1950年から数えて66年の歴史を持つF1では、これまで106人の優勝者が誕生しました。その中での最多優勝回数は、ミハエル・シューマッハの91回。それに対し、わずか1勝のみでF1でのキャリアを終えたドライバーも少なくありません。今回は、その一度の優勝でファンの心に刻まれる走りを披露してくれたドライバーたちを紹介します。

 

出典:https://www.facebook.com/Olivier.Panis.Officiel/

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アレッサンドロ・ナニーニ

 

©︎鈴鹿サーキット

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1989年の日本GPで優勝を飾ったナニーニは、F1ブーム真っただ中の日本で多くの人に記憶される走りを見せたドライバーの1人です。

彼のデビューは1986年。当時F1に参戦していたミナルディが2台体制となり、ベテランのアンドレア・デ・チェザリスのチームメイトとしてやってきました。

しかしデビュー当初はマシンの信頼性不足からリタイアを強いられることも多く、2年間で1ポイントも獲得できない結果に。

それでも、光る速さが評価されて1988年よりベネトンへ移籍。

第2戦サンマリノGPで6位初入賞を決めると、第8戦イギリスGPで初表彰台を獲得。

合計12ポイントで、ランキング12位に入る活躍を見せました。

そして、翌2シーズン目もサンマリノGP、イギリスGPで3位表彰台を獲得するなど上位争いの常連になりますが、優勝までは今一歩足りない状況となります。

そんな中、行われた日本GPでは思わぬ形で勝利を手にする事に!

公式予選で6番グリッドを獲得したナニーニはスタートから順調に順位を上げ、終盤には3番手に浮上します。

その後、アイルトン・セナとアラン・プロストがシケインで接触。

プロストはリタイアとなり、トップでチェッカーを受けたセナにはレース後に失格という裁定が下った事により、2位に入ったナニーニが繰り上がりでF1初優勝を達成したのです。

 

©︎鈴鹿サーキット

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そして1990年もベネトンから参戦し、3回の表彰台を獲得。

その活躍を見たフェラーリがナニ―二獲得に乗り出しますが、その矢先にまさかのヘリコプター事故が発生。

スペインGP終了後、別荘に向かう際に彼が乗っていたヘリコプターが着陸に失敗し墜落してしまったのです。

この事故で彼は右腕を切断するほどの重傷を負い、彼が再びF1で走る事はありませんでした。

しかし、手術によって腕を縫合することに成功した彼は、事故から3年後となる1993年にDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)でレースに復帰を果たしたのです。

その後DTMに3シーズンに渡って参戦し、シーズン終盤で優勝を飾ると以降はツーリングカーを中心に活躍。

1997年のFIA GT選手権の鈴鹿ラウンドでレースキャリア最後の優勝を飾り、F1で優勝を飾った場所での見事な復活を果たしました。

 

一度の優勝でも、ファンの心を鷲掴みにし、離さない名ドライバーたち。

次のページでは、アレジが、ヤルノが、ヘイキが、そんな懐かしいドライバー達が続々登場します!