皆さんは『ホンダらしさ』ってどんな所に宿ると思いますか?スポーツカー?F1?タイプR?ミニバンやSUV?今ならN-BOX?人によってその解釈はさまざまだと思いますが、その中のひとつに『誰もやらないようなホンダ独自の技術でやってのける』が含まれることは間違いありません。商業的には決して成功したとは言えないホンダ初の本格小型乗用車、ホンダ1300も、そんな『ホンダらしさ』の塊のような車でした。

 

ホンダ 1300 77 / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

 

ホンダ 1300とは?

 

ホンダ 1300 99 / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

スポーツカーや商用車を除き、ホンダが日本で初めて発売した小型乗用車はN600E(1968年6月発売)でしたが、これは軽乗用車N360の排気量を拡大した輸出用モデルを日本でも販売したにすぎませんでした。

それ以前にも、ライトバンのL700をベースにした2ドアハードトップ、N800を開発して1965年の第12回東京モーターショーに出展しましたが、まだ時期尚早として販売にはいたっていません。

ホンダとしては、否、伝説の創業者・本田 宗一郎としては、初の本格小型乗用車により強い思いを込めようとしたのです。

「やるからには、先を行くトヨタ、日産の鼻をあかすクルマでなくてはならないんだ。」(本田 宗一郎)

-ホンダ公式HP・『語り継ぎたいこと Hondaのチャレンジングスピリット Honda1300発表 / 1968』より-

その『鼻をあかす手段』として宗一郎が絶対的課題として与えたのが、『独創的空冷エンジンで、高出力、高級セダン、FF車の開発』でした。

そして苦労の末に完成したホンダ 1300は1969年5月に発売。

当初は4ドアセダンのみの設定で、横置きされたエンジンは『DDAC』という特殊な強制空冷機構を持つ直列4気筒。

『77』シリーズにはシングルキャブレター仕様100馬力を、『99』シリーズには何と4連キャブレター115馬力仕様という、当時の1.3リッターエンジンとしてはとてつもないハイパワーエンジン(トヨタの3K-Bツインキャブで77馬力)が搭載され、それぞれ『77』は最高速度177km/h、『99』は199km/hの意味だろうと言われた程の俊足を誇ります。

 

技術的には称賛、販売面では苦戦した強制空冷

 

強制空冷『DDAC』 ホンダH1300Eエンジン / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

1968年10月、発売を前に正式発表されたホンダ 1300を見た国内外のメディアやライバル各社は一斉に唸りました。

「専門家が青くなるような、自動車メーカーの最終目標ともいうべき理想のエンジンだ」(西独AUTOKRITIK誌)

「Hondaは1300ccで100馬力出している。なんでうちにできない!」(当時のトヨタ自動車工業社長、豊田 英二)

-ホンダ公式HP・『語り継ぎたいこと Hondaのチャレンジングスピリット Honda1300発表 / 1968』より-

当初そこまで設計目標の高くなかったH1300Eエンジンですが、初代トヨタ マークIIが1,900ccの8R-Bエンジンで100馬力を発揮し、出力目標は95馬力に、そして発売された時には115馬力になっていました。

おかげで生産ラインが立ち上がってからも設計変更が続出。

しまいには1度車体をバラしてエンジンを降ろし、設計変更された部品を組んでまた組み立て直しという『逆走』すら行われ、販売を少々遅らせてでもいいものを作ろうという気合で製造されます。

その結果が発表会におけるライバルやメディアの唸り声でしたが、発売されたわずか2ヶ月後の1969年5月、技術研究所の研究員集会のテーマはこうでした。

『なぜ、H1300は売れないのか』

凝りすぎた強制空冷機構、ましてFF車なので極端なフロントヘビー、偏摩耗するタイヤ、細い低回転トルク、サスペンションの煮詰めやタイヤ選択の甘さで、極端なアンダーステアからいきなりタックインするリバースステアの多発と、一般受けしない操縦性。

快適性の面でも、空冷エンジンゆえに油臭くて効かないヒーターと、技術的な掛け声は大きかったものの、肝心の『ユーザーが求める車は何か』という視点の欠落は明らかで、ホンダの車作りを考え直させるよいキッカケという状態に。

