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トロロッソ・ホンダの命運を左右する男”技術責任者”ジェームス・キーとは?

来季よりトロロッソとのパートナーシップを発表したホンダ。2015年よりタッグを組んだ名門マクラーレンとの3年間は非常に厳しい結果に終わり、来季からは再出発とも言える新たな挑戦を始めることになりました。しかしトロロッソには1人の優秀な技術責任者がおり、彼の手掛けるマシンが今後、ホンダのF1活動の命運を左右するかもしれないのです。彼の名はジェームス・キー。ホンダの行方に注目が集まる今だからこそ知っておくべき人物なのです。

 

©Red Bull Content Pool

 

 

来季からホンダとの共闘が始まるトロロッソ

 

©Pirelli

 

2015年よりマクラーレンとのタッグでF1に復帰したホンダ。

1983年より始まった第2期F1活動において圧倒的な性能を誇っただけでなく、アイルトン・セナやアラン・プロストを擁しマクラーレン・ホンダの名はF1の黄金期と呼ばれる時代を象徴する存在として語り継がれています。

しかし、実に23年の時を経て復活を果たしたマクラーレン・ホンダはランキングの下位に沈み込んでしまい、かつてのようにライバルを圧倒出来ぬまま、2017年限りでパートナーシップを解消するに至りました。

 

©Shunsuke Kawai

 

そして2018年からホンダは、新たにトロロッソとの共闘を発表しました。

チーム規模の大きいマクラーレンに対し、トロロッソは資金面やスタッフの数においても小さく、これまでに飾った勝利は前身のミナルディ時代を含めて僅か1勝。

ホンダが2015年に掲げて挑んだ大きな目標を達成するには、小規模なチームでは少し物足りない気もしますが、ホンダがゼロから再起を図るにはこの選択は正しかったのかもしれません。

なぜならトロロッソには、マシン開発を指揮する優秀な人物がいるからです。

 

トロロッソ・ホンダの命運を左右する1人の男がいる

 

©Red Bull Content Pool

 

全てのF1チームには、マシン設計の総責任者となるテクニカルディレクターと呼ばれる役職の担当が存在します。

このテクニカルディレクターは空力、パワーユニット、サスペンションといった幅広い分野を統括して開発の指揮を執るだけでなく、マシンの方向性を決めるデザインを行うなど、チームの舵を取るという意味において極めて重要なポスト。

そのため、有名なテクニカルディレクターにもなるとドライバーを超える報酬を手にする人物も存在し、F1でテクニカルディレクターを務めることは、世界でも指折りのマシン開発のスペシャリストであることを意味するのです。

トロロッソでこのテクニカルディレクターという重要な役割を担うのが、イギリス出身のジェームス・キーという人物です。

彼がトロロッソに加入したのは2012年のことで、小規模なチームながらも毎年のように入賞争いが出来るマシンを生み出し、激戦区となっている中団での接戦を盛り上げてきました。

 

©Red Bull Content Pool

 

最近では2015年に彼が手掛けたマシンである”STR10”を、当時在籍していたマックス・フェルスタッペンとカルロス・サインツがドライブ。

19戦中14戦で入賞を果たすだけでなく、表彰台にあと一歩に迫る4位を2度獲得するなど、小規模なチームながら毎戦のように入賞圏を争えるだけのマシンを作り上げています。

残念ながら彼が在籍してきたのは小規模なチームが多いことから、これまで自らが手掛けたマシンが優勝を飾った経験はありません。

しかしこうした彼の実績を踏まえて、低迷からの脱出を目論むホンダにとっては救世主となり得る人物なのです。

 

テクニカルディレクターとして珍しいキャリアを歩んできたキー

 

出典:http://www.scuderiatororosso.com/en_INT/team

 

では、そんなキーはこれまでどのようなキャリアを歩んできたのでしょうか。

ノッティンガム大学で機械工学を学んだ彼はすぐにF1の道を歩んだ訳では無く、在学中にスカラシップに選出されたことをきっかけに卒業後はロータスに就職すると、レース用のGTマシンの設計者として働くことに。

しかし入社から2年が過ぎた1998年に、当時F1に参戦していたジョーダン・グランプリに加入すると、そこからF1でのキャリアを歩み始めたのです。

 

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jarno_Trulli_2000_Monza.jpg

 

加入当初はマシンの走行データ取りなど見習いという位置からのスタートでしたが、2000年にテストエンジニア、その2年後にはシニアレースエンジニアに昇格します。

また、この時までジョーダン・グランプリはホンダエンジンの供給を受けていたこともあり、すでに彼はこの時点でホンダとの関わりを持っていたのです。

そして順調に昇格を続ける彼の活躍は留まることなく、2003年には空力部門の開発を務めると同年末には車体制御部門のトップを任されるほどになりました。

そんな彼の所属するジョーダン・グランプリは2005年に買収されミッドランドF1(MF1)に名を変えますが、その後もチームに留まると、その年末にいよいよマシン開発の総責任者であるテクニカルディレクターに抜擢!

この時キーはまだ33歳という若さで、F1チームの技術開発のトップまで上り詰めるという驚異的なスピード出世を果たしたのです。

また、当時のF1で同一チームで出世を果たしたのは稀なケースであり、これはチーム内で彼の仕事ぶりがいかに高く評価されていたかという証でもあります。

その後は2006年よりスパイカーにオーナーが変わると、トヨタでマシン開発責任者を務めた経験を持つマイク・ガスコインが加入してきたこともあり、一時マシン開発の最高責任者を譲ることに。

 

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%83%BCF1

 

しかし2008年にガスコインがチームを離脱すると、今度はマシンデザイナーのマーク・スミスと並んで最前線でマシン開発を率いることになります。

この時すでにチームは現在もF1に参戦しているフォースインディアに名前を変えており、キーは下位に沈んでいたチームを入賞争いに導くことに貢献。

しかしキーはこの時長年勤めてきたチームを離れることに決断し、2010年よりザウバーのテクニカルディレクターに就任したのです。

 

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kamui_Kobayashi_2012_Japan_FP1.jpg

 

そして、2011年からはマシン設計においても主任を務めると、彼が主導のもとに開発が進められた2012年型マシン”C31”を小林可夢偉とセルジオ・ペレスがドライブし、合計4度の表彰台を獲得する速さを見せました。

これは秀逸なマシンを生み出してきた彼の成果の証でもあり、一時は名門フェラーリへの移籍が噂されたのですが、彼は最終的にトロロッソのテクニカルディレクターに就任。

チームに加入してから5年が経った今季、トロロッソは2018年よりホンダとの共闘を始めることが決まり、彼は再び日本からの期待を背負う時を迎えようとしています。

 

そんな、注目の来季については次のページへ!!

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Writer Introduction
shunsuke_kawai

モータースポーツライターをさせて頂いております、河合俊佑です。10代にF1の魅力にハマり、以後フォーミュラレースに憧れを抱く。大学時代は自身でカート活動を始め、モータースポーツの面白さを体感し、魅力を伝える事を志しています。少しでもモータースポーツを楽しく、分かりやすく伝えられるよう取組んで参ります。宜しくお願い致します。

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