レーシングチームSARD。日本人初のルマン出場チームという歴史を持ち、国内外問わず様々なレースに参戦しており、ファンも非常に多い人気チームのひとつ。2016スーパーGTでは、参戦22年にして悲願の初シリーズチャンピオン。だからこそ、チームサードそのものと、会社設立から1年で挑戦を開始したルマン24時間耐久レースをご紹介します。
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サードとは
サードとは愛知県に本社を持つ「株式会社SARD」という車のチューニングパーツなどを扱うメーカーで、この会社がモータースポーツに参戦・活動しています。
SARDの意味は「Sigma Automotive Research&Development(シグマオートモティブリサーチ&デベロップメント)」の頭文字から。ロゴなどではAを小文字のa表記としています。
この会社のスタートは1972年。
現在の株式会社サード会長の加藤眞さんによって「株式会社シグマオートモーティブ」という会社が設立されるところから始まります。
会長の加藤眞さんですが、お父様は後にトヨタ自動車の社長・会長などを務める加藤誠之さんで、シグマオートモーティブとして独立する以前はご本人自身もトヨタ自動車に勤務。
トヨタ時代はあの伝説の名車「トヨタ2000GT」や、1970年に1000馬力を発生していたと言われるレーシングカー「トヨタ7」の開発に携わっていたとのことです。
設立から1年経った1973年。
富士スピードウェイで行われていたて富士グランチャンピオンレースにレーシングカー「シグマ・MC73」で参戦。
また同年には日本人としては初のル・マン24時間耐久レースにも参戦。なんと会社設立から1年程度で世界最高峰のル・マンに参戦してしまったのです。
今から40年以上前の話とはいえ、世界への挑戦開始が恐ろしい速さです。
また、同年は関連企業の「シグマ商事」を設立。この会社は1974年にモービル石油株式会社と代理店契約を結び、サービスステーションの事業を開始します。
その後シグマオートモーティブのルマン参戦は3年間続き、この時にヨーロッパの自動車関連企業とのコネクションを構築。
このパイプをもとに、後にはターボチャージャー製造の名門・KKK社の輸入総代理店ともなり、車の部品の輸入事業などを行う自動車関連大手企業へと急成長を始めます。
そして、1985年。現在の「株式会社サード」が誕生し、SARD SUPRAで当時の市販車レース国内最高峰の全日本ツーリングカー選手権、いわゆるグループAに参戦を開始。
その後もグループCカテゴリのプロトタイプカーによるレースや(全日本耐久選手権・全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権)、全日本GT選手権(現在のSUPER GT)など、今日までトップカテゴリのレースに参戦し続けているのです。
日本人初としてのル・マン24時間耐久レース挑戦
前述の通り、日本人として初のル・マン24時間耐久レースに「シグマ・MC73」にて参戦しており、ドライバーには今や伝説となった生沢徹選手と鮒子田寛選手にフランス人F2ドライバー、パトリック・ダルボ選手の3人で出場。
初年度のレースは、クラッチトラブルで惜しくもリタイヤでしたが、2年目には無事24時間を走り切ります。
このレースでは、インダクションボックス内に小石が侵入し、エンジン内部から破損するという事態に陥りつつも、3時間半かけて修理を敢行し、レースを走り抜いています。
3年目の1975年、これまでのルマンにはロータリーエンジンを搭載していましたが、この年のマシン「シグマ・MC75」はトヨタから供給された2T-GエンジンをKKK社のタービンでターボ化して搭載。
これは現会長の加藤眞さん自らの手でチューニングされているそうです。
また、マルボロカラーのマシンであり、これは日本車として初のマルボロカラーマシンだったと言われています。
決勝は10位前後を快走するも、2時間半が経過したころにエンジントラブルに見舞われ、加藤眞さん自ら2時間修理するも打つ手なしとなり、リタイヤというリザルトでレースを終えています。
このレース以降、資金難もあり、サードは暫くルマン挑戦を封印することになります。
ルマンへの参戦を開始したサード。
次のページでは、数々の参戦マシンと、トヨタ94C-Vでルマン総合優勝を狙った名レースをご紹介します。