世界中のモータースポーツファンを驚愕させた昨年のフェルナンド・アロンソ(マクラーレン・ホンダ)のインディ500へのチャレンジ。アロンソは初参戦のインディ500で勝つ事ができませんでしたが、佐藤琢磨選手が勝利したのは日本のみなさんの記憶に新しいかと思います。かつてF1ドライバーでインディ500を制したのは10人。そのドライバーたちをご紹介したいと思います。

©︎INDY CAR

アレクサンダー・ロッシ

Photo by Jake Archibald

 

2016年 第100回大会優勝

1991年9月25日産まれ、アメリカはカリフォルニア出身のアレクサンダー・ロッシ(25歳)は、記念すべき第100回大会の覇者。

彼の大きなレースキャリアは2005年にIKF(International Kart Federation)のグランドナショナルチャンピオンを獲ったところからスタートします。

その後、フォーミュラBMWなどのジュニア・フォーミュラから、GP3、GP2、フォーミュラルノー3.5と順調にステップアップし、2012年にはついにケータハムF1のテストドライバーに抜擢。

2015年には、マノー・マルシャからF1参戦を開始し、最高順位は2015年テキサス州オースティンで催されたアメリカGPの12位となっています。

そして迎えた2016年。彼は主戦場を母国アメリカのレースであるインディに移し、アンドレッティ・ハータ・オートスポーツのマシンを勝ってインディ500を見事に優勝。

ルーキーイヤーでのインディ500世はは、エリオ・カストロネベスが2001年、ルーキーイヤーでそのままインディ500を制して以来の大記録となっています。

 

ファン・パブロ・モントーヤ

 

Photo by Raniel Diaz

 

2015年 第99回大会優勝

2000年 第84回大会優勝

1975年9月20日産まれの41歳。コロンビア出身のファン・パブロ・モントーヤ。

幼少期からモータースポーツを始め、カートからF3、F3000と、順当にレーシングドライバーの階段を上ってきた彼は、アメリカの大人気モータースポーツであったCART参戦一年目である1999年にシリーズチャンピオンを獲得したことから、F1へのチャンスをつかみ始めます。

ルーキーイヤーでのCARTシリーズ制覇は、1993年のナイジェル・マンセル以来。新しいヒーローの登場にアメリカのみならず世界中のレースファンが大興奮しました。

その翌年の2000年、シリーズ制覇こそ叶いませんでしたが、伝統のインディ500を制覇。この時なんと24歳という若さでの勝利でした。

翌2001年からはBMWウィリアムズからF1への参戦を開始。2003年シーズンでは終盤までミハエル・シューマッハ、キミ・ライコネンと激しいチャンピオン争いを繰り広げ、幾度も表彰台に登るも、12ポイント差でシリーズ制覇を逃し、3位でシーズンを終えています。

その後2006年までF1参戦を継続し、2007年からはNASCAR、2014年からはインディカーシリーズに復帰し、翌2015年にはまたしてもインディ500を制し、シーズンを2位で終えています。

彼の特筆すべき成績は、F1モナコGPとインディ500を既に制しているということ。近年ではもっとも「世界3大レース」制覇に近づいたドライバーでもあります。

気性が非常に激しい一面も持ち合わせており、チームメイトへの暴言やチームスタッフに対しての言動などでしばしば物議を醸し出していますが、世界的に人気なドライバーの一人であることは間違いありません。

 

エディ・チーバー

 

1998年 第82回大会優勝

1958年1月10日産まれの59歳、エディ・チーバー(アメリカ出身)も、F1を戦って、インディ500を制したドライバーのひとり。

1978年セオドールからのF1参戦を皮切りに、1989年のアロウズまで延べ11年間にわたり9チームを渡り歩くという苦労人であったエディ・チーバー。

自身最高順位は2位(2回)シリーズランキングは1983年にルノーのマシンで獲得した7位が最高位となっています(同年のチャンピオンはネルソン・ピケ)

彼がインディ500を制したのは1998年のこと。

この年のエディ・チーバーは、チームオーナー兼ドライバーという異色の形式でIRLにシリーズ参戦しており、その状況でのインディ500制覇は大きく注目を集めました。

ちなみに、弟のロス・チーバーは全日本F3やF3000など、日本のトップフォーミュラで大活躍した選手の一人で、確かな実力を持ち、F1参戦を期待されながらもスポンサー持ち込みでシートを交渉することに意義を唱え、頑なに拒否したというエピソードを持っています。

 

ジャック・ヴィルヌーブ

Photo by Royal Broil

 

1995年 第79回大会優勝

1971年4月9日産まれの46歳、カナダ出身のジャック・ヴィルヌーヴ(正式にはジャック・ジョゼフ・シャルル・ヴィルヌーヴ)も、インディ500を制しています。

F1において、伝説の存在となっている天才ドライバー、ジル・ヴィルヌーブの息子である彼は、15歳の時にジム・ラッセル・レーシングスクールというドライバー育成スクールの体験コースを受けたことから、キャリアをスタートさせます。

