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ただのセダンじゃない!レースでも大活躍した5代目ホンダ・アコード(CD型)とは

シビックの上級車として生まれ、独特な存在感で一世を風靡したアコード。その中でも、とりわけモータースポーツで活躍した5代目アコード(CD型)とはどんな車だったのでしょうか?今回は、JTCCシリーズ制覇など輝かしい成績を持ったホンダの名車をご紹介します。

 

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89#/media/File:Honda_ACCORD_SIR_in_the_Honda_Collection_Hall.JPG

 

 

アコード誕生~ちょっと違う大人の車

 

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:HondaAccord1st.jpg

 

1976年、アコードはシビックの上級車として誕生。

基本的にはシビックの大排気量版そのままの性格を持ち、どこのクラスにも属さない独特な存在感を放っていました。

そして1981年に2代目へとモデルチェンジしますが、初代同様「大きなシビック」という立ち位置は変わらずでした。

 

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Honda_Accord_second_gen_1982_Kleve_Kennzeichen.jpg

 

ところが1985年、3代目にモデルチェンジした頃からアコードの存在感が変わってきます。

 

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Honda_Accord_1985_Japan_Front.jpg

 

洗練されたデザインと、FF車としては世界初の4輪ダブルウィッシュボーンという足回りを与えられ、日本仕様に於いては従来の3ドアハッチバックに代わり、ロングルーフを持つシューティングブレーク的な「エアロデッキ」を追加。

 

Photo by domantasm.

 

都会的で洗練された雰囲気を持つ車として、人気が沸騰したのでした。

更に1988年にはアメリカ・オハイオ州のホンダ・オブ・アメリカで生産され、北米のみで販売されていたクーペを左ハンドル仕様のまま日本でも販売し、大きな反響を呼ぶ結果に。

1989年に4代目へとモデルチェンジされた際には3ドアがラインナップから落ち、4ドアのみのデビューとなりましたが、程なく先代と同じくアメリカで生産されているクーペに加えて1991年にはワゴンを導入。

 

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:4th_Honda_Accord_sedan.jpg

 

この北米仕様のワゴンが好評を持って迎えられ、以降もラインナップに加わることとなりました。

 

5代目アコード登場

 

1993年に5代目へとモデルチェンジを果たしたアコードは、北米の衝突安全基準に対応すると同時に、1989年に行われた税制改革により、3ナンバー車であっても排気量により課税される仕組みに変更された事から、先代までの5ナンバーサイズを大きく拡幅し1760mmへとワイド化。

そして、全長は先代の4680mmから4675mmに、ホイルベースは2720mmから2715mmとわずかながら短縮され、エンジンも主力が2.2リッターへと若干上級移行した上に、VTEC化された事から動力性能が向上しました。

 

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:94-95_Honda_Accord_LX_sedan.jpg

 

そして少し遅れて先代と同じく北米で生産されているクーペとワゴンも追加されますが、開発途中に起きたバブル崩壊という懸案もあり、保険として1989年にデビューしたアコード・インスパイアのコンポーネンツを利用した5ナンバー枠の日本専用車、アスコットとラファーガを用意しますが、それも杞憂に終わり、むしろ先代より販売台数を伸ばしたのでした。

 

Photo by Jake Plumley

 

急遽戦いの場へ

 

そのような感じでサーキットとは無縁のアコードでしたが、思わぬ形でサーキットへ姿を現すことになります。

1993年まで開催されていたグループA規定によるJTCから、BTCC(英国ツーリングカー選手権)に倣ったFIAのクラス2規定の「4ドア以上のボディに2リッターまでの自然吸気エンジン」という規定の元、1994年より開始されたJTCCにホンダはEG型シビック・フェリオで参戦をしていたのですが、他社に対して苦戦を強いられていました。

 

 

その理由はコンパクトなボディ。

グループAでは有利に働いていたハイパワーエンジンとの組み合わせですが、排気量が2リッターまでとなったことでバランスを崩し、JTCCの開始当初はオーバーフェンダーの装着が認められていなかった為、タイヤ幅とトレッドの拡大が困難になりコーナリングスピードが上げられず、その対策に苦慮していたのでした。

そこでワイドトレッド化が図れ、更にシビックより空気抵抗が低く、尚且つシビックのノウハウが生かせる横置きエンジンであるアコードに白羽の矢が立てられたのです。

そして1996年、アコードはJTCCにデビューしましたが、デビュー直後からレギュレーションの解釈問題に振り回されることになってしまいます。

デビュー当初から指摘されていた箇所を改修する為、途中の第4戦・美祢を欠場し、翌年用の車両を前倒しする形で車両改修を行い、最終戦では2ヒートとも優勝!

しかし、他陣営からアンダーパネル形状にクレームが付き、その問題が翌年まで持ち越された結果、失格となってしまうという後味の悪い結末を迎えます。

その後、1997年からは全幅1800mm迄という制限でオーバーフェンダーの装着、リアスポイラー・フロントスポイラーの大型化が認められた事からコーナリングスピードがさらに向上し、無敵の状態に進化を遂げるのです。

 

出典:https://honda-tech.com/

 

しかし、その一方で日産・トヨタとのメーカー同士の争いが更に過激化し、その雰囲気がドライバーにも伝染。

レース中に接触してコースアウトさせたり、さらにその報復としてわざと周回遅れになり、はじき返すという行為を行う選手が出るなど、およそレースとは言い難い状況に陥っていったのでした。

そんな中、ホンダは中子修氏はシリーズチャンピオンとチームタイトルを決めますが、過激化する一方で歯止めのかからないJTCCに見切りをつけ、この年限りで撤退、アコードはサーキットから姿を消したのです。

 

まとめ

 

ちょっと洋風な雰囲気を持つセダンとしてデビューしながらも、シビックよりポテンシャルがあったため急遽レースに引っ張り出された5代目アコード。

あくまで『ホンダの箱車ベースのレーシングカーはシビック』と言う不文律がある故に異例の抜擢でしたが、その役目を100%果たし姿を消しました。

しかし、その姿は今でも多くのレースファンの心に焼き付いており、一時代を築いた車として語られているのです。

 

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tsune,

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