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日本一速い男・星野一義氏が駆った5台のモンスターマシンたち

言わずと知れた「日本一速い男」星野一義。国内レースでは無敵を誇り、その速さは1980年代に絶頂期を迎えていました。フォーミュラからツーリングカーまで幅広いマシンをドライブしてきた彼ですが、その中でも特に印象的な、星野のキャラクターを際立たせたモンスターマシンを5台厳選。その戦績と共に、ご紹介したいと思います。

©︎NISSAN

「日本一速い男」星野一義

 

©︎NISSAN

 

星野一義は、モトクロス出身のレーサーであることが知られています。

10代の頃カワサキのプロチームに参加し勝利を重ねた後、「もっと稼ぐ為」に4輪への転向を決意。

当初は契約ドライバーとして日産自動車へ入社し「大森ワークス」の一員となり、ツーリングカーレースにデビューしました。

そしてチェリークーペなどをドライブし、徐々に頭角を現していきます。

その後1974年、レーシングドライバーとしてのさらなるステップアップを目指し、FJ1300でフォーミュラカーの舞台へ挑戦を開始。

乗っていきなりコースレコードを叩き出すパフォーマンスを見せると、決勝ではそのまま優勝。

実力を認められ、同年に国内トップフォーミュラであるF2にもスポット参戦を果たし、型落ちのマシンで3位入賞というリザルトを記録します。

翌1975年はヒーローズレーシングからの正式オファーを受けF2にフル参戦し、年間チャンピオンを獲得。

その圧倒的速さと、勝利への執念から、いつしか星野は「日本一速い男」の名声を得る様になったのです。

 

ティレル007フォード

 

©︎富士スピードウェイ

 

若くして日本一の称号を掴んでいた星野が、世界に挑んだ最初の戦い。それが1976年の「F1世界選手権インジャパン」でした。

ヒーローズレーシングが前年型のティレル007を購入し、F1公式戦へスポット参戦する機会を得たのです。

そして大雨の中、19番手グリッドからスタートした星野は、オープニングラップで14台をパスするという鬼の様なスパートを見せたのです。

 

©︎富士スピードウェイ

 

スタート前、ジョディー・シェクターから「安全に抜いてやるから合図しろ」と耳打ちされていた星野は、10周目にそのシェクターをアウト側からぶち抜く、という離れ業まで披露し、一時は3位にまで浮上します。

最後はタイヤトラブルで無念のリタイアとなりますが、日本一速い男は世界に通用するということを見せつけた1戦となりました。

 

ニチラ・シルビア

 

©︎NISSAN

 

何かとフォーミュラよりハコ(ツーリングカー)のイメージが強い星野ですが、そのきっかけを作ったレースは1980年代初頭に隆盛をきわめた「富士スーパーシルエットシリーズ」でした。

久しぶりに国内レース活動へと本格復帰を果たした日産は、スカイライン、ブルーバードに加え、このシルビアをベースとしたシルエットフォーミュラを投入していました。

新たに自身のチームとしてチーム・インパルを設立した星野は、1981年から「ニチラ」カラーのシルビアで参戦。

市販のモノコックをパイプフレームに貼り付けたモンスターマシンは、2L直4ターボ搭載で570馬力を発生。

その過激なスタイルから若者に人気を得たのです。

 

©︎NISSAN

 

星野とインパルはこのレースで、そのリザルト以上に思いもよらぬ成功をつかむ事になります。

若者を中心に、このシルビアに装着されていたインパル製のアルミホイールが飛ぶように売れ、空前の大ヒットを記録したのです。

ここで得た莫大な収入が、その後のチーム・インパルの基盤を安定へ導いた、と言われています。

 

日産シルビアターボCニチラ(マーチ・85C)

 

©︎NISSAN

 

1980年代初頭に生まれ、クローズドマシンのトップカテゴリーとして君臨したグループC。

1984年に日産ワークスチームとして発足したニスモは、1984年シーズンよりグループCに挑戦を開始します。

2年目となる1985年、10月のWEC in ジャパンで星野は「日産シルビアターボC・ニチラ」ことマーチ・85Cのステアリングを握りました。

世界耐久選手権(WEC)の日本ラウンドとして開催されていたこのイベントで、星野はF1以来とも言える世界相手の挑戦に臨んだのです。

 

©︎NISSAN

 

予選ではワークスポルシェの後塵を拝したものの、決勝は大雨。安全を考慮し、ポルシェ陣営はフォーメーションラップ中にレースを棄権してしまいます。

しかし、スーパーレインタイヤを持ち込んだニスモ勢はレースを続行。フロントローから星野の28号車がロケットスタートを決め、早々と独走態勢に入ったのです。

大雨の中を異常なペースで飛ばす星野は、毎ラップの様に水たまりでハイドロプレーニングを起こす700馬力のモンスターマシンを見事にコントロール。

チームメイトの松本恵二は「今の星野は最高に乗れている」と、ドライバーチェンジを辞退したほどで、ゴールまで星野にドライビングを託しました。

 

