2017年5月28日に開催された世界3大レースの1つ、インディ500で日本人として初優勝を飾った佐藤琢磨。これまでF1、インディで活躍を見せてきた彼がついにこの大一番で快挙を達成。持ち味である攻めの走りと誠実な人柄で絶大な人気を誇るだけでなく、20歳でレースを始めるという珍しいキャリアの持ち主でもあるのです。そこで今回は大記録を達成した彼のこれまでの戦いに注目!振り返ってみました。

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日本人初となる快挙!世界3大レース”インディ500”を制した佐藤琢磨

 

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日本のレースファンなら彼の名を知らない人はいないと言っても過言ではない程、日本のレース界を牽引する活躍を見せてきた佐藤琢磨がまたしても素晴らしい大記録を達成!

第101回目を数える今年のインディ500はフェルナンド・アロンソの参戦もあり、例年以上に大きな注目を集めていました。

そのなかプラクティスから好調さを見せた佐藤は、予選でウォールに接触するほどの攻めた走りを見せ予選4番手という好位置を獲得します。

レースでは大クラッシュによるレース中断などもあり、3時間を超える長い戦いとなりましたが、ここでも驚異的な速さと勝負強さを見せ、激戦を制したのです。

インディ500で日本人初となる優勝を飾り、モータスポーツ界だけでなくワイドショーなどでも取り上げられているをご覧になった方も多いのではないでしょうか。

そんな佐藤琢磨のレースキャリアに迫ります。

 

20歳で歩み始めたレースの道

 

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これまでインディカーシリーズやF1といったトップレースで活躍を続けてきた佐藤琢磨ですが、意外にも彼がレースの世界に足を踏み入れたのは20歳の時でした。

これはレーシングドライバーとしては非常に遅く、ここからトップドライバーに上り詰めた例は非常に少ない、珍しい経歴の持ち主とも言えるのです。

小さな頃からモータスポーツやレーシングドライバーに憧れを持っていたのですが、レースを始めるまでは自転車競技で活躍し、インターハイ出場や全国大会優勝という素晴らしい成績を残しています。

この成績はモータースポーツとは一見関係ないように思えますが、ここで彼はレースに必要な体力を身に付けただけではなく、高校に無かった自転車部を自分で創設するという驚異的な行動力をすでに持ち合わせていました。

大学を休学してカートを始めた際には、カートショップの店主を相手に「F1ドライバーになりたいのですがどうすればいいですか?」と聞いたそうです。

不可能ではないにしろ20歳からレーシングドライバーを目指すのは非常に困難だと思えますが、この質問に対しカートショップの店主は彼の話を笑うことなく真剣に聞き入れ、ここから佐藤琢磨のレースキャリアがスタートすることになりました。

本格的にレースを始めることを決意すると、当時在学していた早稲田大学を中退。

カートを始めてから半年が経つと、厳しい競争率を潜り抜けSRS-F(鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ)に入学し、首席で卒業!見事スカラシップを獲得し、ここからフォーミュラレースへの道を切り開くことになりました。

 

イギリスF3、マカオGPを制しわずか5年でF1に上り詰める

 

出典:http://www.macau.grandprix.gov.mo/cogpm/home/index.php?lang=en

 

スカラシップを獲得した佐藤は、その翌年から全日本F3選手権に参戦。

しかし、国内でわずか2戦に出場した後、レース活動の継続を求めてイギリスに渡ることを決意します。

渡英直後はジュニアフォーミュラに参戦し経験を積むと、2000年からはF1への登竜門と呼ばれるイギリスF3に参戦を始めました。

参戦初年度から速さを見せ高い評価を勝ち取ると、翌年にはチャンピオンを獲得するだけでなくマスターズF3や世界一の難コースとも呼ばれるマカオGPを制すという驚異的な成績を収めたのです。

そして、この大活躍の結果2002年からジョーダンのレギュラードライバーに抜擢されるというチャンスを手にする事に。

カートを始めてからわずか5年という短い期間で、世界最高峰のF1まで駆け上がっていきました。

 

夢のF1デビュー、最終戦の母国GPで主役となった5位入賞

 

出典:http://www.honda.co.jp/IRL/spcontents2011/indyjapan/f1/

 

