今でこそ軽トラですら当たり前のように積んでいるDOHCエンジンですが、その昔は特別なスポーツモデル用エンジンでした。中でも大衆車のスポーツグレードやそれをベースにした安価なスペシャリティカーにとって”DOHC”は商品性を高める魔法のアイテムで、それをうまく活用した1970年代トヨタDOHCエンジンの2トップが2T-Gと、今回紹介する18R-Gです。

 

 

 

トヨタ初の4気筒DOHCを生んだR系エンジン

 

Photo by Iwao

 

戦後初の本格的国産乗用車として名を残す初代クラウンに採用以降、長らく使われたトヨタの「R」系エンジン。

現在のようにエンジンブロックや各部品を共通化され、同じエンジンの排気量違いシリーズ…という時代では無かったので、R系と言っても必ずしも同系列のエンジンとは言えませんが、ともあれこのR系エンジンからトヨタの4気筒DOHCエンジンは生まれました。

それがトヨタRTXこと、後のトヨタ 1600GT(1967年発売)に搭載され、9Rで、4Rと同じボア×ストロークを持つ1.6リッター(1,587cc)エンジンです。

これは1600GTそのものが名車2000GTの弟分として登場したこともあって特殊な位置づけでしたが、量産大衆車のスポーツバージョン用として、1969年9月に初代コロナマークII(後のマークII)のスポーツグレード、GSS用に1.9リッター(1,858cc)の10Rが登場します。

9R同様にDOHC2バルブ、ソレックスツインキャブレターを装備していた10Rは最高出力140馬力(グロス値)を発揮、コロナマークII GSSを公称最高速200km/hで走らせると言われました。

10Rは8RのDOHC版だったこともあり、後に「8R-G」へと改称。

トヨタのスポーツカー向けDOHCエンジンに「G」がつくようになった始まりです。

 

2リッターDOHCエンジン、18R-G誕生

 

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AFII

 

8Rまでは4気筒に1.9リッターエンジンを使っていたトヨタですが、1972年1月にデビューした2代目コロナマークIIからは8Rをボアアップして2リッター化(1,968cc)した18Rを投入します。

8R-Gも同時に18RのDOHC版に置き換えられ、その後長らくトヨタの4気筒スポーツエンジンとして君臨する18R-Gが登場しました。

18R-Gデビュー当時の市販車用DOHCエンジンとしては、以下のようなエンジンがあります。

・トヨタ 2T-G:1.6リッター直列4気筒2バルブDOHC 115馬力(レギュラー仕様2T-GRは110馬力)

・日産S20:2リッター直列6気筒4バルブDOHC 160馬力(レギュラー仕様は155馬力)

・いすゞG161W:1.6リッター直列4気筒2バルブDOHC 120馬力

・三菱4G32:1.6リッター直列4気筒2バルブDOHC 125馬力

ホンダは1970年でS800を生産終了していたので800ccDOHCのAS800Eは既に無く、日産S20や三菱4G32も間もなく排ガス規制などの理由で消えゆく運命にありました。

つまり、日産 スカイラインGT-R(KPGC110)や三菱 ギャランGTO MRが廃止された1973年以降、「DOHCエンジンはしばらくトヨタといすゞしか使ってない」という状態だったのです。

ちなみにこの時点での18R-Gのスペックと搭載車種は以下の通りです。

トヨタ18R-G

種別:直列4気筒2バルブDOHC

燃料供給:ミクニソレックス×2

排気量:1,968cc

ボア(内径)×ストローク(行程):88.5mm × 80.0mm

圧縮比9.4

最高出力:145馬力 / 6,400rpm(※レギュラー仕様18R-GRは140馬力)

最大トルク:18.0kgm / 5,200rpm(※最高出力とともにグロス値)

【搭載車種】

・2代目コロナマークII GSS

・5代目コロナ 2000GT

・初代カリーナ 2000GT

・初代セリカ 2000GT

 

排ガス規制に苦しむ18R-G、酸化触媒で回らない18R-GUへ

 

Photo by Alexander Nie

 

