ポルシェの前に敵なし…911ベースのシルエットフォーミュラたち

ポルシェ 935/76, 935/77

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規定に則り911RSR ターボのモノコック前部をアルミフレームに改装。

2856ccの水平対向6気筒SOHCエンジンにシングルターボを搭載し、ブースト1.4で590馬力、車重はわずかに970キロのモンスターマシンが完成します。

そのポルシェ935は、初年から7戦中4勝をさらいライバルBMWを圧倒、大会初年のシリーズ・チャンピオンを獲得します。

翌年は更に進化を果たした935/77を投入し、BMWらの戦意を喪失させるほどの進化と強さを見せつけ、チャンピオンシップを再び制圧。

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ちなみに…ポルシェを避ける様に2000cc以下のドイツ国内選手権(DRM) に軸足を移したBMWやフォード勢を、1425ccのNAエンジンに換装した935/77でわざわざ狩りに行き圧勝してみせる…という念の入り様まで見せ、917の時代に続き再び, 世界選手権にポルシェの天下を築いたのでした。

 

ポルシェ 935/78”Moby Dick”

選手権ではもはやワークスが全力を発揮するまでもなくチーム・ヨーストやクレマーなどのプライベーターが935以外のマシンを圧倒。

そんな中ポルシェワークスの関心は、935によるル・マン24時間レースの表彰台でした。

76年には935で総合4位、77年はプロトタイプカー936で総合優勝を獲得していたものの、今度はGTマシン935での総合優勝を視野に入れた、大胆なアップデートを実施したのです。

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前後のオーバーハングが延長され、風洞実験により生まれたまるでクジラのようなルックスから”モビー・ディック”の愛称で呼ばれるこのマシン。

水冷3.2リッター水冷DOHCヘッドを採用したフラット6は更にパワーアップし760馬力に到達。

結局トラブルでル・マン制覇は果たせなかったものの、前年型の935/77より13秒も速くサルテ・サーキットをラップした恐るべきマシンでした。

 

ポルシェ 935 K3

1962年、ドイツのケルンでその歴史をスタートさせたクレマー・レーシングは、ポルシェの名チューナーとしてもとより名を馳せる存在でした。

世界選手権にも早くからカスタマー仕様の935を購入し、独自の開発を行いながら参戦。

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そして1979年、ポルシェワークスすら果たせなかったルマン24時間レース総合優勝をさらったマシンがこのクレマーポルシェ935 K3です。

ベースこそ935/76であるものの、エンジンはターボラグを嫌いツイン・ターボ化。その出力はなんと805馬力に達していました。

しかしその独自性の最たるは、当時FRPの10倍コストといわれた最新素材カーボン・コンポジットをボディシェルに採用した点でしょう。

クレマーはこの935K3で出場したドイツ国内選手権・DRMでも驚異の12戦11勝を勝ち取り、ある意味ワークス以上の存在感を放つ存在となったのです。

ちなみにル・マンでの優勝は、ポルシェ・ワークスの936が2台共にリタイヤになったとはいえ、その他の格上プロトタイプ勢をすべて駆逐しての信じられない快挙でした。

 

打倒・王者ポルシェ。各メーカーのシルエット・フォーミュラたち

BMW 3.2CSL/3.2CSL TURBO

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1976年、明らかに強敵であったポルシェ935を迎え撃つべく世界選手権にBMWが投入したマシンです。

この当時のBMWは、兎角”ツーリングカーでGTカー・ポルシェに勝つ”ことに拘っていた時期であったと言えます。

Gr.5による大会初年は意地のシリーズ3勝を挙げるも、 いずれも935がリタイヤしたレースであった上、大本命であった700馬力超のターボ仕様はトラブルで完走もままならず、堅実なNA仕様がトップチェッカーを受けたのでした。

この年の惜敗から、BMWは禁断のシルエット・フォーミュラ専用ホモロゲーション・マシン、M1の開発に着手します。

 

BMW M1

世界選手権での惨敗を受け、BMWは製造をランボルギーニ、エンジンは無論BMW、車体設計を後にシャシー・コンストラクターとして名を馳せるジャンパオロ・ダラーラに依頼し、ポルシェに対抗しうる最強のミッドシップGTマシンの開発に着手します。

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これはまさに夢のコラボレーションと言えますが、多くの組織が開発に絡んだことがむしろ仇となり、生産そのものがずれ込んだ上、ベースマシンの最低生産台数400台をクリアする頃にはポルシェ935が選手権を完全掌握。

ポルシェワンメイク状態となったグループ5による世界選手権はもはや終焉を迎えようとしていたのでした。

戦いの場をもはや失ったものの、素性の良さからベースマシンとして国内外のレースで多くの戦果を挙げ、F1の前座で開催された現役F1パイロットによるワンメイクレース「プロカー・レース」は人気を博しました。