もはや神様のように崇められていたジル・ヴィルヌーヴの息子がレースを始めたとあって、周囲の期待はうなぎ上り。少年期の彼を追い詰めるプレッシャーは尋常ではなかったと言われています。

そんな環境でも、順調にステップアップしていった彼は、1994年にCARTシリーズに参戦。同年のインディ500では惜しくも2位表彰台でしたが、翌年は見事リベンジを達成しただけでなく、史上最年少(24歳)でのCARTシリーズ制覇を成し遂げています。

翌1996年からは、ついにF1への参戦を開始。ウィリアムズのF1マシンFW18を駆って、4戦目で優勝という快挙を達成し、シリーズ2位。

参戦2年目の1997年は、フェラーリのミハエル・シューマッハと激戦を繰り広げ、3ポイント差でシリーズチャンピオンを獲得(※)。父であるジル・ヴィルヌーヴも成し遂げられなかったF1制覇という悲願を達成したのです。

※1点差で行われた最終戦ヨーロッパGPにて、シューマッハがヴィルヌーブのマシンに悪質なブロックを行い、故意に接触させたとしてシリーズランキング除外処分を受けています。

 

 

 

エマーソン・フィッティパルディ

Photo by Stuart Seeger

 

1993年 第77回大会優勝

1989年 第73回大会優勝

1946年12月12日産まれで、御年70歳。ブラジル出身のエマーソン・フィッティパルディも、インディ500を制した一人。

1970年、ロータスの第3ドライバーとしてF1キャリアをスタートさせた彼は、参戦初年度のアメリカGPで優勝するなど、メキメキと頭角を現していきます。

その2年後、1972年には全12戦中8回表彰台に乗る(優勝は5回)という驚異の成績でワールドチャンピオンを獲得。11戦のカナダGPを除けば、表彰台に乗るかリタイアするかどちらかという驚異の速さを見せ、世界中のモータースポーツファンを魅了しました。

また、さらに2年後である1974年も、マクラーレンM23を駆って2度目の世界王座を獲得。1970年代前半のF1は、彼無しでは語れないというほどの、代表的なドライバーの一人です。

彼がインディ500を制したのは、それからしばらくたった1989年。

F1を引退した1980年以降、果樹園や自動車アクセサリー事業を営み、表舞台から去っていた彼は、1984年、アメリカのCARTシリーズで電撃復帰。この時なんと38歳です。

参戦2年目には勝利を獲得するようになり、1989年にはインディ500を制し、同時にCARTのシリーズチャンピオンも獲得!43歳という年齢を感じさせない走りに、世界中が注目しました。

これだけに留まらず、1993年にもインディ500を制覇。50歳近い年齢であってもまだまだ現役だったという、鉄人のようなドライバーです。

 

関連:F1とCARTを制覇した初のブラジル人、エマーソン・フィッティパルディを知っていますか?

 

ダニー・サリバン

 

1985年 第69回大会優勝

ダニー・サリバンことダニエル・ジョン・”ダニー”・サリバン三世は、1950年3月9日産まれのアメリカ人レーシングドライバー。現在は67歳。

レース活動を本格的に始めたのは21歳と驚くほど遅く、それまではタクシーの運転手や木こりなど、様々な職歴があるというダニー・サリバン。

1983年に、ベネトン(当時ティレルのスポンサーだった。)がアメリカ人ドライバーの起用を希望したことから、彼に白羽の矢が立ち、F1参戦が決定します。

しかし、マシンの性能や、1年目と言うこともあって成績は奮わず、合計15戦に出走して第5戦モナコGPで5位に入賞するも、思うような結果が出せず1年でF1の舞台から去ることになってしまいました。

その翌年の1984年、アメリカに戻った彼はインディカーシリーズに参戦。初年度から3回の優勝を飾ると、ダニー・サリバンの速さはぐんぐんと勢いを増します。

翌1985年、シアソン・レーシングからペンスキーに移籍して2戦目のインディ500では見事優勝。シーズンこそ4位で終えるも、そのアグレッシブな走りで数々のファンを魅了し、フル参戦5年目の1988年にはシリーズチャンピオンを獲得しています。

彼の人気は留まることを知らず、1992年には、その名を冠したDanny Sullivan’s Indy Heat(ダニーサリバンズインディーヒート)というゲームソフトまで発売。

遅咲きながら、アメリカを代表する人気レーシングドライバーのひとりとなったのです。

 

マーク・ダナヒュー

Photo by Royal Broil

 

1972年 第56回大会優勝

1937年5月18日産まれのアメリカ人ドライバー、マーク・ダナヒュー。

F1への参戦は比較的遅く、1971年にコスワースエンジンを積んだマクラーレン/ペンスキーレーシングから第10戦、第11戦に出場したことからキャリアスタート。この時34歳でした。

