最近になってトヨタがハイラックスの日本での販売を再開しました。かつては日本中どこでもピックアップトラックが走り回り、事業用からレジャー用まで大活躍したものですが、その中でもひと際特異な存在で、軽自動車というより国土交通省の構想する「超小型モビリティ」に近い軽ピックアップがありました。それがコニー グッピーです。
CONTENTS
あなたは知っていますか?黎明期の軽自動車「コニー」
戦後日本の国産車復活は1950年代末に本格化、1960年代には高級車から軽自動車まで多くの車がデビューし、高度経済成長期の中で販売台数を、市場を拡大していきました。
そうした中には2017年現在まで自動車メーカーとして生き残れなかった企業も数多くありますが、決してそれらの”元自動車メーカー”の作る車が優れていなかったというわけではありません。
中には優れた車、あるいは特徴的な車を作りつつ企業規模などの問題で将来設計を立てられずに表舞台から姿を消していったメーカーも少なくは無く、今回紹介するコニー グッピーを作った愛知機械工業もそんな”元メーカー”のひとつです。
多くの自動車メーカーがそうだったように、愛知機械工業も戦時中は名機・九九式艦上爆撃機などを生み出した航空機メーカー、愛知航空機が前身で、三菱や中島(現在のスバル)ほどの名門ではありませんが、ソコソコの中堅メーカーでした。
戦後は軍需から民需に転換して現在の社名となり、「ヂャイアント」や「コニー」ブランドでオート三輪や軽自動車メーカーに転身。
特に「コニー」ブランドの軽商用車は空冷フラットツイン(水平対向2気筒エンジン)を運転席下へアンダーフロアミッドシップ、あるいはリアエンジン配置した特徴的な設計で、存続していればマニア垂涎の名車を数多く輩出していたかもしれません。
しかし、同社は自動車メーカーとしては規模が小さすぎたため日産と提携する道を選び、日産は同社を自動車部品の下請けメーカーとして活用する方針だったため、1970年をもって「コニー」車は廃止。
コニー車を販売していた日産コニー店も同年には日産チェリー店へ衣替えして、「コニー」の名は日本の自動車史から消えていきました。
コニー黎明期のマイクロピックアップトラック、グッピー
1947年以降、「ヂャイアント」ブランドでオート3輪を生産していた愛知機械工業でしたが、1959年には「ヂャイアント・コニー」ブランドで軽3輪トラックAA27を発売。
同年には軽4輪トラックのチャイアント・コニー 360、翌年にはそのバンモデルも発売し、同社はまず軽商用車で四輪車に進出します。
ただし、当時はまだ「自動車とはどうあるべきか」というスタンダードがまだ完全に確立していない時期で、同社も意欲的実験作というべき超小型ピックアップトラック、ヂャイアント・コニー グッピーを1961年に発売します。
1954年の軽自動車規格改定で「360cc時代の軽自動車のスタンダード」は確立しており、各社ともそれを最大限に活かした軽自動車を販売していましたが、グッピーは規格をいっぱいには使わず一回り小さいボディに小さいエンジンと、より手軽で便利であることを狙っていました。
上記写真のカタログ画像を見てもわかる通り、「ピックアップトラックなので荷物が載りそうに見えるけど、実はそうした用途と縁の無いレジャー用」というのがポイントで、8インチタイヤで思ったより大きく見えますが、実際には商用だと用途がかなり限られる大きさです。
現在だとトヨタ コムスに近いサイズ
ボンネットは持つもののエンジンはそこにはなく、並列2人乗りキャビン直後の荷台下へアンダーフロアミッドシップで搭載。
荷台も最低限の大きさで、寸法的には現在の1人乗り用でやや幅が狭いことを除けば、トヨタのミニカー登録EV、コムスと同程度でした。
では、コムスのピックアップトラック的モデル「B・COM デッキ」と比較してみます。
【コニー グッピー(1961)とトヨタ コムス(2012)比較】
※カッコ内はコムスB・COM デッキ(上写真)のスペック
コニー グッピー
全長:2,465(2,475)mm
全幅:1,260(1,105)mm
全高:1,290(1,500)mm
車重:290(410)kg
最大積載量:100(30)kg
動力:強制空冷2ストローク単気筒199cc(永久磁石同期電動機 定格出力0.59kw)
最高出力:11馬力 / 6,000rpm(5kwまたは6.8馬力)
最大トルク:1.6kgm / 4,000rpm(40N・mまたは4.0kgm)
