ホンダは1980年代中盤からワークスレーサーマシンRVF750を投入し、鈴鹿8耐、全日本ロードレース選手権、FIM世界耐久選手権などで多くのタイトルを獲得。そして、RVF750の公道仕様とされるVFR750Rを発売すると、公道でも乗れるワークスレーサーとして注文が殺到しました。生産終了から約30年が経過した今では中古車市場で高額取引されており、相場価格が約300万円にまで膨れ上がっています。そこまでVFR750Rが人気となった魅力とは、いったいどんなものでしょうか。

 

ホンダ VFR750R (RC30)

© Honda Motor Co., Ltd.

 

 

ワークスマシンRVF750の公道仕様!ホンダVFR750R(RC30)とは

 

ホンダ VFR750R (RC30)

© Honda Motor Co., Ltd.

 

ホンダVFR750R(RC30)は1987年8月31日に発売されたスポーツバイクで、ホンダのワークスマシンだったRVF750の技術をもとに開発され、従来のホンダVFシリーズよりも軽量コンパクトでRVF750に保安部品を取り付けて公道走行を可能にしたようなバイクでした。

ホンダ独自のアルミ・ツインチューブ・バックボーンフレームを採用し、カウルは軽量な繊維強化プラスチック(FRP)製、チタン製エンジンコンロッド、片持ち式スイングアームなど高価なパーツが至るところに搭載され、まさに公道を走るワークスマシンと言える1台だったのです。

レーシングテクノロジーを惜しげもなく注入!採算度外視で作られたホンダVFR750R

 

ホンダ VFR750R (RC30)

© Honda Motor Co., Ltd.

 

1980年代中盤、ホンダはワークスマシン『RVF750』を投入します。

1985・1986年鈴鹿8時間耐久レースを2年連続で制覇し、1989~1992年の3年連続でタイトルを獲得。

それだけではなく、全日本ロードレース選手権では1988~1991年の3年間TT-F1クラスのシリーズタイトルを手にしています。

さらに、FIM世界耐久選手権では1984~1986年と1989・1990年の5シーズンでタイトルを獲得し、4ストローク最強のレーシングバイクと称される事も!

しかし、ホンダが作り出したワークスマシンだけに、プライべーターに供給されることは稀。

RVF750で培ったV4エンジンの技術はVF750やVF1000Rといったスポーツバイクにフィードバックされて注目を浴びますが、発売から4年目頃から販売台数が減っていきます。

やはり、ユーザーとしてはRVF750を彷彿させるエキサイティングなバイクを求めており、ヨーロッパの営業部門からは「RVFのイメージにダイレクトにつながるレーサーレプリカが欲しい。」との意見も!!

そこで、ホンダはRVF750をそのまま公道走行可能としたバイクの開発に取り組む事になったのです。

 

開発コンセプトは”走るための機能にレーシングテクノロジーを採用”

VFR750Rの開発コンセプトは、”走るための機能にレーシングテクノロジーを採用”でした。

開発メンバーは根っからのレース好きだった若手エンジニアに限定し、開発途中で役員から口出しされて細部を変更されないように、開発室に特別な小部屋を用意。

上司からの開発指示は、VFRにRVFの外装を被せて、89万円で売り出すことでした。

しかし、開発陣はコストをあまり意識せず、サーキットでノーマルのVFR750RがワークスのRVF750に割って入るほど速いマシンを目指す事に。

そして開発チームはHRCからRVF750を1台手配して、徹底的に解析しました。

それを参考にVFR750Rを本格的な純レーサーバイクのように設計していったのです。

エンジンヘッドはストレート吸気ポートとDOHCのバルブをカムギアトレーンで駆動させます。

ボア×ストロークは70.0mm×48.6mmのビッグボア&ショートストロークに設定し、圧縮比を11.0:1の高圧縮にして高回転型のハイパワーエンジンを実現したのです!

エンジンコンロッドにはチタンを採用して従来のVFR750Fより50gの軽量化を可能にします。

さらにエンジン冷却効果を高めるために上下二連式の大容量ラジエーターを搭載し、打倒RVF750を意識した純レーサー仕様のエンジンと呼べる作りでした。

しかし、ここまで技術と高価なパーツを採用すれば、到底89万円の販売価格に収めることは不可能で、開発チームは128万円を提示し、良いバイクであれば絶対に売れると主張するも営業部には全く受け入れなかったそうです。

社長からの鶴の一声で発売決定

VFR750Rの車体設計を担当していた本多和朗氏は、当時の本田技術研究所社長でのちに本田技研工業の4代目社長となる川本信彦氏へVFR750Rの発売を直訴しました。

すると川本氏から「それていいよ。」と許可を得ることができたのです。

そして最終的には、販売価格148万円で国内限定1,000台の完全受注生産をすることが決定。

この発売決定を発表すると大きな反響を呼んで1,000台をはるかに超える予約が殺到し、抽選で購入者を決める事態に。

また、北米と欧州からも多くの注文があり、全世界で4,885台が販売されました。

 

ワークスRVFに並ぶモータースポーツでも活躍!ホンダVFR750Rのレース戦歴

 

ジョイ・ダンロップ

1992年マン島TTに参戦する ジョイ・ダンロップ / 出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%97

 

ホンダはRVF750でさまざまなタイトルを獲得していきましたが、市販化されていなかったため市販車ベースのレースには出場できませんでした。

しかし、VFR750Rが発売された事により、1988年に開催された市販車バイク最高峰スプリントレースであるスーパーバイク世界選手権(SBK)の開幕初年度である1988年と1989年にフレッド・マーケル(Fred Merkel)がタイトルを獲得。

マカオGPでは1989年にロバート・ダンロップ(Robert Dunlop)、1990年にスティーブ・ヒスロップ(Steve Hislop)が優勝。

ジョイ・ダンロップ(Joey Dunlop)やフィリップ・マカレン(Phillip McCallen)といったマン島TTレースのレジェンドライダーも、VFR750Rに乗り換えてから勝利を重ね、サーキットや公道問わずVFR750Rも多くのレースで勝利を重ねていきました。

 

ホンダVFR750Rのスペック

 

ホンダ VFR750R (RC30)

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Honda_VFR750R

 

1987年ホンダVFR750R(RC30)
全長×全幅×全高(mm) 2,045×700×1,100
軸距(mm) 1,410
シート高(mm) 785
乾燥重量(kg) 180
エンジン種類 水冷4サイクルV型4気筒DOHC16バルブカムギアトレーン
排気量(cc) 748
ボア×ストローク(mm) 70.0×48.6
圧縮比 11.0
最高出力(kW[PS]/rpm) 56.6[77]/9,500
※海外仕様:83.5[112]/11,500
最大トルク(N・m[bhp]/rpm) 69.6[7.1]/7,000
※海外仕様:71.7[7.3]/10,500
トランスミッション 6速
タイヤ 前:120/70-17-58H
後:170/60R18-73H
価格 1,480,000円

 

まとめ

 

ホンダ VFR750R (RC30)

Photo by Klaus Nahr

 

世界中のレースで活躍し、公道レーサーバイクとして多くのユーザーに愛されてきたVFR750Rは、世界中で4,885台が販売されましたが、現在残っている個体数は少なく、これまでVFR750Rが残してきたレース戦歴からすれば希少価値で高額になったのも納得です。

伝説を残してきたホンダの大傑作VFR750Rは、中古車販売価格相場が約300万円となった今でも欲しくなってしまう魅力的な1台ではないでしょうか。

 

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