なお、初めて出場した第10戦のカナダGPではなんと3位表彰台を獲得!今後が期待されるドライバーでしたが、翌1972年と1973年にはF1へは出場していません。

インディ500を制覇したのは1972年のこと。その後1974年、1975年とフル参戦を果たすも1975年第12戦オーストリアGPのウォームアップ走行中に大クラッシュ。

事故後は意識もあり、会話もできたと言われていますが、病院へ搬送がヘリコプターとなり、高度変化によって脳溢血が併発。38歳という若さで、帰らぬ人となってしまいました。

 

マリオ・アンドレッティ

Photo by Martin Lee

 

1969年 第53回大会優勝

1940年2月28日生まれのマリオ・アンドレッティ(77歳)。イタリアで生まれ、第二次世界大戦をきっかけにアメリカに移住し、現在の国籍はアメリカ合衆国となっています。

アメリカ伝統のレースであるダートオーバルからレースキャリアをスタートさせたマリオ・アンドレッティは、1968年スポット参戦でロータスからF1に参戦。

F1決勝デビュー戦であるアメリカGP(※)ではなんとポールポジションを獲得。これは長いF1の歴史の中でも4人しかいない快挙となっています。

※その前のイタリアGPで予選を一度走っていますが、同じ週末にアメリカのレースに参戦したため、決勝への参戦権をはく奪されています。

その後1982年でF1を引退するまで、14年間にわたりF1で活躍しており、1978年にはロータス79を駆ってワールドチャンピオンに輝いています。

インディ500を制したのは、F1へ参戦を開始した翌年の1969年。その2年前である1967年にはNASCARのデイトナ500でもチャンピオンを獲得。

その他にも、ルマン24時間やCan-Amなど様々なレースで大活躍。非凡な才能でどんなマシンでも乗りこなした伝説のレーシングドライバーです。

 

グラハム・ヒル

 

1966年 第50回大会優勝

1929年2月15日生まれのイギリス人レーシングドライバー、グラハム・ヒルもインディ500を制したレーサーのひとり。

彼はF1モナコGP、インディアナポリス500マイルレース、ル・マン24時間耐久レースという「世界3大レース」を制した唯一のドライバー。

また、F1では1962年と1968年に2度のシリーズチャンピオンを獲得。息子であるデイモン・ヒルも1996年にF1を制覇しており、ケケ・ロズベルグ&ニコ・ロズベルグ親子とあわせて2例しかない、親子でのF1制覇という記録も保持しています。

1958年、29歳という遅めの年齢でF1へ参戦を開始したにもかかわらず、最終戦の1975年まで、なんと18年間も第一線で活躍し続けた驚異のドライバーであるグラハム・ヒルがインディを制したのは1966年。当時37歳と、これまた遅めの年齢でした。

長いF1現役生活の中で数々の大クラッシュに見舞われながらも復活してきた彼でしたが、 1975年11月29日、自身が操縦していた飛行機事故によってこの世を去ります。

享年46歳。「努力型」と言われ、常に向上することを辞めなかったドライバーの早すぎる最期でした。

 

関連:父と息子、2世代で戦うF1。年代の差から見えたマシンの変化と、親子の成績の差とは?

 

ジム・クラーク

Photo by jambox998

 

1965年 第49回大会優勝

1936年3月4日生まれ、スコットランド出身のレーシングドライバー、ジム・クラーク。

1960年にチーム・ロータスからF1に参戦開始したのを皮切りに、1968年まで圧倒的な速さを見せつけてF1を席巻した伝説のレーシングドライバーです。

彼の速さを象徴する出来事としては、ワールドチャンピオンを獲得した1963年シーズンは、全10戦中7回優勝。表彰台に乗らなかったのは開幕戦のみという、”無敵”ともとれる驚きの成績でシリーズを制しています。

さらに驚異的なのは、参戦を開始した1960年から、最終戦になる1968年まで表彰台に乗らなかった年は無いということ。優勝をしていない年も、デビューイヤーと2年目である1961年の2年間しかありません。

この結果は、どんな不調のマシンでも難なく乗りこなし、メカニックが「彼がテストするとセッティングにならない」とボヤいたほどの天才的ドライバーだったからこそ。

また、1965年にもF1ワールドチャンピオンを獲得。この年にインディ500を制しており、史上初のインディ500とF1タイトル制覇という偉業を達成しています。

 

 

まとめ

これまでF1で世界チャンピオンの座を獲得し、且つインディ500も制したドライバーは5人います。

最後に制したドライバーはジャック・ヴィルヌーブで、以来20年以上もインディとF1を制したドライバーは現れていません。

フォーミュラーカーの2つの頂を制する者は、今後現れるのでしょうか?

引き続き注目していきたいですね!

 

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