1989年は自動車史に名を残す名車が次々と登場しました。スカイラインGT-R、ユーノスロードスター、セルシオ、いずれも国産車を代表するクルマとなり、日本車の高い技術力を世界に知らしめたモデルばかりです。この年がいかにクルマ業界に影響を与えたのか、誕生したクルマたちを振り返ってみました。

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激動の1989年は国産車にとって華の時代!

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/1989%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC

今から約30年前の1989年は、昭和天皇が崩御し昭和から平成へ改元した時代です。

日本はバブル経済に沸き、この年の新語流行語大賞は『セクシャルハラスメント』、流行語大賞は『オバタリアン』が受賞。

40代以上の方であれば、記憶に残る年だったと思われます。

そんな日本が激動の時代、世界をリードする日本車が次々と登場し、国産メーカーは名実ともにドイツやアメリカのクルマメーカーと肩を並べるほどになりました。

F1ではアラン・プロスト氏と故アイルトン・セナ氏がマクラーレンホンダでドライバーズランキングのワンツーを獲得し、国産メーカーはモータースポーツとクルマ市場の両方で強烈な存在感を放ちます。

そんな1989年は、国産車の『ビンテージイヤー』と呼ばれるほど、多数の名車を生み出した華の時代でもありました。

ビンテージイヤーに登場した名車たち!

日産・スカイラインGT-R

© Nissan 2019

BNR32 スカイラインGT-Rは、ケンメリスカイライン以来のGT-Rとして登場し、ツーリングカーレースでの圧倒的な強さと共にカムバックした、まさに”ビンテージイヤー”を象徴するモデルです。

BNR34型まで13年間続く第二世代GT-Rのルーツでもあり、この間にGT-Rは日本のモータースポーツに大きな影響を与えてきました。

ホンダ・アコードインスパイア

© Honda Motor Co., Ltd.

初代インスパイアであるアコードインスパイアは、1989年10月の登場時は5ナンバーサイズでしたが、1992年にマイナーチェンジ。

ボディの拡大により3ナンバーサイズとなり、同時にモデル名が『インスパイア』になりました。

発売当時、アコードインスパイアはトヨタ マークⅡ/チェイサー/クレスタなどと同様に『ハイソカー』と呼ばれ、バブル景気の後押しもあって好調なセールスを続けます。

そして、フルモデルチェンジされる1995年までの生産累計台数は20万台にものぼりました。

トヨタ・セルシオ

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初代セルシオは、トヨタがベンツやBMWと真正面から対抗できるクルマとして開発され、1989年のデトロイトショーでデビューしました。

当時のメルセデスベンツSクラス、BMW5シリーズよりも圧倒的に静かで滑らかな走り心地は、世界中の自動車メーカーが驚愕し、それまでの高級セダンの概念を根本から変えるものとなります。

ベンツSクラスは購入するのに1,000万円以上はかかりましたが、セルシオは約半額の500万円で購入できたこともあり、レクサスLSとして販売された主力市場である北米で売れに売れ、レクサスブランドが世界中へ一気に広まったのもセルシオのおかげです。

インフィニティQ45

© Nissan 2019

トヨタ セルシオが先進技術の高級セダンであれば、インフィニティ Q45は究極の高級セダンを追求して作られたモデルです。

日産は、1989年に高級ブランド『インフィニティ』の設立に伴い、フラグシップモデルとしてQ45をリリース。

足回りは前後ともマルチリンク式の油圧式アクティビティサスペンションを搭載し、日産が「1990年代までに技術で世界一を目指す」をスローガンとしたクルマ作りを目指した『901運動』を象徴するモデルでした。

国内では後継モデルがシーマとして販売されましたが、インフィニティブランドの海外市場では、そのままQ45のモデル名で継続販売されています。

スバル・レガシィ

© SUBARU CORPORATION. 2019.