わずか5年で夢の舞台にやってきた佐藤が加入したジョーダンは、かつて上位を争うことも出来るチームとして知られていました。

しかしこの当時、チームスタッフの流出などもあり、チーム規模が縮小し始め、マシン開発も他チームに対し劣勢を強いられてしまいます。

非力なマシンに手を焼くことも多く、デビュー直後はF3での活躍からは一転して苦しい戦いを強いられることになりました。

チームメイトのジャンカルロ・フィジケラが度々入賞を重ねるなか、佐藤は多くのリタイアもあり入賞を果たせないまま最終戦、日本GPを迎えることに。

彼にとって初の母国GPとなるこの1戦で、予選自身ベストとなる7番グリッドを獲得すると、レースでも母国のファンの前でこれまでの苦しさが嘘のような好走を披露したのです。

結果は5位。自身初となるF1での入賞にスタンドからの大きな声援を浴び、これは日本人にとっても6年振りとなる入賞となりました。

このレースで優勝を飾ったミハエル・シューマッハもこれを見て、「今日の勝者はもう一人いる。それは佐藤だ。」と彼の活躍に賛辞を送ったそうです。

 

BARへの移籍、そして掴んだF1の表彰台

 

©鈴鹿サーキット

 

最終戦で入賞を果たし1年目を終えた佐藤でしたが、その翌年はジョーダンを離れBARホンダのリザーブドライバーに就任することに。

レギュラードライバーの代役でしかレースに出られないという立場ながらも、佐藤は将来を見据えた末での決断だと語り、新たなチームに加わります。

レースに出られないもどかしいシーズンが続いたのですが、最終戦日本GPで突如出番が巡ってきました。

シーズン限りでチーム離脱が濃厚と見られていたジャック・ヴィルヌーブが出走を取り止めたため、1年振りにレースに出場するチャンスを得ることになります。

急な参戦で難しい状況ということもあり、予選13番手からのスタートとなりましたが、決勝では着々と順位を上げ、ミハエル・シューマッハとのバトルの末に接触するアクシデントもありましたが結果は6位。前年に続いて母国で入賞を果たしたのです。

 

©鈴鹿サーキット

 

そして、その翌年にはレギュラードライバーへの昇格を果たし、2004年は彼にとって飛躍のシーズンとなりました。

マシンの戦闘力が向上したチームと共にシーズン序盤から速さを見せた佐藤は、特に予選で素晴らしい速さを発揮し日本人初となるトップ3に入る活躍を見せたのです。

決勝でも入賞を果たすこともありましたが、チームメイトのジェンソン・バトンに比較してマシントラブルに悩まされることが多く、第7戦ヨーロッパGPでは表彰台圏内で激しいバトルを演じながらも、最終的にトラブルに見舞われるという悔しい結果に終わってしまいます。

しかし、当時インディアナポリスで行われていた第9戦アメリカGPで、日本のレースファンに歓喜の瞬間をもたらしたのです。

 

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki

 

ここでも得意の予選で3番手グリッドを獲得すると、決勝でも良いペースを刻み、上位をキープしていたその時でした。

他車のクラッシュでセーフティカーが出動し、ピットインのタイミングを誤ってしまった佐藤は一気に後方へと順位を落としてしまったのです。

しかし、これで彼の闘志に火が付いたのか、驚異的な速さでオーバーテイクを連発し、自身初、日本人としては14年振りとなる3位表彰台を獲得しました。

シーズン終盤にも立て続けに入賞を飾り、年間ランキング8位に入るなど、日本人におけるF1記録を多数塗り替えた1年となったのです。

 

純日本チーム、スーパーアグリでの挑戦

 

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

 

大きな飛躍を遂げ、迎えた2005年にはF1初優勝などかなりの期待が寄せられましたが、予想以上の苦しい戦いを強いられることになります。

この年のBARは開発でやや出遅れただけではなく、第4戦サンマリノGPで佐藤は5位に入るもマシンの重量規定違反が発覚し、失格処分と2戦の出場停止という厳しいペナルティを課されてしまうのです。

ここから始まった悪い流れを断ち切ることが出来ず、佐藤はシーズン半ばのハンガリーGPでようやく8位入賞を果たすのですが、入賞はわずかこの1回きりに終わり、チームを離れることが決定してしまいます。

そして、2006年からは元F1ドライバーの鈴木亜久里氏が立ち上げた純日本チーム、スーパーアグリのエースとして戦うことになるのです。

参戦表明からわずかな期間で立ち上げられたこともあり、移籍初年度はマシンの性能不足によって後方で戦う日々が続いたのですが、2年目には成長したチームとともに目覚ましい走りを見せました。

