海外のオートバイと聞くと「高価」「故障する」と思う方も多いのではないでしょうか。コストや性能を考えると日本製のオートバイが優位なのは理解できます。しかしそのオートバイにまつわる伝統や文化も魅力のひとつなのです。今回はネガティブなワードを封印して、魅力ある海外のオートバイを年代別に紹介したいと思います。
オートバイ創世記 そして戦争
18世紀の産業革命に生まれた蒸気機関、19世紀の第二次産業革命には内燃機関として進化し1883年にガソリンエンジンが誕生しました。
その後ゴットリープ・ダイムラーの手により誕生したオートバイは、20世紀になると開発が急速に加速しますが幾度となく訪れる戦争により「軍用」という不遇の時代を送ることになります。
そして1945年、第二次世界大戦が終結するとオートバイは人々の暮らしへと普及しました。
1950年代
戦後のオートバイを牽引 Triumph
数あるオートバイメーカーがひしめく時代に「高性能」を謳ったイギリスのトライアンフは、1951年からBSA(バーミンガム・スモール・アームズ)の傘下で活動します。
1954年に映画「乱暴者」でマーロン・ブランドが乗ったことでも有名なオートバイです。
その時のオートバイがサンダーバード6Tでした。
それまでの500ccエンジンから650ccまでボアアップされたバーチカルツインエンジンが搭載されています。
1955年にはそのエンジンをチューンアップして、アメリカボンネビル・ソルトフラッツにて最高時速310kmを記録、1959年にはその偉業を称えT120ボンネビルが発売されました。
ヨーロッパ勢を脅かしたビッグツイン Indian
ハーレーと並びアメリカを代表するオートバイであり、アメリカで初めてVツインエンジンを開発、搭載したメーカーでもあります。
1901年に創業されV型2気筒OHVサイドバルブエンジンを搭載し、アメリカだけでなく世界中で活躍。
1911年のマン島TTレースでは1,2,3フィニッシュを飾ります。
1920年代初頭まで「世界最速」の称号をほしいままにしますが徐々に業績が悪化、1950年には1300ccをリリースしますが業績が回復することはありませんでした。
そして1953年に生産を終え姿を消すことになってしまいます。
ポップで身近なイタリアン Vespa
イタリアのオートバイメーカーで現在7つのブランドを擁しているピアッジオ、そのブランドのひとつがベスパです。
イタリア語で「スズメバチ」を意味し、2ストロークエンジンの甲高い音がその名前の由来になっています。
モノコックボディや片持ちサスペンションなど当時の航空機技術が注がれ、戦後のイタリアで大衆車として普及、後にインド及び東南アジア各国でもライセンス生産され日本でも親しまれています。
映画「ローマの休日」に登場した事でも有名です。
1960年代
この時代もトップランナー Triumph
1963年、映画「大脱走」でスティーブ・マックイーンが、TR6トロフィーを駆って柵をジャンプするシーンは今でも映画史に残る名シーンです。
トライアンフは60年代も積極的にレースに参加し、その地位を不動のものとします。
1966年、ボンネビルソルトフラットにおいて395kmを記録。1967年にはマン島TTレース優勝し、そしてデイトナ200では前年に続き2年連続優勝を果たし、それを記念してT100 デイトナが発売されました。
マン島TTレース初代王者 Norton
カフェレーサーの代名詞といってもよいイギリスのオートバイで、先日亡くなった伝説のレ―サー、ジョン・サーティースが駆ったことでも有名です。
1962年に発売されたマンクス・ノートンは最高速度209kmを誇り、販売終了後もプライベーターからは「最高のベースマシン」と評されました。
1969年、「振動が大きい」という欠点を補うべくフレームを改良、新設計の「アイソラスティック・フレーム」にハイスペックなエンジンを搭載した「コマンド―」は人気を呼び、十数年にわたり累計 5 万台を売り上げることとなりました。
美しく大胆なLツイン Ducati
高い人気を誇る説明不要のイタリアンです。
1956年にはドゥカティの代名詞「デスモドロミック機構」を125ccのレーシングマシンに採用、そして1968年には市販車にも採用しました。
1960年代は市販車、日本でいう「中型オートバイ」クラスの生産に力を入れていましたが、その技術の蓄積は次第に他メーカーを凌駕していくことになりました。
1970年代
3,027の栄光 MV Agusta
1946年からレースにエントリーして、1976年の撤退まで通算3,027勝、そのうちWGPでは270勝をあげ、37回のワールドチャンピオンを獲得するという偉業をなしたイタリアのオートバイメーカーです。
ジョン・サーティース、マイク・ヘイルウッド、ジャコモ・アゴスチーニなど、歴史に名を残したレーサーたちが在籍していたことでも知られています。
アグスタのオートバイは市販車でもレーサーなみの高性能を誇るといわれ、マイク・ヘイルウッドが駆った500cc GPレーサーのエンジンをベースにした750 S Americaは現在でも名車として語り継がれています。
グレートUSA・アメリカの象徴 Harley-Davidson
オートバイに興味のない方でもハーレーの名前は知っているのではないでしょうか?
