけでもありません。

同クラス大衆車はトヨタ・パブリカ、マツダ・ファミリア、日野 コンテッサ、ダイハツ・コンパーノ、三菱 コルト800/1000とライバルが多数で、極め付けは1966年にフロンテ800より安い上に1,000~1,100ccクラスとなる日産 サニーやトヨタ・カローラの登場もあり、売れる要素は皆無でした。

ただ、最初から量販を考えないので手作りに近い生産体制だったとも言われており、デザインは当時の大衆車らしからぬボディラインなどを持っていた事から、量産大衆車というよりは小さいながらも『スズキのイメージリーダー』的存在だったようです。

 

主なスペックと中古車相場

 

スズキ フロンテ800 /  出典:http://www.en.japanclassic.ru/booklets/216-suzuki-fronte-1965-800-c10.html

 

 

スズキ C10 フロンテ800 デラックス セパレート 1966年式

全長×全幅×全高(mm):3,870×1,480×1,360

ホイールベース(mm):2,200

車両重量(kg):770

エンジン仕様・型式:水冷直列3気筒2ストローク

総排気量(cc):785

最高出力:30kw(41ps)/4,000rpm(グロス値)

最大トルク:79N・m(8.1kgm)/3,500rpm(同上)

トランスミッション:コラム4MT

駆動方式:FF

中古車相場:皆無

 

まとめ

 

スズキ フロンテ800 / 出典:https://www.classiccarcatalogue.com/SUZUKI%201963.html

 

他メーカーが大衆車の販売合戦に明け暮れる中、1969年4月に生産を終了するまでの3年5か月の間のフロンテ800の生産台数は2,717台、そのうち販売台数は2,612台でした。

そして、『スズキでも小型車は作れる』という証明のみを残し、小型車市場から静かに去っていったスズキは、以降しばらくの間は軽自動車やフロンテ800をベースに排気量やボディを拡大した新興国向け低価格車の販売に励み、現在まで続く基礎を築きます。

その後、スズキが日本国内の小型乗用車市場に復帰するのは、提携したGMとの共同開発したカルタス(GM名シボレー スプリント、後のジオ メトロ)が発売された1983年10月を待たねばなりません。

 

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