一時は生産も中止となりそのまま絶版車となるかとも思われたフェアレディZ、しかしユーザーの熱意と2人の男の邂逅により生まれたZ33は一体どのような経緯をたどって復活したのか?そしてZ33とはどんな車だったのか?

Photo by Arturo Hurtado

 

北米での販売中止。そして…

 

出典:http://www.nissan-global.com/EN/HERITAGE/fairlady_z_300zx.html

 

1996年、日産はZ32型300ZXの北米での販売中止を決定しました。

販売中止の理由は販売台数の低迷。

この頃アメリカではスポーツカーへの保険料の高騰と、更にS30Z販売開始当時は固定レート(1ドル=360円)で、販売価格も日本国内とあまり変わりませんでした。

しかし、円とドルが変動相場制に移行するきっかけとなった1971年のニクソンショック以降は円が高騰し始め、「円高容認」を認めた1985年のプラザ合意以降はさらに円高が加速します。

それに伴い販売価格の上昇に比例して高級化とハイパフォーマンス化を推進した結果、S30Zが築いた「安価なハイパフォーマンスカー」というイメージから乖離し「ポルシェと並ぶ高級スポーツカー」と化していった事が一因となったのです。

日本国内では、なんとか販売は続けられていたものの1998年にマイナーチェンジを行い、外装や装備の手直しをしたきり日産の業績不振もあり、放置に近い状態のまま2000年には生産と販売が終了。

Zは絶版となってしまいました。

しかし、Zの継続を願う人々の動きは北米から始まったのです。

 

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Concept_z_001.jpg

 

1999年の北米国際オートショーに北米日産が製作した「240Zコンセプト」を出展。

これは北米日産が単独で製作したコンセプトカーで、日本の日産本体には全く関係のない車であったにも関わらず、反響が大きく結果的に日産を動かす要因の一つとなりました。

そして1999年に日産がルノー傘下に入ると、ルノーから送り込まれた新社長カルロス・ゴーン氏がZ復活を公言し、開発が再開される事となったのですが、そのZの開発再開前にある男との会談が設けられたのです。

その男の名は片山豊氏。

北米日産の初代社長であり、60年代のアメリカでダットサンブランドの知名度を上げ、日産車の売り上げ増に貢献し、Zの生みの親ともいわれる人でした。

そもそもZは「アメリカ市場に向けてジャガーEタイプやポルシェ911のようにスタイリッシュで、尚且つ安価で丈夫な70年代に向けた近代的スポーツカーを出してほしい」という片山氏の働きかけにより誕生した車だったのです。

普通ならこれだけの功績を残した人が役員や社長にならないことはあり得ないのですが、一人の役員の私怨により追放に近い扱いで日産を追われ、後に社長になったその男に「居なかった事」にされてしまったのでした。

しかし北米では伝説的な人物として扱われ、主にエンジニアが受賞している米国自動車殿堂にも販売会社の社長という異例の立場で受賞・殿堂入りし、北米のZファンからは「Mr.K」「Father of Z-car(Z-carの父)」と呼ばれ親しまれているのです。

北米から寄せられる「Z復活の想いを届けて欲しい」という声に片山氏が応え、カルロス・ゴーン氏との会談が設けられました。

そこで、ゴーン氏に「かつてのS30のようなZを造ってほしい」と伝えた所「勿論です、日産が復活するためにはZの復活は必要不可欠です」と回答を得たのです。

実はゴーン氏も、かつてタイヤメーカーのミシュランに在籍し北米に滞在していた頃にフェアレディZに乗っており、人気や知名度を肌で実感していたので「Z抜きには日産復活はあり得ない」と考えていたのでした。

こうしてZの復活への道筋は開かれ開発が再開。2002年には華麗なる復活を遂げたのです。

 

復活を遂げたフェアレディZ、その実態とは

 

出典:https://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=284

 

Z33型と形式命名されたフェアレディZは原点に立ち返り、Z32型での専用シャーシに専用エンジンの組み合わせを止め、基幹エンジンであるV型6気筒のVQエンジンシリーズの中からVQ35DEを選択。

