1976年、当時の4輪レース最高峰だった世界メーカー選手権は、横から光を当てたときに「市販車のシルエットを損なっていない」というユニークなレギュレーションを盛り込んだ通称”シルエット・フォーミュラ”により争われる事になります。市販車の面影をわずかに残しながら、フォーミュラ・カーのように過激なその走り。日本でもやがて一大ブームを巻き起こしたこのFIA・グループ5マシン達のかつての勇姿を振り返ってみましょう。
シルエット・フォーミュラの時代はなぜやって来たのか?
グループ5・前史
1970年代前半、プロトタイプとしか呼べない様なあのポルシェ917が席巻したグループ5は、実は市販のスポーツカーをベースとしたカテゴリーです。
しかし、レースに勝つ為にメーカーがルールの裏を突くのは古今東西の常識。
ポルシェは「最低生産台数25台」のスポーツカーという規定をクリアする為に、ポルシェ917を25台生産。
多大なコストをかけて力技でサーキットに持ち込んだのです。
他メーカーもこれに追随する形でグループ5に参入、大パワーのこれらのマシンはスティーブ・マックイーンが映画にするほどの人気となり成功を収めるものの、相反する形でスピードは増し安全性は低下、開発コストもかさむ一方となります。
市販車ベースのトップカテゴリー成立へ
結局FIAは1972年限りでグループ5の規制を強化し、これらのマシンを駆逐します。
その後の3年間、グループ6(オープンプロトタイプ)でメーカー選手権は争われますが、失礼ながら見た目に地味なこれらのマシン…メーカーからの興味も、ファンからの関心も薄いものでした。
そこで、市販車ベースのGTマシン、911RSRによりルマンやタルガ・フローリオで格上のプロトタイプカーを「食いまくっていた」ポルシェが旗振り役となり、FIAに「生産台数400台以上の市販車」をベースとしたトップカテゴリーの成立を働きかけるのです。
主催者FIAも、メーカーは「市販車に近い姿をしたマシン」がレースで勝つことでマーケティング上意味があると考えており、結局のところ多くのファンの心を掴むのも同様なクルマだと理解していました。
しかし実のところ、ポルシェ911より優れた「生産台数400台以上」のベースマシンは存在せず…これこそがポルシェの狙いだったと言えます。
1976年、世界メーカー選手権は”光学的なシルエット”を市販車から流用すること以外は殆どの改造が許される、「シルエット・フォーミュラ」を事実上のトップカテゴリーとした新体制となり、ここに現代のGTマシンにも通じるその歴史が始まることになります。
シルエット・フォーミュラの歴史について、簡単に予習が完了したところで、次のページからはマシンたちが登場します。
フラットノーズの935、BMWM1、シュニッツァーセリカなどなど、伝説的なマシンが一挙登場します!