開幕戦で初めて予選Q3に進出すると、スペインGPでは遂にチーム初となる8位入賞を達成。

 

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第6戦カナダGPではレース終盤にラルフ・シューマッハ、さらにはフェルナンド・アロンソといった強力なライバルたちを次々とオーバーテイクし、日本だけでなく世界中のF1ファンを熱狂させたのです。

この年は2度の入賞に終わりましたが、佐藤の攻めた走りが改めて輝く瞬間を見せたシーズンでもありました。

しかし、スーパーアグリは3年目のシーズンを迎えた2008年、第4戦スペインGPを最後に資金不足によってチームが消滅。

佐藤はその後もトロロッソのテストに参加するなどF1で生き残る道を模索しましたが、残念ながら彼にとってこれが最後のF1参戦となり、これ以降は戦いの舞台をインディカーシリーズに移すことを決断したのです。

 

2010年よりインディカーシリーズへ参戦

 

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1年間の浪人期間を経て新たな挑戦を始めた佐藤はKVレーシングから、北米最高峰と呼ばれるインディカーシリーズへ参戦を発表しました。

同じフォーミュラカーでのレースでありながら、マシン重量やサーキットの環境などF1と異なる部分も多く、開幕前のテストでは好タイムを記録するも参戦初年度は17戦で9度のリタイアを喫するなど洗礼とも言える厳しいシーズンを過ごします。

しかし、F1でも見せた母国での強さは健在で、ツインリンクもてぎで開催されていたインディジャパン300では当時の自己最高位となる12位フィニッシュを果たしました。

翌年もチーム残留が決まった佐藤は、インディカーで大きな進歩を見せるのです。

開幕戦で5位入賞を果たしてからは上位を争う機会が増え、第4戦サンパウロで自身初のリードラップを記録するだけでなく、第8戦アイオワではインディカーシリーズで初となるポールポジションを獲得。彼の持つ速さが次第に発揮されるようになりました。

また、インディカーシリーズのなかでも非常に難しいコースと呼ばれるミッドアハイオでは、表彰台にあと一歩に迫る4位フィニッシュを果たしており、翌年に向けてさらに期待が持てるシーズンとなったのです。

 

ファイナルラップで逃した歴史的快挙、勝利への執念に賛辞の声

 

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2012年にレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングへ移籍した佐藤は、より一層インディカーシリーズで大きな存在感を示す走りを見せるようになります。

移籍後4戦目には前回初めてリードラップを記録したサンパウロで26番手スタートから驚異的な追い上げを見せ、自身初の表彰台を獲得。

そしてこの年のインディ500では、多くの人に強い印象を与える彼ならではの攻めの走りを見せ、19番手という後方からのスタートにも関わらず、レース中盤にはトップに立ち優勝争いを繰り広げたのです。

そしてレースが残り2周となった199周目に2番手に浮上すると、ファイナルラップで佐藤は大勝負に打って出ます。

日本人初となるインディ500での表彰台が目前に迫るなか、佐藤は1コーナーでトップを走るダリオ・フランキッティのインに思い切り飛び込んだのです。

しかし、そのスペースは非常に狭く、コース内側の白線を踏んだ佐藤はバランスを崩してスピン!そのままウォールにクラッシュしてしまい、あと僅かというところで彼のレースは終わりを告げました。

 

 

後に佐藤は「ガレージに帰ったらみんながっかりしてるだろうなと思ったら、チームのみんなは納得の表情で迎えてくれた。」と語っており、チームスタッフだけでなく多くのファンも彼の勝利への執念に賛辞を送りました。

そして、この果敢な走りが評価されインディ500で最も攻めたドライバーに贈られるハード・チャージャー・アワードを受賞します。

この年は第12戦エドモントンで日本人最高位となる2位フィニッシュも達成し、インディカーシリーズでの日本人初優勝に期待が膨らむ走りを見せました。

 

日本人初となるインディカーシリーズ優勝

 

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インディ500の走りで強い印象を与えた佐藤は、2013年からはインディ界の大御所AJ・フォイトが率いるAJ・フォイト・レーシングに招かれることになります。

さらに上位を争うために移籍を決断すると、早くもその決断が正しかったことを証明する結果を残すのです。

第3戦ロングビーチで4番手という好位置からスタートすると、終始力強いペースで順位を上げていき、レース中盤にトップに立つとそのまま逃げ切り、日本人初となるインディカーシリーズで優勝を達成。

