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リトルベアーと呼ばれたF1チャンピオン、ジョディ・シェクターをご存じですか?

2,000年にシューマッハが奪取するまで、21年間もの間タイトルから遠ざかっていたフェラーリですが、その21年前の1979年にフェラーリでドライバーズタイトルを獲得したのが、このジョディ・シェクターでした。リトル・ベアー(小熊)という、決して速そうではない愛称で親しまれ、30歳で引退してしまった、南アフリカ出身の天才ドライバーにスポットを当ててみたいと思います。

出典:https://fr.wikipedia.org/wiki/Jody_Scheckter

リトル・ベアー、南アフリカからヨーロッパへ行く

1970年にヨーロッパ行きのチャンスを得たジョディ・シェクターはジュニアカテゴリーでの活躍が注目され、1972年に早くも、マクラーレンからスポット参戦でのF-1デビューを果たします。

チャンスを確実にものにする、名ドライバーに共通するサクセスストーリーがここから始まったのです。

 

才能を持て余す問題児ぶり炸裂

マクラーレンM23。ドライバーはエマーソン・フィッティパルディ 出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/マクラーレン・M23#/

翌1973年もマクラーレンから3台目のドライバーとしてスポット参戦を果たしますが、当時は才能と同時にドライビングの荒さが目立ちました。

エマーソン・フィッティ・パルディと絡んでリタイヤしたり、ピット前でスピンして後続を巻き込む多重クラッシュを起こしF1史上初の赤旗中断の原因を作ったり、さらにはフランソワ・セベールと接触してクラッシュしたりと、問題児ぶりを発揮します。

 

ティレル移籍、そしてセベールの事故

ティレル007 2004年のデモランにて。 出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/ティレル・007#/

しかし、引退が決まっていたジャッキースチュワートの後任を探していたケン・ティレルにその才能を見出され、翌1974年からセベールのチームメイトとなる契約を交わすのです。

そして、皮肉にもチームメイトとなる予定だったセベールの事故現場に最初に着いたドライバーとなりました。

その後、「攻めの走りをいつもする必要はない、このままでは本当に死んでしまう』と信じるようになった」とコメントをしているように、シェクターのドライビングから荒っぽさが消えたのです。

 

初優勝、そして歴史上初6輪車での優勝も

ティレルP34 出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/ティレル・P34#/

そして1974年にティレルからフル参戦を果たすと、早くもスウェーデンGPで初優勝を達成、チャンピオン争いを繰り広げました。

また、1976年には6輪車「P34」でスウェーデンGPにおいて、F1の歴史上初の4輪ではないマシンが優勝した唯一の記録を達成したのです。

 

ウルフへ、そして名門フェラーリでタイトル獲得

ウルフ WR1 出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョディー・シェクター#/

1977年には新興チームのウルフへ移籍し、デビュー戦となるアルゼンチンGPで優勝するなど、このシーズン3勝を挙げてランキング2位となる大活躍を見せます。

そして翌年は低迷しますが、その実績が認められカルロス・ロイテマンの抜けた後の後任として、フェラーリへの移籍が実現することになったのです。

1979年、晴れて名門フェラーリへ移籍するとモナコGPを含む3勝を挙げ、堅実な走りでポイントを稼ぐプロフェッショナルなレース運びをみせ、初のワールド・チャンピオンを獲得しました。

さらに、チームメイトのジル・ヴィルヌーヴもナンバー2ドライバーとしてシェクターを援護し、ランキング2位に入る活躍を見せました。

そして、フェラーリはコンストラクターズ・チャンピオンも獲得するなどグランプリを席巻した年になったのです。

 

名車「312T4」投入!

フェラーリ312T4 (Photo by ph-stop)

1979年のシーズン途中、南アフリカGPでデビューした「312T4」は、緒戦でワンツーフィニッシュを飾ります。

そんな好調なスタートを切った「312T4」はライバル車に対し、必ずしも最速のマシンではありませんでしたが、信頼性や扱いやすさに優れており、ヴィルヌーヴとシェクターが3勝ずつの計6勝を挙げる原動力となりました。

そして、フェラーリは5シーズンで4度目のコンストラクターズタイトルを獲得すると共に、シェクターも生涯で唯一のドライバーズタイトルを獲得したのです。

 

最強のチームメイト ヴィルヌーヴ

フェラーリ312T4とヴィルヌーヴ 出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/フェラーリ・312T

同年、ヴィルヌーヴは最終的に4ポイント差でジョディー・シェクターにチャンピオンを譲ることになりますが、チームオーダーを忠実に守った結果だと言われるほど光る速さを見せました。

ちなみに、ラウダの抜けた後チームリーダーとして活躍していたカルロス・ロイテマンは、チームがヴィルヌーヴを支持し始めたことを察し、フェラーリを去っています。

 

不調の「312T5」に嫌気がさし30歳でアッサリと引退

フェラーリ312T5 出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/フェラーリ・312T#/

チームメイトにも恵まれ黄金時代を築くかと思われたシェクターでしたが、翌1980年のマシン「312T5」は操縦性の悪化とエンジンの信頼性の問題が多発します。

また、ミシュランタイヤがマッチせず、磨耗が激しいためフェラーリはコンストラクターズ10位に終わり、シェクターも走らないマシンに手を焼き、最高位は5位の1回のみ。

そしてカナダGPでは予選落ちという屈辱の結果となったのです。

その為、シェクターは僅かに2ポイントを獲得しただけでシーズンを終え、フェラーリとの関係は悪化。

「フェラーリは頑丈なトラックだ」という捨て台詞を残し、シェクターは30歳の若さでF-1から引退してしまったのです。

 

まとめ

あまりにも若くして引退してしまったシェクターですが、その後はアメリカで護身用兵器の訓練を扱うビジネスを立ち上げ、実業家として大成功を収めます。

そして湾岸戦争では軍事評論家としてCNNに出演するなど、多方面で活躍!

その後会社は売却し、巨額の資産を得て2010年のイギリスのスポーツ選手長者番付では上位にランクイン。

推定資産は6,000万ポンド(約86億1,600万円)とされています。

また、ホンダF1チームのスポンサーとして、ケータリングの食材を供給したこともありました。

ジョディーの兄イアンもF1ドライバーで、弟より後の1974年からプライベートチームのロータスやヘスケス、そしてマーチから参戦していました。

また、息子のトーマス・シェクターはジャガーのテストを受けるもF-1のシートは得られませんでしたが、2002年からはインディカー・シリーズに参戦を開始。

2007年までの6年間フル参戦し2勝を挙げています。

 

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Writer Introduction
Mr.ブラックビーン

都内及び神奈川にて自動車ディーラーに勤務。営業、新人担当マネージャーを歴任。その後損保代理店、運送業を経営。現在、ライターとして様々なWebサイトへ執筆。土屋圭市氏と同い歳ながらもMotorzでは新人。昔話し(?)を主に担当予定。 子供のころからモータースポーツに憧れ、小学校5年生の時の愛読誌はオートスポーツ。リアルタイムでジル・ビルヌーブを観ていたのが自慢。

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