ロータリーエンジンといえばマツダの乗用車をイメージしますが、意外にもバイクではロータリーエンジン搭載モデルが多数存在します。国産ロータリーバイクではスズキ RE5が知られていますが、他の国産3メーカーも開発していた過去があるのです。

掲載日:2019/10/03

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バイク産業において切っても切り離せなかったロータリーエンジン

スズキ・RE5 / Photo by Gtregs75

スズキ RE5は、1973年に国産バイクで初めてロータリーエンジン(以下:RE)を搭載して販売されたバイクです。

四輪車では、マツダがRX-7やRX-8などRE搭載の高性能スポーツカーを生み出し、ロータリーエンジンは国産車のイメージが先行します。

しかし、海外メーカーの多くが早い段階でREに着目し、レシプロエンジンよりもコンパクトなREはバイクとの相性が良いことに注目し、開発に力を入れていました。

しかも、スズキ以外のホンダ、ヤマハ、カワサキもRE搭載バイクの試作車を製作して市販化を図ったほどで、REがレシプロエンジンに続く次世代型エンジンとされるようになった当時、バイクとREは切っても切り離せない存在だったのです。

ロータリーエンジンを搭載したバイク4選

ノートン・RCW588

ノートン・RCW588 / 出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Steve_Hislop

世界で最も成功したRE搭載レーシングカーがマツダ787だとすれば、最も成功したRE搭載の二輪レーサーはノートン RCW588だと思われます。

英ノートンは、1970年代後半からツインREを搭載したバイクを次々と世に送り出し、ポリスバイクや軍事用バイクを国に納品するほど完成度の高いRE搭載バイクを生産していました。

レースではマン島TTレースにREレーサーバイクで挑戦するプロジェクトを始動。

当時はすでにマン島TTが世界GPのシリーズ戦から外れ、FIMの管轄下ではなかったので、レギュレーションでは単室容積300ccx2ローターREに出場が認められていたのです。

そして1992年開催のマン島TT シニアTTクラスでは、スティーブ・ヒスロップ選手がノートン RCW588で優勝を獲得。

RE搭載バイクの速さと耐久性を証明しました。

ノートン・F1

ノートン・F1 / https://en.wikipedia.org/wiki/Norton_F1

ノートン F1は、1990年に登場した公道走行可能なスーパースポーツバイクであり、上記で紹介したRCW588のベースマシンでもありました。

また、ノートン F1はRE搭載の市販バイクとしてもっとも完成されたモデルで、エンジンには588cc水冷ツインREを搭載。

マン島TT以外に、いくつか公式レースに出場し、ジム・ムーディ氏やロン・ハスラム氏といった名選手も乗っています。

そして1994年の英国ロードレース選手権では、イアン・シンプソン選手がノートン F1でシリーズタイトルを獲得。

当時は国産スーパーバイクに負けない速さを誇り、RE最強バイクでした。

ヴァン・ヴィーン OCR1000

ヴァン・ヴィーン OCR1000 / Photo by pilot_micha

ヴァン ヴィーン OCR1000は、RE搭載バイクマニアの間で幻のバイクとされています。

1976~1977年に週刊ジャンプで連載された『熱風の虎』に登場し、日本でも一部熱狂的なマニアから「一度は現物を見てみたい」と熱望されるモデルです。


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そもそもREは、1951年にフェリックス・ヴァンケル氏により開発されたことから『ヴァンケルエンジン』とも呼ばれ、当時ヴァンケル氏が所属していたドイツ NSUがREのライセンスを管理していました。

また、ヴァン ヴィーンは、オランダ アムステルダムで設立されたバイクメーカーで、NSUのパテントから許可を得てRE搭載バイクの開発に着手。

1974年のケルン モーターサイクルショーでOCR1000のプロトタイプを発表し、排気量1,000ccのツインREを搭載して最高出力は100馬力を達成。

16年後に登場するノートン F1でも89馬力、さらに当時世界最速とされたカワサキ Z1でも82馬力だったため、もし量産されれば”世界最速バイク”になっていたかもしれません。

しかし、REの量産が難しく、設計自体が複雑なため、量産車の価格は15,000ドルという高額。

そのため38台だけしか生産されず、日本には2台のみ現存するとされている、かなり希少なバイクとなりました。

DKW・ハーキュレス・W-2000

ハーキュレス W-2000 / Photo by Ascaron

DKW ハーキュレス W-2000は、世界で初めてREを搭載したバイクです。

ドイツメーカーであるハーキュレスは、1966年にフィテル&ザックス傘下のDKWに吸収されたため、英国では『DKW』のブランドから販売されていました。

ハーキュレスは1970年にIMFA(フランクフルトショー)でW-2000のプロトタイプを公開し、1973年から生産を開始して1,800台を販売。

エンジンが縦置のシャフトドライブ式だったため、BMW R26の4速ギアボックスを流用しています。

1977年以降の後期モデルでは、燃料供給をキャブレターからインジェクションに変更し、当時としてはかなり技術の進んだ1台でした。

ロータリーエンジンを搭載した国産メーカーの試作車両

ヤマハ・ロータリーRZ201

ヤマハは1972年の東京モーターショーで、RE搭載コンセプトモデル『RZ201』を出品しました。

横置き2ローター660ccのREは、ヤマハとヤンマーの共同開発によるもので、発売が期待されていましたが、オイルショックの影響で断念することになったようです。

ホンダ・ロータリーエンジンバイクCB125

ヤマハ RZ201やスズキ RE5など、国産メーカーのREバイクが知られるようになり、ホンダも黙ってはいませんでした。

ホンダはCB125にシングルローターのREを搭載した『CB125R』を、1975年に試作していました。

CB125Rのエンジン排気量は発表されていませんが、おそらくRZ201やRE5ほど大きくなく、もし市販されれば比較的コンパクトなモデルになっていたかもしれません。

オイルショック直後ということもあり、CB125Rも市販まで至りませんでしたが、マツダとスズキ以外の自動車メーカーでホンダもREの開発をひそかに進めていたのです。

カワサキ・X-99

カワサキは1974年、独自にRE開発を進め、カワサキらしく国産二輪メーカーで最も大きい896.8ccの水冷ツインローターのREを作り出し、87.8馬力を発揮します。

しかし、走行テストではスムーズな加速と振動の少ないエンジン特性でしたが、燃費が思った以上に悪く、オイルショックで原油価格が高騰していたこもあり、1975年に開発は休止されました。

まとめ

ヴァン・ヴィーン OCR1000 / 出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Van_Veen_(motorcycle)

スズキ以外の国産二輪メーカーは、オイルショック直後という時代背景により、REバイクがお蔵入りなったことから、もう少し開発時期がズレていればホンダ・ヤマハ・カワサキのREバイクが登場していたかもしれません。

海外メーカーは、REバイクをレースで勝つまでにしていたことから、RX-7やRX-8のようにレギュラーラインナップされても不思議ではありませんでしたが、当時のノートンは危機的状況で、90年代中盤にバイク製造業から撤退したことで、REバイクは消滅していくことに。

このように、REバイクは広く世に知られる前に消滅しましたが、残した功績は偉大です。

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