わずか11馬力のエンジンでピックアップトラックとして成り立つのか?という疑問は当然あると思います。
しかし、フル乗車+最大積載量分の荷物を積んだグッピー(乗員1人70kgとして計530kg)と、コムス(同510kg)にそれほど差が無く、コムスが乗員1名+荷物で平坦地なら60km/h程度で走行できることを考えれば、1960年代の水準では、坂などの状況を除いて、そう問題では無かったかもしれません。
非常に軽量なFRPボディで1名乗車、荷物もそれほど積まなければ軽快に走る姿が想像できるのではないでしょうか。
驚きのトルコン式オートマによるイージードライブと、4輪独立懸架
グッピーの意欲的な部分はそのサイズや、動力性能に留まりません。
まず、1961年発売のマイクロカーとしては驚異的なことに、トルクコンバーター(現在のオートマ車に使われているのと同じ流体クラッチ機構・略してトルコン)を用いた2ペダル車で、イージードライブを実現していました。
トルコンそのものは岡村製作所のミカサ・ツーリング(1957年)で既に実用化されており、軽自動車用としてもマツダ R360クーペ(1960年)に採用、いずれも同じ岡村製作所製トルコンですから特に新しいわけではありません。
ただ、グッピーの場合は前進・後進ともに1速のみで変速機構を持たず、トルコンに無段変速機(今でいうCVT)としての役割を持たせていたのが特徴で、どのみち高速走行をする乗り物では無く、複雑な変速機構もそれを操作する必要も無かったので、簡単なメカニズムとなっていました。
ただしサスペンションは少々凝っていて、フロントがダブルウィッシュボーン、リアはトレーリンングアームの4輪独立懸架で、業務用途というよりレジャー用途を視野に入れた2人乗りコミューター的な車だったようです。
しかし結果的にはこの4輪独立懸架が舗装路の少ない当時の道路事情の中では耐久性に欠け、販売不振により1963年わずか2年あまりの短命で生産終了。
愛知機械工業の業績悪化による、日産傘下入りへの原因にもなりました。
交通教育用アトラクションカー、ダットサン ベビイ
その後のグッピーですが、日産との業務提携で事実上傘下になった後の1965年、児童厚生施設「こどもの国」(神奈川県横浜市で現存)向けのアトラクション用車両として、100台+試作車5台が追加生産されましたが、あくまで日産から児童向け交通教育用として寄付されたため、「コニー」ブランドではなくダットサン ベビィとして内外装も変わっています。
しかし、基本構造やメカニズムはグッピーそのもので、同車の在庫部品が実際に使われているのも事実。
2ペダルのイージードライブ、小排気量エンジンで慣れない子供ですら運転が容易でちゃんと自動車の形をしている、というコンセプトは、2017年現在も国土交通省が模索している新たな短距離マイクロコミューター、「超小型モビリティ」に通じるものがあるかもしれません。
まとめ
1961年発売でわずか2年程度の間に5,000台にも満たない(4,645台)数しか生産されなかっただけに、グッピーの現存台数はそう多くはありません。
博物館であればトヨタ博物館(愛知県)や日本自動車博物館(石川県)のグッピー、苫小牧市科学センター(北海道)のダットサン ベビィなど何台かありますが、実働のグッピーは2009年時点でわずか5台とも言われており、実動・不動問わず超レア車となっています。
製造元の愛知機械工業(現在は日産子会社としてエンジンやミッションなどの受託生産を請け負っている)には、コニー車のレストアを手掛ける社内クラブがあり、グッピーのレストアもしていましたが、2017年10月現在は中断したまま、完成情報は入っていません。
もし旧車イベントなどで見かける事があれば、次はいつ見られるか…というレベルの車なので、よい機会とばかりにジックリ目に焼き付けておいてくださいね。
あわせて読みたい
三菱パジェロの名前が”将軍”!?海外と日本、同じクルマだけど名前が違うクルマをまとめてみた
サーキットにジャンプ台!?日本じゃ絶対ありえないレース「スタジアムスーパートラック」とは
[amazonjs asin=”B00TXC7R0M” locale=”JP” title=”ジェックス グッピー元気 ラクラクセット”]
Motorzではメールマガジンを始めました!
編集部の裏話が聞けたり、月に一度は抽選でプレゼントがもらえるかも!?
気になった方は、Motorz記事「メールマガジン「MotorzNews」はじめました。」をお読みいただくか、以下のフォームからご登録をお願いします!