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結局シルエットフォーミュラ仕様はプライベーターによる国内選手権向けの「自称グループ5」仕様しかみることは出来ませんでしたが、ジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタル・デザインがデザインしたマシンであることからも、スポーツカーの歴史としても全く無視できない存在といえます。

 

トヨタ ”シュニッツァー”セリカLBターボ

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ポルシェ935に同じく、世代であれば模型屋さんで目にした人は多いであろうこのマシン。

1977年、日本車で唯一ドイツ国内選手権・DRMに挑んだマシンです。

後にBMWのチューナーとして大成功を収める事になるシュニッツァーが独自に開発したマシンは、直列4気筒2090ccターボエンジン搭載で560馬力を発生。

しかし大胆な設計変更が災いし信頼性に欠けるマシンで、時折見せる速さは935に迫るものの、結局ノンタイトル戦での1勝が最高位となります。

その後1978年も目立った成績は残せぬままプロジェクトは頓挫。

資産の償却で処分されそうだったところをTOM’Sの館信秀氏が目をつけ、格安で車体を日本に輸入したのです。

その上で信頼性の原因となっていたミッション周りを独自に改良することにより、富士GCの前座「スーパーシルエット」に参戦。

BMW M1、トミカ・スカイラン、ニチラ・シルビアと白熱のバトルを展開し、日本に空前のシルエットカー・ブームを巻き起こしました。

その後のTOM’Sのレース活動に、このシュニッツァー・セリカから得たノウハウが大きな役割を果たしたと言われています。

 

ザクスピード フォード カプリターボ

出典:http://www.ultimatecarpage.com/img/Ford-Zakspeed-Capri-41625.html

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1978年にドイツ国内選手権DRMにデビュー、後にはF1コンストラクターとして知られる事になるザクスピードが開発したマシンです。

スポーツカーという意味では相当マイルドなノーマル・カプリの面影はどこへ…戦闘的なモンスターとして生まれ変わっています。

パフォーマンス的にもかなり強烈で、1427ccターボ搭載で380馬力を発生。935より格下の2Lクラスでは最強の1台でした。

このマシンで、ザクスピードは1981年のDRM総合シリーズチャンピオンを獲得しています。

ちなみに当時のDRMはディビジョン1と2に分かれており、スーパーGTよろしくクラスごとに順位が付きポイントが当てられます。

しかしチャンピオンを決する最終的なランキングは両者共通となり「総合得点」で決められる・・というユニークなルールをとっていたのです。

そんなルール上の工夫と、ドイツ国内のハイレベルなチューナー同士の戦いが人気を博し、DRMは本家である世界選手権を凌ぐ人気を国内外で得たのでした。

 

ランチア ベータ モンテカルロ

出典:http://tech-racingcars.wikidot.com/lancia-beta-monte-carlo

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1979年、世界メーカー選手権にランチア・ワークスチームはベータ・シリーズの中でもMRレイアウトを持つモンテカルロをベースにしたシルエットを投入。

直列4気筒1425ccターボユニットは420馬力を発揮し、デビュー初年で早くも2Lクラスチャンピオンを獲得します。

翌年1980年にはなんとクラス全戦全勝に加え、格上のポルシェ935を破り3度も総合優勝を果たし大成功を収めます。

1981年を以ってGr.5による世界選手権は終焉を迎えるものの、このマシンの成功とノウハウが伝説のグループBラリーカーであるランチア・ラリー037に引き継がれています。

 

まとめ

結局のところ、ポルシェが強すぎた事により参入メーカーが立ち入れなくなり、終焉を迎えてしまったグループ5・シルエットフォーミュラによる世界選手権。

反面、グループ5導入後のドイツ国内選手権はチューナーが火花を散らす非常に熱いレースとして、国外にも広く知られるきっかけとなりました。

選手権はその後、チューナー同士の戦いにワークスが大々的に入り込み、あのドイツツーリングカー選手権・DTMへと発展することとなります。

また、グループ5での反省をもとに、プロトタイプマシンに燃料消費制限だけを設け、他メーカーの参入を促したグループC・世界耐久選手権(WEC)は、国際的にも成功し自動車の技術革新にも大きく貢献。

出典:http://www.ausmotive.com/2009/11/20/group-cex.html

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Gr.5選手権でめざましい成果を上げる事は出来なかったBMWも、小排気量ターボユニット開発で培った技術を生かし、1983年にブラバムをF1王者に導く1.5Lターボエンジン”M12/13″で後に大成功を収めるのです。

これはF1史上初のターボ・エンジンによるシリーズチャンピオンでした。

出典:http://www.ultimatecarpage.com/car/71/Brabham-BT52-BMW.html

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現代のGTマシンすべての祖先、シルエット・フォーミュラ。

それにとどまらず、その進化の過程で養われたDNAは次の世代にバトンを渡し、今も尚生き続けているといえるでしょう。

 

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