続く次戦もレース終盤までトップを走行し、結果的に惜しくも逆転を許し2位に終わりましたが、ポイントランキングで首位に立つという大活躍を見せたのです。

しかし、ここから思うような結果を残せない日々が続き、最終的にランキング17位と序盤の好調さを維持することが出来ませんでした。

 

親しんだAJフォイトを離れる決断と名門アンドレッティへの移籍

 

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翌年以降もAJフォイトから参戦しますが、初優勝を飾ったロングビーチ以来となる優勝にはなかなか手が届かず、年間を通して安定した成績を残せないシーズンが続いていました。

また、2016年限りでAJフォイトは搭載エンジンをホンダからシボレーへ変更することになり、それに伴って今季からは名門であるアンドレッティ・オートスポートへ移ることを決断します。

AJフォイトからは佐藤に対しチームに残るかという決断を委ねたのですが、佐藤はF1の頃から共に戦ってきたという背景もあり、「ホンダがいるなかで他のマシンに乗ることは出来ない」と語ったのです。

しかし、チームとの関係は円満なようで、使い慣れたステアリングを移籍後も使えるように手配してもらうなど、彼の新たな挑戦をサポートする形で送り出されたそうです。

 

”攻めの走り”で制して見せたインディ500

 

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アンドレッティ移籍後初戦で5位入賞とまずまずのスタートを切った佐藤は、第3戦アラゴンでも再びトップ10フィニッシュを果たすなど、開幕5戦で全戦完走を果たし、伝統のインディ500を迎えます。

この大一番で好調さが際立ち、プラクティスから3番手に入ると、迎えた予選1日目にはトップタイムを記録。上位9台で争われるファスト9に残ります。

そして予選2日目のアタックではウォールにヒットしながらもアクセルを緩めず、見事4番手タイムを記録し優勝へ向けて良好な位置を確保すると、その速さを決勝でも発揮したのです。

レース序盤からトップ集団とバトルを繰り広げる速さを見せ、着実に周回を重ねていったのですが、この日彼のピットクルーは大きなプレッシャーもあり、かなかなか円滑な作業を行えず、ピット作業で順位を落としてしまいます。

一時は17番手まで順位を落としてしまいますが、佐藤は速さを武器に最速ラップを計測しながら1つずつポジションを取り戻していきました。

 

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レースも大詰めとなる168周目にはフルコースコーションが導入されると、このレースで最後となるピットへ向かいます。

この日はここまでピリッとしなかったピットクルーも、彼の走りに鼓舞されたのか勝負を左右する重要な局面で素晴らしい作業で送り出し、なんと5つもポジションを上げることに成功したのです。

レースも残り僅かという所で再びトップ争いに返り咲くと、ストレートでウォールに接触寸前になりながらマックス・チルトン、さらにはエリオ・カストロネベスを交わしトップに浮上。

しかし、ストレートで速度が伸びるカストロネベスに対し、ややダウンフォースが強いセッティングの佐藤はストレートでサイドバイサイドとなり、守り切るのは難しいかと思われるも、懸命のブロックで見事逃げ切り日本人初となるインディ500でトップチェッカーを受けたのです。

 

出典:http://www.indycar.com/photos/gallery?g=3094

 

マシンを降りるとスタンドからは大きな拍手と歓声が送られ、インディ500でお馴染みのミルクを渡された佐藤はこれを浴びるように飲み干し、感想を求められると「最高!おいしい!」と満面の笑みで答えました。

 

まとめ

 

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これまでF1、インディで日本人の壁を打ち破ってきた佐藤琢磨。

今回もいつか日本人がインディ500で勝つところが見たいというファンの夢を叶えて見せました。

彼の持ち味であるアグレッシブな走りは時に危険だという声もありましたが、1つでも前のマシンに勝負を挑む姿は多くのファンの心を掴んできたのです。

「インディを目指す日本人が出てきて欲しい」と話す佐藤は、インディ500優勝という快挙だけでなく将来の日本人ドライバーに勇気を与える走りを見せました。

また今回の優勝が東日本大震災の復興に繋がって欲しいという気持ちを語るだけでなく、「挑戦し続けて、夢を信じ続ける。それが叶うという事を実際に表現できたので、子どもたちにとっても大きな影響になるのではないか。」とコメント。

こうした彼の人柄もあってか今回の優勝を多くの人が祝福しており、今後の走りにもさらなる注目が集まることになりそうです。

 

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