初代レガシィは、レオーネの後継モデルとして登場し、その後は長期間スバルの顔となっていたモデルです。

スバル独自の水平対向エンジンと4WDシステムを継承し、それまでの国産車は商用バンをベースにツーリングワゴンが作られてきたのを、初代レガシィツーリングワゴンはオシャレな快速エステートとしてステーションワゴンのイメージを根本から変えたモデルでした。

ユーノス・ロードスター

© Mazda Motor Corporation.

スポーツオープンカーといえば、マツダから販売されたユーノス ロードスターです。

発売された初年で国内販売9,307台、翌年の世界販売で9万3,626台に達して大ヒット。

ロードスターの人気を受けて、BMW Z3やメルセデスベンツ SLK、ポルシェ ボクスターなど、海外メーカーがコンパクトなスポーツオープンカーを作り出すきっかけにもなりました。

世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカーとしてギネスブックにも認定されています。

日産・180SX

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ドリ車ベースとして、シルビアと並び定番となったのが180SXです。

シルビア S13型をベースに、3ドアノッチバッククーペボディとリトラクタブルヘッドライトを装着。

クルマ好きの間では『シルビア派』か『180SX派』かスタイルの好みが二分され、他のビンテージイヤー登場モデルと肩を並べるスポーツカーでした。

北米ではS13型240SXとして販売され、『240Zの再来』と言われるほど若者から支持を得ます。

そして、シルビアやZ32型フェアレディZと同等に日産の主力スポーツモデルへと登りつめ、シルビアがS13からS14へモデルチェンジしたのちも180SXは生産され続けました。

トヨタ・2代目MR2(SW20型)

トヨタ MR2 / 出典:https://pressroom.toyota.com/

MR2は1989年にAW11型からSW20型へフルモデルチェンジされ、国産車唯一のコンパクトなミッドシップスポーツカーでながら、182万円から買えたお手頃スポーツカーとなります。

前期型ではブレーキの貧弱さやハンドリングレスポンスの悪さなど、AW11からの問題点が残っていましたが、2度のマイナーチェンジを行いながら1999年まで生産され、後にオープンボディとなったMR-Sも登場。

二人乗りミッドシップのため車内は窮屈でしたが、開放感あるTバールーフのモデルを設定するなど、クルマ好きの心を擽るクルマでした。

日産・4代目フェアレディZ(Z32型)

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フェアレディZは1989年のフルモデルチェンジで4代目Z32型になったことで、一気に高級スポーツカーへ変貌します。

「デートカー」と呼ばれたクルマは代表的なものでシルビアやプレリュード、ソアラが挙げられますが、究極のデートカーはフェアレディZでしょう。

高級車としてのイメージが強かったソアラは237~430万円がだったのに対し、フェアレディZも330~440万円とほぼ同等。

当時の若者には、なかなか手が出ない価格設定でした。

サーキットを速く走るためのクルマというより、街中をカッコよく走るためのファッションカー的な要素も強いクルマです。

トヨタ・5代目セリカ(T180型)

© 2019 Toyota Motor Sales, U.S.A.

T160型セリカのフルモデルチェンジに伴い登場した、5代目T180型セリカ。

CMにはハイウッドスターのエディ・マーフィン氏を起用し、宣伝でのお金の掛けかけたもバブル時代らしく、トヨタとしてもそれだけの自信作だったのでしょう。

直4ターボの3S-GTE型エンジンに、日本初のトルセンリミテッド・スリップ・デフを採用し、油圧制御式アクティブサスペンション装備車を販売したり、10スピーカーのスーパーライブサウンドシステムをオプション設定。

さらにはオープンモデルも販売するなど、幅広いグレードラインナップにより、多くのユーザーから支持されました。

また、WRCで3年連続ドライバーズタイトルを獲得したことで、強烈なインパクトを残したクルマでもあります。

まとめ

Photo by RaceOnTheEdge

1980年代は、国産車が海外のメーカーに追いつこうと努力し、飛躍的に性能を向上させた時代でした。

バブル景気の後押しもあってメーカーは多くの開発費を出資できたため、結果として1989年がビンテージイヤーと呼ばれる特別な年になったのです。

当時を知らないクルマ好きにとっては、なんとも羨ましい時代であります。

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