映画「イ-ジーライダー」の封切りにより日本にもハーレーブームが訪れます。
「ビッグツイン」と呼ばれる空冷V型エンジンの迫力あるサウンドは、ハーレーの代名詞ともいえます。
1977年に発売されたカフェレーサーモデルXLCRは現在でも根強い人気を誇り、またハーレーのなかでも群を抜いたロングセラーモデルになるダイナ系モデルFXS ローライダーもこの年に誕生しました。
縦に置かれたVツイン Moto Guzzi
1921年に設立されたイタリア最古のオートバイメーカーで、ピアッジオブランドの一つです。
V型エンジンを縦にレイアウトしたデザインは実に個性的で、アメリカカリフォルニア州の白バイにも採用されました。
またこのエンジンはフィアット500スポーツモデルに搭載する計画もありましたが実現には至りませんでした。
1973年に発売されたV7スポルトは一番成功したモデルと呼ばれ、750ccのエンジンを「トンティーフレーム」と呼ばれる独特のフレームで覆い剛性を高め、その技術は後のルマンシリーズに受け継がれていきます。
1980年代
時代到来 Ducati
1985年からドゥカティはカジバの傘下で活動します。
1972年のイモラ200マイルレースで1,2フィニッシュ、そして1978年のマン島TTレースで、マイク・ヘイルウッドが駆る900SSが、ホンダRCBを破り優勝を飾ります。
その優勝を記念して翌年の1979年にMHW(マイク・ヘイルウッド・レプリカ)が発売されました。
1988年から始まったSBK(スーパーバイク世界選手権)では、ドゥカティ初となる水冷エンジンを搭載した851で参戦し開幕戦を優勝。
その後もSBKで好成績をあげています。
追従を許さない最新技術 BMWMotorrad
四輪でも有名なドイツのメーカー、二輪部門は「BMWモトラッド」と呼びます。
技術力でいえば「最高レベル」のメーカーではないでしょうか。
既に戦前にはスーパーチャージャーやテレスコピックフォークなどの技術を導入、現在では当たり前のように見かけるフェアリングやABSもいち早く導入しました。
水平対向エンジンを搭載するRシリーズは、創業から現在まで人気を誇っています。
80年代には水冷4気筒を搭載したKシリーズ、そしてON/OFF両方を楽しめるGSシリーズをラインアップに追加しています。
BMWは戦後復興の時代に「大衆車ではなく、高級車の生産を」との方向性を定め、21世紀になった現在でもその技術は進化を続けています。
スポーティーなビッグツイン Buell
1986年にハーレーダビットソンのエンジニア、エリック・ビューエルが設立したメーカーで、ハーレー製のエンジンを搭載したロードスポーツモデルを次々に発売しました。
サスペンションやエンジンなどの重い部品を車体中心低部にレイアウト。
またキャスター角を立ててホイールベースをショート化することにより、優れた操縦性と軽快なハンドリングを実現しています。
エンジンマウントにラバーを採用することによりエンジンの振動を軽減、乗り心地の良いビッグツインとしてユーザーから高い評価を受けました。
しかし、1998年にはハーレーに買収され、2009年にはハーレーの業績低迷を受け、生産中止になっています。
1990年代
最後の2サイクルマシン Aprilia
ベスパ、モトグッツィと同様にピアッジオブランドのオートバイです。
当初モトクロスメーカーだったアプリリアですが、オフロード車の市場が縮小するに伴いオンロードに参入しました。
原田哲也、坂田和人をはじめ多くのレーサーが在籍。
そしてバレンティーノロッシがデビューを飾ったのもアプリリアでした。
1994年に発売されたRS250はスズキRGV-γのエンジンを70馬力にアップして搭載、レースでの活躍を追い風に世界中で人気を博しました。
