大衆向けファミリーカーとして生まれ、若者向けの入門車としても選ばれていたサニー。レースでの実績がほとんどなかった初代と違い、足掛け12年に渡りモータースポーツで使用されるなど大活躍しました。そんなB110型サニーとはどんな車だったのでしょうか?
華々しくデビューしたものの…
B110型の先代となるB10型は410型ブルーバードより下のクラスを狙って軽自動車からの乗り換えを考えている顧客向けに、軽量かつシンプルな大衆車として開発されました。
正式デビューの4ヶ月前からシルエットだけの広告を展開し、新型車の車名も一般公募で「サニー」と決定するなど話題を作り、期待感が最高潮となった1966年4月に華々しくデビューし、高評価を持って市場に迎えられました。
しかし、サニーがデビューした半年後、事態は思いもしない方向へ向かう事に。
トヨタから、カローラがデビューしたのです。
サニーより若干高価だったものの、チープすぎると評判の悪かったパブリカの反省から高級感を持たせたスタイリングと装備、そしてキャッチコピーともなる「プラス100ccの余裕」の通り排気量1100ccのエンジンを搭載し、余裕をアピールしたカローラはサニーの牙城を崩していきます。
その後、サニーはカローラのワイドバリエーション戦略に乗るかのように4ドアセダン、ピックアップトラック、2ドアクーペを追加するなどボディバリエーションを拡大。
後に「CS戦争」(C=カローラ、S=サニー)と呼ばれる販売合戦の火ぶたが切って落とされたのでした。
B110型サニーの憂鬱
1970年1月、サニーは2代目となるB110系へと生まれ変わりました。
そして、カローラに対抗する為、先代のA10型OHV・1000ccエンジンの排気量を拡大し、1200ccのA12型エンジンを全車に搭載。
足回りもリアこそリーフ・リジッドのままでしたが、フロントはダブルウィッシュボーン+横置きリーフからマクファーソン・ストラット式へ変更し、動力性能・操縦性能共に大きく向上。「隣の車が小さく見えます」という露骨にカローラを意識したキャッチコピーを携えデビューしました。
しかしそれもつかの間、サニーのモデルチェンジ後の5月にモデルチェンジしたカローラは、その4ヶ月後に1400ccのT型エンジンを搭載し、更なる高性能化を図ったのです。
それに対抗すべく1971年4月にホイルベースを40mm、フロントオーバーハングを130mm延長。
拡大したエンジンルームにはL14型OHC・1400ccエンジンを搭載した、「エクセレント」シリーズを2ドアクーペ・4ドアセダン双方に設定し、カローラを迎え撃つのでした。
また、このエクセレントシリーズには、当時開発していた日産製ヴァンケル型ロータリーエンジンを搭載する予定でしたが、東京モーターショウに出展はされていたものの開発が間に合わず、レシプロエンジン搭載車を優先してデビューさせたのでした。
さらに、ツインキャブレターの高性能仕様「GX」と5速マニュアルトランスミッション仕様の「GX-5」を追加。
このGX-5に搭載された5速ミッションの5速は、オーバードライブとしてローレシオに設定されるのが大半なのですが、5速目のギア比が1.000となっており、4速以下はクロスレシオに設定されていたのでした。
しかも通常は左上が1速に設定さるところを「ヒューランドパターン」と呼ばれるレイアウトを採用してリバースとし、2速と3速をまっすぐシフト出来るようにして、スポーツ走行でのロスを減らす設定に。
以降4気筒エンジンに5速MTを組み合わせる場合、ヒューランドパターンを採用するのが日産車の特徴となりますが、そのきっかけを作ったのがB110サニーだったのです。
こうしてスポーツユーザーにも高級化志向のユーザーにも訴えかけていたものの、カローラのワイドバリエーション化と高性能化、更に1972年3月にはセリカ/カリーナに搭載されていたDOHCエンジン「2T-G」を搭載したレビンが登場するに至ると、サニーの劣勢は誰の目にも明らかとなり、1973年5月には3年4か月という短いモデルライフを経て、より大柄で高級感を持ったB210型へとモデルチェンジされたのでした。
君は、生き延びることができるか?