初搭載車種がモータースポーツなどでの実績が少ない2代目マークII GSSだったことや、後にセリカやカリーナへの搭載でよりパワフルな18R-Gが好かれるという傾向はあったものの、2T-Gに比べると知名度は今ひとつでした。

レースやラリーで活躍するのは大抵2T-G搭載のカローラレビンやスプリンタートレノ、セリカ1600GTVという印象ですが、実際にはセリカ2000GTが1973年の日本グランプリで1-2フィニッシュを飾ってクラス優勝しているます。

ただ、この時期いすゞを除く他社DOHCエンジンが一時的に消えていくキッカケとなった排ガス規制、そしてオイルショックによる省燃費志向の波は、18R-Gにも襲い掛かりました。

既にコロナやカリーナなどに搭載する時点で「昭和48年度排気ガス対策」には対応していましたが、いよいよ1975年以降には本格的な排ガス規制対応を迫られます。

それが酸化触媒などを装着、点火時期も大幅に変更された18R-GUです。

カタログスペック上でも大幅にスペックダウンしましたが、加えて酸化触媒により詰まったかのようにレスポンスが鈍く回らない、おまけに燃費も悪いと苦しめられました。

この時期の18R-GU搭載車は特に初期のものほど「商品性がかなり厳しかった」ようで、中古車でもかなり早い時期に解体処分されるものが多かったようです。

トヨタ18R-GU

種別:直列4気筒2バルブDOHC + 酸化触媒

燃料供給・排気量・ボア×ストローク:変わらず

圧縮比:8.3

最高出力:130馬力 / 5,800rpm

最大トルク:17.0kgm / 4,400rpm

 

EFI化で息を吹き返した18R-GEUで「名ばかりのGT達は道を開ける」

 

 

そして1978年、EFI(電子制御燃料噴射)化とともに新しい三元触媒を装着した18R-GEUが登場。

まだ制御が未熟な時代ゆえ、電子制御と言っても今から見ればささやかなレベルではありましたが、それでもいくぶん出力は回復し、少なくとも触媒によるレスポンス低下状態からは脱しました。

これをもってトヨタは排ガス規制危機を乗り越えたと判断したようで、翌1979年にマイナーチェンジしたA40系セリカ(2代目)などは「名ばかりのGT達は道を開ける」という挑発的なCMコピーを流しています。

これは同じ2リッターエンジンでも高級な直列6気筒エンジンを搭載しながら、SOHCのL20で130馬力と、135馬力を発揮する4気筒DOHCの18R-Gよりスペックの劣る日産 スカイラインGTへの挑発だったと言われています。

ただし、日産はその後すぐ日本初の市販車用ターボエンジン、145馬力を発揮するL20ETをセドリック / グロリア、ブルーバード、そしてスカイラインGTにも搭載し、そこから一時期「ターボとDOHCの最強論議」が続きました。

トヨタ18R-GEU

種別:直列4気筒2バルブDOHC + 三元触媒

燃料供給:電子制御燃料噴射(EFI)

排気量・ボア×ストローク・圧縮比:変わらず

最高出力:135馬力 / 5,800rpm

最大トルク:17.5kgm / 4,800rpm

 

DOHCターボの登場、馬力競争が始まり姿を消す

 

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A

 

今となっては何でそんな議論をしたのかと思いますが、スポーツカーにはターボとDOHCどちらがいいんだ、と言われれば答えは「DOHCターボでいいんじゃない?」となるのは当然です。

実際トヨタは1982年10月、コロナ / カリーナ / セリカの18R-GEUを一斉に1.8リッターDOHCターボエンジン3T-GTEUに切り替え、グロス160馬力を発揮してライバルを逆転しました。

日産もすぐさま2リッターDOHCターボのFJ20ETを投入して巻き返し、280馬力自主規制が行われるまでの馬力競争が始まりますが、そこにはもう18R-Gの居場所は無かったのです。

X60系コロナマークII(4代目) / チェイサー(2代目)も1982年8月をもって18R-GEUから新世代の2リッター直列6気筒4バルブDOHCエンジン、1G-GEU(グロス160馬力)に切り替わっていたので、3T-GTEU登場とともに、18R-Gは姿を消したのでした。

 

シルエットフォーミュラで活躍した18R-Gターボ