そしてホンダ 1300自体も、実用トルクを引き上げるため販売から半年ほどで最高出力・最大トルクともピークを落として低回転寄りにデチューンし、サスペンションセッティングも見直されます。

さらに1970年2月、複数のパネルのハンダ付け接合を廃した『モヒカン構造』で継ぎ目の無い一体成形サイドパネルアウターを使用した1300クーペが発売され、77相当は『クーペ7』、99相当は『クーペ9』と名付けられました。

また、セダン77は廃止されて車名も単に『ホンダ 77』となり、クーペも『ホンダ クーペ』となって、従来のハイパワー仕様はクーペGTLのみとなります。

しかしホンダ 1300が初期に受けた酷評はついに覆らず、夢見た大ヒットは実現しませんでした。

ここでは詳細に書きませんが、ここで空冷に固執したことなどが、本田 宗一郎の現場引退の引き金となります。

 

末期に登場した水冷版ホンダ 145

 

ホンダ 145セダン / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

結局ホンダ 1300は1972年9月で生産を、同11月には販売も終了しますが、同時に水冷エンジン版ホンダ 145セダン / クーペが発売されました。

これは、同年7月に発売された初代シビック用の1,169ccエンジン(EBI)の排気量を1,433ccに拡大したEB5に換装、クーペFIには機械式インジェクション(燃料噴射装置)を搭載して90馬力 / 6,000rpmを発揮させたものです。

 

ホンダ 145クーペ / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

しかし、強制空冷のH1300Eより最高出力、最大トルクとも低回転から発揮する実用性の高いエンジンを搭載し、水冷なのでヒーターも効くようになって実用性ははるかに向上しましたが、デザインはホンダ 77 / クーペそのままだったので、ユーザーの関心は引けませんでした。

そして結局、他のホンダ車(軽トラのTNは除く)ともども、社運を賭けた『初代シビック大増産』のためにわずか2年足らずで生産終了となってしまします。

 

ホンダ 1300のモータースポーツ実績

 

1971年のバサースト1000kmで走るホンダ 1300 クーペ9 S /  出典:http://www.bmhcomic.com.au/honda/index.htm

 

ホンダ 1300 / 145そのものの国内メジャーレース実績は無く、そのエンジンを使ったレーシングカーR1300が活躍したのみでしたが、オーストラリアでは1971年のバサースト1000kmレースに出場しています。

結果は総合41位、Cクラス10位(Cクラス優勝はマツダRX-2、日本名カペラロータリー)と振るわなかったとはいえ、そうした勇姿が現在も海外のホンダ 1300ファンの目には焼き付いているようで、日本よりもむしろ海外に熱心なファンが多い車かもしれません。

 

主なスペックと中古車相場

 

ホンダ クーペGL / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

ホンダ H1300C クーペGTL 1972年式

全長×全幅×全高(mm):4,140×1,495×1,320

ホイールベース(mm):2,250

車両重量(kg):910

エンジン仕様・型式:H1300E 一体式二重空冷(DDAC)直列4気筒OHC8バルブ

総排気量(cc):1,298

最高出力:81kw(110ps)/7,300rpm(※グロス値)

最大トルク:113N・m(11.5kgm)/5,000rpm(※同上)

トランスミッション:4MT

駆動方式:FF

中古車相場:195万~275万円(1300シリーズのみ。145は市場流通皆無)

 

まとめ

 

ホンダ 1300 77 / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

登場時のインパクトはともかく、商業的にはとても成功したとは言い難いホンダ 1300ですが、その車作りの姿勢や、メーカーの理想とユーザーの希望をすり合わせることの重要さなど、この車からホンダが得られた教訓は非常に大きなものでした。

MM思想(マン・マキシマム / メカ・ミニマム)など、独自開発技術で驚くような車を作り出すホンダの力を、メーカーの技術力誇示ではなく、ユーザーを最優先にしてその希望を実現するために使うという姿勢は、その教訓から得られたと言って良いかもしれません。

その後もホンダは時に迷走する時期があったものの、基本的には『ユーザーのため』という原点に立ち返ってはヒット作を生み出してきました。

その意味では、ホンダファンにとってこの1300は、神棚に祀って拝んでも良いほどの車なのかもしれません。

 

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