シャーシはV35型スカイラインで開発されていたFR-Lと呼ばれるプラットフォームを採用しショートホイルベース化。

足回りもV35型スカイラインと共通化し、事実上スカイラインとZは兄弟車となったのです。

それは従来用意していた4シーターモデルは廃止し、そのポジションを北米に輸出する予定であったV35型スカイライン・クーペ(輸出名インフィニティ・G35クーペ)に任せたことにも表れており、その結果、開発にかかるコストや販売価格を抑えることに成功。

日本での販売価格は一番ベーシックなグレードで300万円、最高グレードのバージョンSTで370万円となりました。

これは、Z32の最終型でノンターボの2シーターのバージョンSの307万円、2by2のTバールーフ・ツインターボが482万円であったことを考えると大幅な値下げとなり、名実ともに「安くて速いZ」が復活したのです。

そしてTバールーフを廃止した代わりに、ソフトトップ仕様のロードスターを2003年に設定し好評を得たのでした。

 

出典:https://en.wheelsage.org/nissan/fairlady/z33/12291/pictures/290343/

 

進化するZ

 

「Zは毎年進化する」

Z33の発表時に宣言した通り日産は年次改良を施していきます。

デビュー翌年には先にも述べたオープンボディのロードスターを追加し、2004年にはロングノーズ化及びロングテール化した全日本GT選手権用のホモロゲモデル「タイプE」を期間限定販売し、同じエアロパーツを使用しエンジン出力を300psに向上させた「S-tune GT」をニスモからコンプリートカーとして発売。

 

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Z33_S-tune_GT_NF2006_01.JPG

 

更に2005年には280psから294psへとパワーアップを果たし、2007年にはVQ35DEのヘッド周りの設計を一新、313psへと出力が上がったVQ35HRに変更します。

そしてVQ35HRが従来のVQ35DEよりエンジンの高さが上がったことにより、そのままではボンネットが閉まらなくなった為、S30Zを意識したボンネット・バルジが設けられました。

それと同時に350psへとパワーアップされたVersion NISMOを追加し、S-tune GTから続く一連のニスモコンプリートカーが好評を得た事により、スポーツグレードとしてのニスモバージョンが日産のラインナップに拡充されていくこととなったのです。

 

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nissan_Fairlady_Z_Version_Nismo_01.JPG

 

こうして改良を受けながら、6年のモデルライフを経て2008年に次期型であるZ34にモデルチェンジ。

日産の業績回復の一助とイメージアップという重責をZ33は果たしたのでした。

 

競技でのZ

 

©NISSAN

 

一方、レースの世界ではデビュー翌年の2003年に、全日本GT選手権のGT300クラスにS15型シルビアと入れ替わる形で参戦。

翌2004年からはBNR34型スカイラインGT-Rに代わりGT500に参戦を果たし、GT500でのシリーズチャンピオンを獲得します。

 

©NISSAN

 

そして、R35型GT-RがスーパーGTにデビューする2008年までの間、日産の顔として活躍したのでした。

また、GT300に於いては2010年まで参戦が続けられ、2008年と2010年には同クラスのドライバーズタイトル及びチームタイトルを獲得するという活躍を見せました。

 

©NISSAN

 

それに加え、市販車に近い形で戦うスーパー耐久選手権の排気量2001ccから3500ccの二輪駆動車で争われるST3クラスに参戦し、2004年、2005年、2007年にシリーズチャンピオンを獲得しました。

 

©NISSAN

 

更にスーパー耐久専用車両としてVersion NISMO Type 380RS-Competitionを2007年から販売し、排気量3501cc以上・駆動方式制限なしのST1クラスに投入。

 

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Z33_NISMO_380RS-C_001.JPG

 

こちらもシリーズチャンピオンを獲得するなどの活躍を見せました。

そしてラリーの世界でも、2003年から2005年にわたり参戦。

その時のカラーリングがサファリラリーなどを制したS30型Zを彷彿とさせる、日産ワークス風のカラーリングだったことで話題を呼びました。

 

まとめ

 

いかがでしたか?

一度はラインナップから落とされるも、周囲の熱意に応えるかのように復活したZ33型フェアレディZ。

現在では中古車相場が比較的安価な為、若いユーザーにも人気があり、その点でもS30型の再来とも言えるのです。

これからもファンの熱意に支えられ、Z33型は大切にされていく事でしょう。

 

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