©︎NISSAN

 

結果的に星野は2位以下をすべて周回遅れにしての完全勝利を飾ったのです。

ポルシェら外国勢の脱落という追い風こそあったもののF1での雪辱を果たし星野は見事、雨の富士で「世界レース日本人初制覇」という新たな偉業をつかみました。

 

カルソニックスカイラインGT-R(グループA)

 

©︎NISSAN (画像は1991年仕様)

 

グループCでの速さから、申し分ない「ハコ最速」の称号を得ていた星野は、1985年に始まった全日本ツーリングカー選手権(JTC)への参戦を開始します。

市販車ベースの”グループA”カテゴリーによる初の全日本選手権でした。

このレースで初お目見えとなったのが、チーム・インパルのメインスポンサーであるニチラが社名変更した「カルソニック」カラーの青いスカイラインです。

当初、ニスモ陣営はR31型スカイラインGTS-Rを投入しますが、宿敵フォード・シエラ勢を相手に苦戦し、この状況を打ち破る為、1990年にグループAの為に生まれたニューウェポン・R32型 スカイラインGT-Rが投入されました。

 

©︎NISSAN

 

600馬力を余裕で捻り出す2.6L直6「RB26DETT」エンジンを搭載し、これに電子制御4WDを組み合わせ、登場当初から誰もが勝利を疑わないほどのマシンに仕上がっていました。

迎えたシーズン開幕戦。必勝のプレッシャーを跳ね除けポールポジションを獲得したカルソニックスカイラインは、宿敵であるはずのシエラに1.8秒ほどの大差を付けていました。

そしてスタート後、星野は1ラップ目から他車を圧倒し、1ラップ1秒という恐ろしいペースでマージンを築いていきます。

結果は2位のリーボックスカイライン(長谷見昌弘)を従え、3位を2ラップ遅れにしてのポールトゥウィン!

結局このシーズンは2台のGT-Rが勝利を分け合い、全6勝中5勝を挙げた星野は、コンビを組む鈴木利男とともにシリーズチャンピオンに輝きました。

 

日産 R390 GT1

 

©︎NISSAN

 

グループC終焉とともにル・マン24時間を去った日産は、1995年にGT1マシン「ニスモGT-R LM」で再挑戦を開始します。

しかし、最強GTマシン「マクラーレンF1GTR」の前に全く歯が立たず、惨敗を喫っしてしまうのです。

そこで日産が1997年に投入したGT1マシンが、この「R390 GT1」でした。

シャシー設計はトム・ウォーキンショウ・レーシング(TWR)が手がけ、同社が開発したジャガー・XJR−15をベースに製作されており、ほとんどプロトタイプカーと言っても良いマシンに仕上がっていました。

エンジンはグループC時代に最強と言われたVRH35型 V8ツインターボユニットを搭載、600馬力オーバーを発揮するも、初年は信頼性が足りず、星野らの12位完走が最高位となり、目立った成績を残せませんでした。

 

©︎NISSAN

 

1998年にはリアセクションの形状変更など更に大幅なモディファイを施し再びルマンへ。

9回目の参戦となる星野は、影山正彦・鈴木亜久里と組んでR390をドライブしました。

この年のル・マンはトヨタ、ポルシェ、メルセデスといった強豪ワークス勢がしのぎを削る激戦となるも、速さで勝るライバルを相手に着実に24時間を走り抜き、純日本チームとしては最高位となる3位表彰台を獲得したのです。

 

©︎NISSAN

 

国内では無敵を誇りながら、世界のレースではライバル・中嶋悟や鈴木亜久里の先行を許してきた星野でしたが、まもなくやって来る世代交代を前に、初めて「世界の頂点」の一角から、その絶景を味わったのです。

 

©︎NISSAN

 

まとめ

 

©︎NISSAN

 

国内レースにおいて、説明不要の栄冠を築いてきた星野一義。

今回は現役絶頂時代の印象的なマシンにフォーカスしてご紹介しました。

「プロは、金を積んで仕事を取るようなことをしない。」

そのポリシーを貫き、F1の有力チームからの”持ち込み金”付きオファーすら断った、という星野ですが、

その結果、彼以上に世界で名を挙げた日本人ドライバーがいたことも否めません。

しかし、日本にやって来た海外のトップドライバーたちは「日本には星野というとんでもないレーサーがいる」と口々に語り、その速さは誰もが認めるところでした。

中止が危ぶまれるほどの大雨や、不完全なクルマなどコンディションが悪ければ悪いほど輝きを放つ、闘争心むき出しのドライビング。

今後も、彼ほど野性的なレーサーは、おそらく現れないのではないでしょうか。

 

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Shinnosuke-Miyano

20代の頃はメカニックをしたり、お洋服の仕事をしたり、とりとめのない日々を送ってきました。

クルマの楽しさやレースの奥深さを、時にマニアックに、時にエモーショナルにお伝えしていければと思います。

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