現役F1ドライバーの中でも異彩な存在感を放つキミ・ライコネン。仮ライセンスでのデビューからF1王者へ上り詰めるという特殊なキャリアを持ち、クールな振る舞いと冷静な走りで「アイスマン」のニックネームで親しまれています。時に豪快にハメを外すプライベートも彼の魅力として絶大な人気を誇っています!
今回はそんな”アイスマン”キミ・ライコネンをご紹介します!
キミ・ライコネン:プロフィール
名前:キミ・ライコネン(Kimi Raikkonen)
生年月日:1979年10月17日
出身地:フィンランド
カーナンバー:7
雪国フィンランドの出身で無口でクールな振る舞いな性格から、「アイスマン」の愛称で親しまれるキミ・ライコネン。
品行方正が求められる現代のドライバーの中で異彩な存在感を放っており、見た目とはかけ離れた破天荒なプライベートなどのギャップから抜群の人気を誇っています。
無類の酒好きで数々の失敗談?を残し、現役アスリートにも関わらずタバコを吸うなど、豪快なプライベートはニュースに取り上げられることもありますが、人前に出ることは大嫌い。
ですがレースをこよなく愛しているからこそ走り続ける、2007年F1王者ライコネンをご紹介します。
前代未聞!仮ライセンスでのF1デビュー
ライコネンのキャリアは常に話題を欠かないことで知られていますが、彼のF1デビューも前代未聞の出来事でした。
F1チームのオーナーであるペーター・ザウバーは若き日のライコネンの走りを目にし、F3の経験もない弱冠20歳の若者をデビューさせようと決意します。
ですが経験不足と未知数な実力を危険視した関係者やメディアからは批判が集中。
ライセンスを出すべきか議論がなされ、FIA(国際自動車連盟)の結論は4戦限定という仮のスーパーライセンスを発行するというもの。その成績次第ではライセンスは取り消される可能性もありました。
そして迎えたデビュー戦となるオーストラリアGPでいきなり6位入賞。
すると批判はすぐさま賞賛に変わり、後に正式なスーパーライセンスが渡されるという異例のデビューでF1キャリアをスタートさせました。
マクラーレンで見せた王者の片鱗
ザウバーで1年を過ごした後、ライコネンは一気にスターへの階段を駆け上っていきます。
その才能に目を付けたのが名門マクラーレン。同じフィンランドの大先輩にあたるミカ・ハッキネンの推薦もあり、早くも勝てるマシンを手にすることとなります。
移籍初戦でいきなり3位表彰台を獲得し、移籍初年度で早くも信頼を勝ち取ることに成功すると、移籍2年目となる2003年、その才能は開花し、待望の瞬間が訪れます。
第2戦マレーシアGPで初優勝を飾り、これを皮切りにシーズンで計10回も表彰台に登る大活躍。
皇帝と呼ばれ圧倒的な強さを誇っていたミハエル・シューマッハに挑み、王座を巡って堂々の戦いを見せましたが、最終的に僅か2ポイント差で敗れ、初の年間王座を逃すことに。
しかしこの飛躍が未来のF1王者としての評価を揺るぎないものにしたことは間違いありません。
翌年はこの活躍から開幕前に有力なチャンピオン候補として挙げられましたが、マシンの戦闘力不足もありランキングは8位止まりとなりました。
再び勝てるマシンを手にした2005年。再び王座を巡って激戦を繰り広げることとなります。
今度の相手はシューマッハではなく、同じく未来のチャンピオン候補と称されるフェルナンド・アロンソ。
シーズン序盤に連勝を飾り勢いに乗るアロンソに対し、ライコネンは中盤から怒涛の追い上げを見せタイトル争いは白熱。皇帝シューマッハを凌ぐ若き2人のタイトル争いは世代交代と称されました。
ライコネンは勝ち星を積み重ね、シーズン7勝という素晴らしい成績を残しましたが、王座はアロンソのものとなってしまいます。
勝負を分けたのはドライバーの腕ではなく、マシンの信頼性。リタイアで多くの入賞を逃したことが大きな敗因となりました。
その翌年マクラーレンは速さをも失いなんとシーズンを通して未勝利。2006年限りでマクラーレンを離れ、シューマッハの後任としてフェラーリへの移籍を決意します。
フェラーリ移籍と悲願の初戴冠
シューマッハの後継者として重圧を一身に背負ったライコネンは、フェラーリでの初陣となる2007年の開幕戦オーストラリアGPで圧勝し、この年のチャンピオン候補筆頭に挙げられますが、その後は古巣マクラーレンを相手に苦戦を強いられてしまいます。
シーズン中盤に風洞が壊れたフェラーリは、タイトルを争うマクラーレンにマシン開発で大きく遅れを取り、これがドライバーの成績に大きな影響を与えてしまいました。
また当時ルーキーであるルイス・ハミルトンが予想外の大活躍で選手権をリードし、ライコネンは一時27ポイント差(当時のポイントシステムでは1位が10点)という大差で劣勢を強いられます。
ですがマシン開発がペースを取り戻すと、シーズン終盤に驚異の猛追でタイトル争いに踏みとどまり、最終戦ブラジルGPに臨みます。
後がないライコネンは自身が優勝しても、アロンソとハミルトンの結果次第では王座を逃すという厳しい状況でしたが、あきらめない姿勢を見せこのレースを制し、残る2人の結果を待ちます。
すると願いは通じアロンソが3位、ハミルトンは7位に沈み、チャンピオン獲得条件を満たし、僅か1ポイント差の歴史的大逆転で初王座に輝きます。
30歳の若さでF1引退へ
タイトルを獲得しさらなる飛躍が期待されたライコネンですが、翌年はチームメイトのフェリペ・マッサに対し遅れを取り、わずか2勝止まり。2009年も1勝に留まり、期待された2度目の王座は遠いものとなってしまいます。
するとフェラーリは2010年よりフェルナンド・アロンソを起用する意向を示し、押し出される形となったライコネンはその去就に注目が集まることとなります。
そこで彼が下した決断は他チームへの移籍ではなく、突然のWRCへの転向を発表し周囲を驚かせました。
兼ねてよりWRCに興味を持っていた彼はF1の合間を縫ってラリーに出場していた経緯もあり、ついに本格的な参戦を決意。
WRCで最初のシーズンを終えた際にはレッドブルからF1復帰の話もあったのですが、ただやりたいことをやるという自らのスタンスを貫き、参戦2年目には自らのチームを立ち上げ、戦いの舞台をラリーに絞ると思われていました。
衝撃的なWRC移行。その後F1に復帰するには、いったい何があったのか。
次のページでは、2年のブランクを相手に戦うライコネンを、近年まで一気に振り返ります。