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もう、2位はいらない。ル・マンに挑み続けるトヨタ、25年の進化を辿ります。

1980年代、グループCの時代からル・マン24時間耐久レースに挑み続けてきたトヨタ。1992年、彼らは満を持しての必勝体制で「TS010」と呼ばれる新型プロトタイプ・マシンを投入。しかし結果は総合2位という結果に終わってしまいます。これが、長きに渡って続く苦難の入り口だったのです。これまでに2位が4回、3位が1回。いつも、いつもあと一歩…。まもなく幕を開ける2017年のル・マン。トヨタは、今年こそ”呪縛”に終止符を打てるのか。今こそ運命に抗う時。彼らとともに戦ってきた歴代マシンを振り返りましょう。

©TOYOTA

TOYOTA TS010(1992年・総合2位)

©TOYOTA

当時の「ル・マン24時間耐久レース」は、スポーツカー世界選手権(SWC)の1戦として選手権に組み込まれていました。

1990年までSWCをターボユニット搭載の「C・Vシリーズ」で争ってきたトヨタは、1992年からの新規定に合わせ、3.5L V10 NAエンジンを搭載した新型マシン開発に着手します。

車体はTRDと童夢、エンジンはトヨタ東富士研究所という合同プロジェクトで、アドバイザーにはTWRジャガーで活躍した名デザイナー、トニー・サウスゲートが就任しました。

”Toyota・Sports”のイニシャルを冠して「TS010」と名付けられたマシンは、1991年のSWC出場をキャンセルして黙々と開発が進められていきます。

メカニズムとしては、これまでのレースで実績のあるフロントラジエター方式を採用したことなどにより、”先進的なマシン”という評価はされなかったものの、堅実な作りでドライバビリティも高く、ドライバーからの評判は上々でした。

 

©TOYOTA

 

迎えた1992年シーズン、SWC開幕戦・モンツァでデビューしたTS010は、最大のライバルであるプジョー905を制し華々しくデビューウィンを飾ります。

その後の第2戦・シルバーストンではプジョーに敗れ、1勝を分け合う形となり決戦のル・マンを迎えたのです。

決勝はプジョーが完全に支配し、雨の降る中タイヤのマッチングに苦しむトヨタは大きく後退。

コンディションが回復するとトヨタ陣営は予選用ガソリンで30馬力アップというギャンブルに出ます。

その甲斐あって1ラップ7秒挽回、という猛追を展開したものの、ゴール前にはエンジンブロー寸前という事態に陥り追撃はストップ。

結果は、関谷正徳らがドライブする33号車が総合2位という結果に終わるのです。

 

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これはトヨタにとっては喜ぶべきル・マン最高位でしたが、1991年にマツダが優勝したこともあり、トヨタにとってもファンにとっても「惜敗」という印象を残すレースとなりました。

 

TOYOTA GT-One TS020(1999年・総合2位)

©TOYOTA

 

グループCに変わりトップカテゴリーとなったGT1カテゴリーは、1990年代後半からメーカー同士が熾烈な開発競争を繰り広げ、まさに最高の盛り上がりを見せていました。

1998年、トヨタは再び世界で名を挙げるべく、ルマンにニューマシン「トヨタGT-One TS020」を投入します。

かつてのライバル、プジョー905を手がけた巨匠・アンドレ・デ・コルタンツによる先鋭的なデザインは、空力を追及したエポックメイキングなものでした。

エンジンはTS010以前のターボ・グループCから引き継いだ3.6L V8ツインターボの「R36V-R」を搭載、600psオーバーを達成していました。

1998年シーズンは信頼性の課題もあり、片山右京/鈴木利男/土屋圭市の日本人トリオが9位完走、他2台はリタイアという結果に終わります。

 

©TOYOTA

 

迎えた翌1999年、GT1に変わる新たなトップカテゴリー「LM-GTP」規定に沿って大幅な改良が施されたTS020は、予選で1号車がコースレコードを5秒も削り、2号車とともにフロントローを独占。その脅威的速さに磨きをかけてきました。

しかし決勝では1、2号車ともにクラッシュに見舞われ、再び昨年と同じ日本人トリオの3号車のみが残るという展開に。

序盤のスローペースによりマシンと体力を温存してきた3号車は、徐々にペースを上げ3位へと浮上。さらに、3周先の首位を走っていたBMWがリタイアすると、前年の予選ラップ並みという脅威的なラップを刻んでスパートをかけ始めます。

残りおよそ1時間、計算上は首位のBMW V12 LMRを抜いてトップに立てる筈だったトヨタをトラブルが襲います。

周回遅れのプライベーターが走らせるBMWに引っかかり、タイムロスを喫した直後、300km/hを超えるスピードでリアタイヤがバーストしてしまうのです。

 

©TOYOTA

 

片山はかろうじてマシンを立て直しピットへ生還するものの、大幅なタイムロスを余儀なくされ、またしても結果は総合2位…というリザルトでした。

ちなみに「日本人だけで編成されたチーム最高位」として、この記録は現在も破られていません。

 

 

 

TS020が偉業を達成してから10年以上が経ったころ、トヨタはハイブリッドシステムを駆使して再びルマンに挑戦を開始します。

次のページでは、21世紀になってからのトヨタ、ルマン挑戦の歴史を振り返ります。

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Writer Introduction
Shinnosuke-Miyano

20代の頃はメカニックをしたり、お洋服の仕事をしたり、とりとめのない日々を送ってきました。

クルマの楽しさやレースの奥深さを、時にマニアックに、時にエモーショナルにお伝えしていければと思います。

https://www.facebook.com/shinnosuke.miyano

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