B110がデビューした1970年11月、1台のサニークーペがレースデビューしました。
チューナーは東名自動車、ドライバーは鈴木誠一氏。
日産・大森ワークスの一員かつ東名自動車(現:東名パワード)の代表だった彼は小型軽量かつ足回りの素性の良さを見抜き、早速レーシングカーとして仕立て直したのでした。
その結果、TS1300クラスで優勝し、以降TS1300クラスでは定番の車種となる事に。
そして、新型車が登場すると同様にレース車も新型車へ切り替わるのが通例なのですが、B210型が大きく重くなり、テストでもB110型を上回れなかった為、引き続きB110型が継続使用されることになりました。
しかしTS1300の規定が1974年に変更され、一定の生産台数を以って認可されるスペシャルヘッドの使用が許されると状況は一変。
トヨタがKP47型パブリカ・スターレットに3K型(OHV・1200cc)エンジンをベースにDOHC4バルブヘッドを載せた137E、通称「3K-R」をトヨタワークスのTMSC-Rから参戦した車両に搭載して、ぶっちぎりの優勝を飾ったのでした。
その後トヨタワークスの活動停止に伴い一時撤退していたスターレットですが、翌1975年からトヨタ系チームのトムスとクワハラ自動車に放出されると再び参戦し、連勝を刻み始めたのです。
サニーユーザーからは、あまりの性能差に絶望感すら漂っていましたが、一部のチューナーたちはこの状況をどうにかひっくり返すことができないかと研鑽を始めました。
東名は日産ワークス放出品のチタン部品を使用していましたが、日産ワークスが活動を停止していた時期だったのでそれも底をつき、更なるチューニングを模索している時期に東レから「カーボン製品の活用法」についての話が持ち込まれ、後に東名エンジンの社長として独立することになる今井修氏がそれをプッシュロッドに使用することを思いついたのです。
プッシュロッドとは、文字通りカムが押した力をロッカーアームを介してバルブに伝える棒の事で、高回転化するにあたりプッシュロッドの重さがネックとなっていたのですが、これを軽量化することによって高回転化できると踏んだ今井氏の読み通り、9500rpmで約160psを発揮するように。
それに対してトリイレーシングの鳥居忠氏は、KP47スターレットがB110型サニーより重く、コーナーを苦手としていたことに着目し、無理に高回転化してのパワーアップを選ばず、どこからでも踏んで行けるトルク重視のエンジンとギア比の選択で勝負しました。
その傍ら、土屋エンジニアリングの土屋春夫氏は、かつてスカイラインGT-Rを駆り、連勝記録の一翼を担っていた杉崎直司氏というドライバーを得て、チャンスを伺っていたのです。
そして土屋氏はワークスが使用していたルーカスの機械式インジェクションとスライドバルブのスロットルが高価で入手が難しかった事から、知り合いのメカニックが乗っていたBMW2002tiiに装備されていたボッシュ製の機械式インジェクションに着目し、譲ってもらい組み込んだところ、思惑通り一気に目標馬力に到達。
ストレートでの速さを手に入れたのでした。
そうして1979年、スターレットの開発が止まっていた事もあり、相対的に戦闘力を上げていたB110軍団のなかでも、土屋エンジニアリングの車両が遂にスターレットを撃破し、再びTSクラスの王者に輝いたのです。
こうしたチューニング合戦が展開出来た背景には、B110型サニーのどのグレードにも、A12型エンジンが搭載されていたことが大きく、もしエンジンブローしても解体屋に行けばセダンでも、クーペでも、バンでも、トラックでも、A12型エンジンが搭載されていればエンジンだけ買って来てチューニングすればよい、という使い捨て感覚で様々なチューニングに挑めたという要因がありました。
そして、TSクラスではチューナー同士の激しい戦いだけではなく、高橋健二氏、和田孝夫氏、萩原光氏など、後に日産ワークス入りするドライバーも輩出するほどのハイレベルなレースが展開されたのです。
また、富士フレッシュマンレースなどの入門クラスに於いても人気車種となり、こちらでもあるドライバーを生み出しています。
それは土屋圭市氏、後に「ドリキン」と呼ばれる伝説のドライバーです。
こうして幅広く愛されたB110型ですが、通常生産終了後4年で切れるホモロゲーションが、数度の請願により延長されていたものの、1982年限りでホモロゲーションが切れることになり、JAF公式戦からはこの年限りで姿を消すことになりました。
その後、チューニングのノウハウはストリートへと流れ、B110型サニーは走り屋たちにも愛されるマシンとなり、更にコンポーネンツを共用するB120型サニートラックにも人気は及び、90年代初頭には、とあるプライベートチューナーが雑誌社主催のゼロヨンでA14型をベースにチューニングしたエンジンで12秒台というタイムを、ノーマルボディのサニートラックで叩き出すという快挙を成し遂げる事になるのです。
B110型サニーGX-5のスペック
全長×全幅×全高(mm):3825×1515×1350
ホイルベース(mm):2300
エンジン:A12 直列4気筒OHV+SUツインキャブレター
最大出力:83ps/6400rpm
最大トルク:10.0kgm/4400rpm
トランスミッション:5速マニュアルトランスミッション
駆動方式:FR
中古車相場:不明(参考価格:228万円)
まとめ
後の名車としてのイメージと違い、販売的には失敗作と判断されたB110型サニーは早々にモデルチェンジを受けてB210型へと変更されてしまいました。
しかしモータースポーツの世界では長年愛され、ホモロゲーションが切れた後も各地のローカルレースで活躍。
現在でもヒストリックカーレースでは表彰台の常連であり、クラス上位の車を食う程の実力を持っています。
そんな、多くのチューナーやドライバーを育てたB110サニーは、永遠に輝き続ける事でしょう。
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