しかし、スズキからのエンジンのデリバリーが終了した2003年に生産を終了。
RS250は世界で最後に生産された250cc2ストロークレプリカバイクとなりました。
道なき道を制覇 KTM
オーストリアのメーカーで、オフロードバイクとして有名なKTM。
モトクロスレースに力を注ぎ、1980年からはパリダカールラリーにも参戦します。
モトクロスでは輝かしい成績を残したKTMですが、パリダカールラリーでは長い間苦戦を強いられます。
といっても1996年には2位を獲得し、1998年には2位から12位までを独占という成績を残しているのですが、頂点を極めることはできませんでした。
しかし2001年、ついに念願の初優勝を果たします。
優勝をもたらしたバイクはLC4-660R。長年プライベーターを支えてきたLC4ベースのファクトリーマシンでした。
2003年にはロードレースに復活、2017年からはモトGPにも参加しています。
?クラッシュしても挑み続ける Bimota
三人の創設者の名字から名づけられたビモータは、1966年にイタリアで設立されたオートバイメーカーです。
創設者の一人マッシモ・タンブーニがレースでクラッシュしたことからビモータの歴史が始まりました。
本業であるパイプ加工技術を生かしてオリジナルフレームを作成、そのフレームにホンダのエンジンを搭載したビモータの最初のオートバイがHB1です。
その後、HB1は評判を呼び、各メーカーがレースにおいてビモータ製のフレームを採用。
1970年代から1980年代にかけてレースで活躍し、ビモータの高い技術力を証明することとなります。
パワーユニットは他メーカーのエンジンを使用していましたが、1997年には完全自社製の500 V-dueを発売しました。
そんなV型500cc2ストロークエンジンを搭載したV-dueは発売前から高い評判を得ていました。
しかし発売後に欠陥が見つかりリコール。これをきっかけにビモータは多大な負債を抱え、2000年には倒産してしまいます。
しかし2003年、イタリアの資産家ロベルト・コミーニによりビモータは復活。
大量生産を目指さず「少数生産で高品質」という本来のビモータの方針に戻り、新しい経営陣のもとで、戻ってきたスタッフたちの手により現在も活躍を続けています。
まとめ
20世紀は海外のオートバイにとって栄枯盛衰の歴史ではなかったのではないでしょうか。姿を消したブランドもありますが21世紀に蘇ったブランドも多数存在します。
性能においては日本製のオートバイにその座を譲った形に思えますが、その優雅な佇まい、人々の心を惹きつける魅力は未だ失われていません。
よく誤解されますが、海外のオートバイはノスタルジックな骨董品ではありません。
現在も進化を繰り返しているのです。
当時のエンジニアやライダー達がエキサイトしたように、私たちも海外のオートバイにエキサイトしてみませんか。
あわせて読みたい
マン島TTで大活躍の電動バイク“神電”を大解剖!その中身は?
原チャリで名車を完全再現!ミニバイクで作られたレプリカ傑作選!
バイクの祭典!?日本最大の草レース!テイストオブツクバを知っていますか?
[amazonjs asin=”B01127YW1M” locale=”JP” title=”バイク用bluetooth Bluetoothインターコム 800m通話可能 無線ブルートゥースインターコム インター中に電話を応答可能 FMラジオ機能付き GPS音声案内を聞く可能 オートバイや自転車や登山など適用。日本語説明書 (一台組)”]
Motorzではメールマガジンを始めました!
編集部の裏話が聞けたり、月に一度は抽選でプレゼントがもらえるかも!?
気になった方は、Motorz記事「メールマガジン「MotorzNews」はじめました。」をお読みいただくか、以下のフォームからご登録をお願いします!